村野藤吾「米子市公会堂」。市民の力で閉鎖から一転、リニューアルへ

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一時は耐震不足から解体の検討も、総工費15億円の改修に方針転換


2017年3月、村野藤吾設計の「米子市公会堂」を見学する機会に恵まれた。以前の記事で紹介した、同じ村野の「八幡市民会館」存続を目指して、京都工芸繊維大学助教の笠原一人さんが発案し、大阪府高槻市の「Club Tap」が企画したフィールドセミナー「村野藤吾のホール建築」の一環だ。笠原さんが自ら講師を務めた。

米子市公会堂は、八幡市民会館と同じ1958年に完成した。2009年に実施された耐震診断の結果により、一度は使用停止が決まり、解体が議論された。しかし、市民運動が成果を挙げて、議会が存続を採択。約15億円の費用をかけて改修工事が行われ、2014年3月にリニューアルオープンを果たした。建物が生き残るためには、何が必要なのだろうか。


米子市公会堂正面外観。前面はゆったりした広場になっている(撮影:来間直樹)



昭和30年代に市民が発案、総工費の3分の1以上を募金と寄付で賄って建設


米子市公会堂は、市民の願いと努力によって建てられた。発案したのは、1954年、当時結成されたばかりの自治体連合会だ。財政難の市に代わって建設費を補填するため、市民に広く「1円募金」を呼びかけた。「1世帯が毎日1円ずつ貯める」という運動だ。その成果に法人寄付を合わせた寄付総額は約5243万円に上る。意気に感じた村野は、自らも設計料を返上した。総工費は当時のお金で約1億7600万円。3分の1以上が寄付で賄われたことになる。

「今、この規模のホールを建てるとしたら、20億円ぐらいかかるでしょう。その3分の1とすれば7億円近くになります。改めて考えるとすごいですよね」。そう語るのは、米子市でクルマナオキ建築設計事務所を主宰する来間直樹さん。公会堂存続運動をリードした一人だ。「このとき募金運動に携わった方々がまだご存命で、“これは自分たちがつくった公会堂だ”と熱い思いを語ってくださったことも、存続の力になりました」という。


東側外観。外壁タイルの一部は今回の改修時に新しく貼られているが、新旧の違いはあまり目立たない(撮影:来間直樹)



竣工22年後に村野自身が改修設計。村野が“2度つくった”貴重な建物


米子市公会堂は、出雲街道と山陰道が交わる角地に建つ。道路面はそれぞれ広場と駐車場で、ゆったりとした空地の奥に、外観の全容が一望できる。ホールのせり上がる客席の形状がそのまま外に表れたフォルムは、“グランドピアノ”をモチーフにしたと言われている。

「コンクリートの梁と柱をむきだしにした力強い造形は、モダニズム建築の特徴といえます」と笠原さんは解説する。「一方で、この建物には、モダニズムが否定した“イメージ”を喚起する力がありますよね。グランドピアノはもちろん、正面から見ると貝殻のようでもあるし、側面は、犬が座っているみたいにも見えます」

構造体に挟まれた外壁面は、それぞれゆるやかに湾曲しており、そのことも建物を有機的に見せている。表面に貼られた紫がかった褐色のタイルは、山陰特産の石州瓦を特注で焼成させたもの。八幡市民会館が“鉄さび”なら、米子は瓦。地域の風土に敬意を払い、デザインに採り入れる手法も、村野ならではだ。

竣工から22年後の1980年、村野はこの公会堂の改修設計も手掛けている。増築を行いながらも外観は竣工時のイメージを保ち、一方で、ホール天井やホワイエの内装は大きく変えている。同じ設計者によって改修が行われた例は珍しく、この公会堂は“村野によって2度つくられた”建築ともいえる。村野の作風における、新旧の変化を探る資料としても重要な作品だ。


ホール内部。天井は1980年の改修後の状態に倣ってつくり直している(撮影:笠原一人)



市民アンケートは7.2ポイント差、市議会は1票差で存続を支持


米子市公会堂は地域社会への貢献が高く評価され、1998年には「公共建築100選」にも選ばれた。にもかかわらず、2006年に突如「設備更新に6億円、維持か閉鎖か」という報道が流れる。これを受け、市民は「米子市公会堂の充足を求める会」を発足。市長面談や公開質問、学識者を招いての講演会などを行っている。

しかし、耐震性不足が報告されて2010年9月末にホールと楽屋棟は使用停止に。他方で、存続を求める署名は約4万4000筆に上った。市議会が審議継続を繰り返すなか、市は市民アンケートを実施する。結果は、存続45.4%、解体38.2%。僅差ながら存続が上回り、市長は存続の方針を表明した。

「それでも、市議会では財政負担を心配しての存続慎重論が根強かった。われわれも各所への呼びかけを繰り返した結果、たった1票差で存続が決まったんです」と来間さん。2010年のクリスマスイブのことだった。

それから改修、リニューアルオープンまで、「米子市公会堂市民会議」に改組した市民団体は、利用促進のための提言や設計者との情報交換、市民イベントなど、絶えず関与を続けている。かつての「1円募金」に倣い、1000万円超の募金も集めた。そのお金で、幕や譜面台、鏡などの什器類を寄贈している。

改修設計は日建設計が手掛けた。公共建築に求められる耐震強度を確保しながらも、村野の設計思想を受け継ぎ、市民が親しんできた姿を残すという至難の仕事だ。ホールの屋根は全面的に撤去して軽い材料で新設。カーブを描く複雑な形状の天井は、最新技術を駆使して正確に計測し、再現した。今はもう製造できない外壁の塩焼きタイルも、新たな製法による質感の再現に成功している。

こけら落としは地元のプロ・アマ音楽家によるコンサート「祝演」、リニューアル記念には市民が中心になって企画したバレエ「くるみ割り人形」の全幕公演が行われた。

市民の声が、公会堂を残した。廃止から存続へ、転換の契機となったのは市民アンケートだが「それは諸刃の剣でもあった」と来間さんは言う。「もしも、結果が逆転していたら…」。歴史を背負ってきた建築を、未来に手渡すかどうか。判断の基準を多数決に求めるのは、危険なことかもしれない。

■取材協力:Club Tap


ホワイエ。村野好みの照明器具は竣工当初のオリジナル(撮影:笠原一人)



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