人が魅力の徳島県神山町で、いつもと違う場所で仕事をする意味を考えた

LIFULL HOME'S PRESS

人が魅力の徳島県神山町で、いつもと違う場所で仕事をする意味を考えたの記事画像

南側全面が窓の開放的な空間


仕事で泊まるのはたいていがビジネスホテルである。窓はあるものの、開けることは想定していないのか、カーテンは閉ざされ、鍵は固くて動かないこともしばしば。小さな箱に詰め込まれたような気分で一夜を過ごすのが常だ。

だが、今回宿泊した「WEEK神山」は違う。部屋自体はコンパクトで、面積で考えればビジネスホテルとさほど変わらないか、小さいか。大きく異なるのは窓だ。南側は全面が窓になっており、眼下には浅瀬を流れる川があり、目を上げると一部が紅葉した山々。何か特別なものが見えるわけではない、ごく普通の山里の風景なのだが、遮るものはなく開放的。ドアを開けた途端にほおおっと声を上げてしまったのはそのせいだ。

町内を背骨のように流れる清流、鮎喰川(あくいがわ)沿いに建つWEEK神山の宿泊棟は全8室のすべての部屋と共同の浴室が川に面している。どの部屋にいても目の前は遠く山の端まで抜けており、部屋の面積を意識することはない。実際よりもはるかに広い場所にいるように思えるからだ。窓が大きく、遮るものがないだけで部屋の居心地はこれだけ変わるのか。ビジネスホテルでドアを開けた時の気分と比べると天と地ほどの違い。不思議である。

翌朝の陽光を浴びながらのメールチェックがいつもより気持ちよくサクサクと進んだことも加えておこう。太陽には人を元気づける力があるようだ。


2階にある客室からの風景。廊下、階段を挟んで反対側には共同の浴室があり、そこからも同じ眺めが楽しめる



住む場所、働く場所を好きに選べる時代へ


WEEK神山が誕生したのは2015年7月1日のこと。立ち上げから関わっている株式会社神山神領の隅田聡子氏は東京からの移住組だ。東京で生まれ、大学、就職とずっと東京で暮らしてきた隅田氏が暮らし方を変えたのは東日本大震災がきっかけだった。

「ずっと東京で暮らし、田舎が無かったからでしょう、憧れがありました。加えて『どう暮らしていきたいか?』を考えた時に、少しでも自分の手で暮らしを作っていける環境に身を置きたいと。なんでも一カ所に集中しているのは便利ですが、危うくもある。インターネットその他のインフラがあるなら、暮らす場所にはもっと選択肢があるのでは。そこに自然環境があれば、きっと豊かな暮らしができるはずと思いました」。

その場として選んだのが神山町だ。町で開かれたこれからの暮らし方、働き方を考える神山塾に参加。その後に移住し、地元のNPOで広報として働いているところに宿を作るという話が持ち上がった。2010年以降、サテライトオフィスが増えるなど変化が目立つ神山町には企業や自治体など様々な人たちが視察に訪れる。だが、大半の人はさっと見てすぐ帰ってしまう。もっと神山を味わってもらうためには宿が必要なのではないかというのである。四国のことである、すでにお遍路の宿はあり、観光のための宿はある。それとは違う形の宿にしようとなった時に出たのが、「いつもの仕事を、ちがう場所で」というキャッチフレーズだ。

隅田氏の夫は自社の事業継続性のために神山町を訪れ、サテライトオフィスを開設した。その後、町に移住し、隅田氏とともに宿の立ち上げに関わった人である。当然、サテライトオフィスが社員たちに大きくプラスに働いているのを目にしている。いつもの通勤先ではない場所に向かい、そこで働くことで気分が変わり、新しい発想が生まれる、集中できるようになるなどメリットは多数ある。仕事関係者以外の人と交わることで生まれるものもある。だったら、新しく作る宿は多くの人にそれを体感してもらう場になればということだろう。実際、宿の向かいには宿泊者も利用できるオフィスがあり、違う場で働く経験もできる。


宿と道を挟んだところにあるシェアオフィス。宿泊者は簡単な受付だけで利用できる



築70年、空き家となって20年の古民家が食堂に


宿を作るにあたっては現在フロント、食堂となっている築70年ほどの古民家が借りられたことが大きい。「以前の神山町では嫁が来るくらいしか移住してくる人はなく、町の人には家を貸すという発想がありません。家は先祖代々、その家の者が住む場所。そのため、空き家があっても子、孫が帰ってくるかもしれないから、仏壇があるから、年に一度法事で使うからとなかなか貸してもらえません。徳島市内に出て行く人があっても1時間ほどで帰って来られる距離なので物置代わりになる。ところが、ここは大家さんが町のためになるならと貸してくださり、それをきっかけに貸すという考えがあることが少しずつ理解されてきている気がします」。

