徳島市ひょうたん島クルーズで約30年かけた水辺再生を聞いてきた

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川の中に自転車が100台、かつて川は荒れていた


日本には水都と呼ばれるまちがいくつもある。四国の徳島県徳島市もそのひとつ。日本の三大暴れ川は坂東太郎と呼ばれる利根川、筑紫次郎の筑後川、四国三郎の吉野川と言われるが、徳島市はその三郎くんの河口近くに位置し、市内には吉野川水系の138川(!)が流れる。

そのうちでも市内の中心部をぐるりと、まるでひょうたんのような形で流れているのが新町川、助任川。かつては今よりも幅が広く、徳島城の外堀として機能していたそうだが、昭和30~50年代は魚がいなくなるほどの汚い川だったという。それが今では市内観光の目玉、ひょうたん島クルーズで知られる。

きっかけとなったのは1987年。当時、川の近くにある東新町商店街の事業部長をしていた靴店経営の中村英雄氏に、市の観光課から「阿波踊り期間中の昼間に、なにかイベントをしてほしい」と話があったことに始まる。中村氏はドラム缶を組んだいかだレースを企画、多くの参加希望が集まったが、そのスタート時に撮った写真がショッキングだった。いかだではなく、ゴミばかりが写っていたのである。臭いもひどく、当時は阿波踊りの季節には川に消臭剤を撒いていたという。それ以前の1980年頃に徳島市青年会議所が川の掃除をした時には、川の中に100台以上の自転車があったというから、今の姿からは想像できない状況だったのだ。


眉山山頂から見た市内中心部。奥を流れる広大な河川が吉野川。真ん中にあるこんもりとした緑が徳島城跡。その手前に橋が見えるが、これが新町川。城をぐるりと囲むように川が流れている



27年間、ゴミを拾い続けてきた結果


その状況を変えようと、以前から一人で川の掃除に取り組んでいた中村氏は活動を本格化させる。1992年にNPO法人新町川を守る会(以下守る会)を作り、毎月1日、第3土曜日に川掃除を有志10人ほどと始めたのである。しかも、そのやり方は網でゴミを掬うという地道なもの。効率は悪いが、その姿を見せることで、見る人が捨てないようにしようと思うことを狙ったのである。とはいえ、当初は掃除をしている人たちを見ながら、平気でゴミを捨てる人がいたとか。20数年前、まだ、まちの美化という観念が薄かった時代なのかもしれない。

だが、雨が降ろうがゴミを掬い続ける、この27年間で1~2回しか休んだことがないという地道な活動ぶりに感銘を受け、県や市にあの活動を応援すべきと声を上げる人たちが出始める。開始から3年ほど経った頃である。そうした声に県の河川課が応援してくれるようになった。さらにその頃には掃除をする人も50人ほどに増えていた。また、徳島県剣山系一帯で産する緑泥片岩、通称阿波青石を使った護岸の整備も始まっており、水辺の風景は徐々に変わり始める。

ひょうたん島クルーズも1992年に徳島市が1隻で始め、現在は守る会が4隻を使って毎日、11時から40分おきに運行している。所要時間は約30分で、中心市街地の周囲6キロを巡る。昨年は年間約6万人が乗ったそうで、うち、市外、県外、海外からの人が7割ほどだ。


公園に設置された桟橋から乗船、一周して戻ってくる。観光案内図をみるとひょうたんの姿がよく分かる



建物も水辺を向き始めている


イベントも各種行われている。1989年8月に徳島市が市制100年を記念して川沿いに水際公園を整備したが、その年の9月には新町川リバーフェスティバルが行われ、橋の上では結婚式も行われた。それ以外にも魚釣り大会、川からサンタがやってきて子ども達にプレゼントやケーキを配布する「サンタが川からやってくる」、雅楽や第九の演奏、寒中水泳大会などと多彩なイベントが行われており、そのうちには今も続けられているものも多い。

さらに活動は広がっている。クルーズではひょうたん島だけではなく、川沿いに鳴門へ向かう撫養航路(10人以上の貸切りで運行)、2017年4月にできたイオンモールへの航路などが生まれており、イオンモールには桟橋もできた。

もちろん、水辺がきれいになったことは言うまでもない。魚がいなくなったように見えた川には今、40種類を超す魚が生息している。そして、その結果だろう、中心部では川に面した建物が目についた。特に夜歩いてみると水辺の飲食店のイルミネーションが川面に反射、きれいだった。

ちなみに新町川沿いには官公庁以外で市内初のRC造という、1997年に登録有形文化財になった旧高原ビルがある。川側がガラス貼りにリノベーションされているのは水辺の眺望を取り込もうという意図。こういう建物が作られるようになれば、川も楽しくなってくるというものだ。


登録有形文化財になっている旧高原ビル。建てられた時には通りに向いていたが、その後のリノベーションで川にも向くようになった



率先して動く中村氏の姿に賛同者多数


水上、水際以外での活動もある。中村氏は川への取り組みと同時にまちなかの緑に関わる活動もしており、「とくしままちなか花ロードプロジェクト」では花を植えたり、手入れをしたり、掃除をしたり。3年前からは本格的に守る会のイベントとしても取り組んでいる。守る会は国土交通省の河川協力団体第一号であると同時に道路協力団体としても第一号で、川に限らず、まちの美化全般に取り組んでいるのである。

かつて川を掃除する姿を見て県や市に声をあげてくれた人がいたように、花を植えるプロジェクトも広く賛同を得るようになっており、2017年には300人ほどが集まって植えたとか。清掃にも120人を超す人が集まるそうだ。

それを可能にしているのは率先して手と身体を動かし続け、誰に対してもオープンな中村氏の姿だ。取材時に桟橋に行くと水際の吸い殻を拾っていらっしゃり、朝一番の、私一人だけの乗船は中村氏が担当、丁寧な説明をしてくださった。こうした地道な作業を30年近くほぼ毎日続けていると思うと、頭が下がる。

守る会の特徴のひとつは、個人・法人会員の会費や寄付が大きな割合を占めていることだ。会員は個人で260人ほど、法人で40社ほどというから、それほど多いようには思えないが、現在運航している4隻がすべて寄付によるもの、各種イベントにかかる費用も一部の助成金を除けば大半は寄付と聞けば、いかに中村氏の活動が共感を得、敬意を払われているかが分かる。地元のみならず、国土交通省など中央官庁の中にも中村氏のファンは多いとも聞いた。むべなるかなである。


商店街で靴店を経営しているという中村氏。実際の経営はご家人が担当、中村氏は守る会の活動に専心しているそうだ



水辺の歴史を知ればまちが見えてくる


さらに中村氏はまだまだやる気である。公益財団法人徳島経済研究所が2017年秋に発刊した「徳島経済 99号」によると、世界から四国を訪れるヨットを受け入れ、交流する海の駅を作りたい、吉野川交流推進会議で吉野川をまるごと博物館にしたい、そしてこれから30年かけて後継者に事業を引き継ぎたいという。御年79歳、にこにこした笑顔で、あれやこれや新たな構想を語る中村氏を見ていると老い方は人それぞれと感じる。

最後に、せっかく乗せていただいたのでクルーズの感想を一言書いておきたい。思った以上に橋が迫ってきており、特に一番低いという福島新橋では頭をすくめないとぶつかりそう。乗船する船には屋根があったそうだが、屋根付きでは橋下を通れないため外して使っているとか。けっこうスリルがある。だが、屋根がない分、写真は撮り放題。それはそれでうれしい。

運行中には橋ごとの歴史や水辺に見える建物の歴史、川幅の推移その他の解説があり、徳島来訪時、最初にこれを聞いておけばまちの見え方も変わってくるはず。阿波踊りも良いが、船旅もお忘れなく、である。

特に夏には桟橋でビールという楽しみがある。守る会で設置した民間の桟橋であるため、行政のそれと違って自由。バーベキューもできるそうで、次回はそういう時期にお邪魔したいものである。


徳島は32年ぶり。以前訪れた時には存在すら意識しなかった水辺が今や、観光名所のひとつ。水もきれいで釣りをしている人も見かけたほどだ



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