借りた時点では20年ほど空き家になっていたそうだが、近くに畑があり、物置として使われていたこともあって状態はよく、柱、梁、屋根の内側などは以前のまま。元々は田の字型に仕切られた間取りを取っ払って広い空間とし、土間はキッチンとして使われている。
この場所を利用して、以前は宿泊者全員に町の人も加わっての夕食会が開かれていた。現在も10名以上の宿泊がある時や話を聞きたいと思う人が来訪した時には、夕食時に交流会が開かれているとか。住民の参加もあり、夏の来町者の多い時期には週に1回くらいは開かれているそうだ。


立派な骨組みが印象的なフロント・食堂棟。天井の高さが気持ちいい



この町の魅力は人


古民家の大家さんだけではなく、この宿には町の多くの人たちが関わっている。宿を立ち上げた会社には地元で長らく活動を続けてきたNPOに加え、多くの町民が株主という形で運営に参加している。建物には地元の木が使われており、石積みに使われた青石、植栽の山野草も地元の産。作庭には神山町にある県立城西高校神山分校の造園土木化の生徒たちが地元の名人の指導で行ったという。出された食事にも地元名産の品が使われており、食堂内には地域の飲食店や木工その他をしている人たちの情報なども掲出されていた。関わったのは大半が地域、遠くても県内の人で、一部県外の人は以前から附き合う人達だったという。地域を大事にする人たちが一丸となって作っている場、そんな印象だ。

そう、そもそも、神山町の魅力は人だと隅田氏。

「ここに移住を決めたのは下宿していたお宅の温かさでした。家族のようで安心感があった。加えて全体に寛容な雰囲気があり、よそ者を排除する文化がありません。『新しいこと、やってみたらいいじゃない』と後押しし、入ってきた人を可愛がってくれる。だからでしょう、私と同じように神山塾に参加した人の中にはそのまま、この町に残っている人が多いんです」。

移住者が多い、サテライトオフィスを出す企業が多い背景には町のそうした雰囲気が大きく寄与している。もちろん、人が少ない分、顔は必ず見える。「一歩外に出たら、誰かに会うので時間通りに帰ってくるのは難しい」状況があり、それが合うか、合わないかはその人次第。隅田氏の場合は東京での暮らししか知らなかったため、すべてが新鮮で楽しいそうだが、おそらくそうではない人もいるだろう。地方での暮らしはその辺りが難しい。


朝食には地元徳島の名産半田素麺が出た。食後のコーヒーも地元のロースターの手によるもの



都会より田舎にこそ多様性


でも、だからこそ、お試しで滞在できる施設は役に立つ。WEEKという名称だが、実際には1泊からでも滞在でき、合宿だと2~3日、自営・自由業の人のうちには1週間滞在という人もいる。一度あたりの滞在は短いものの、二度、三度と訪れる人も。そうした人の中には移住希望者も少なくないようだが、家がないのは前述した通り。その問題を打開するため、町では空き家を改修したシェア住戸、新たな町営住宅の建設に取り組んでおり、いずれはもう少し移住しやすくなるかもしれない。

徳島県、神山町と聞くと遠いように思うかもしれないが、東京からなら飛行機で1時間半とかからない。徳島駅から神山町まで車で40分、バスでも1時間ほど。宿泊者の多くは午前中に移動し、午後にチェックインするという。それほど近いのに町の風景は都会と大きく違い、新鮮だ。夜の闇の深さ、星の多さ、朝日の輝きなど何でもない風景が気分をほぐしてくれる。

もちろん、不便さもある。車が無ければ食事に行く場所は限られるし、車で行ったら酒は飲めない。店もそれほど多くはない。隅田氏も夜飲みに行くことや外食は大幅に減ったというが、その分、作る楽しみが増えた。また、出かけると必ずと言っていいほど人に会うという。

「知っている人はもちろん、思わぬ人にあって何かでコラボしましょうという話になることもしばしば。会う人の数は東京よりは少ないけれど、東京では同じような年代、仕事の人にしか会わない。人数は少なくても神山では幅広い年代、職業その他の人と会うので、多様性を感じます。飽きませんね」。

田舎は単調という既成概念、場所によっては間違っているのだろう。そんなことを考えさせられた滞在だった。


夫婦とも宿業は初めてだったという隅田氏。やってみたら面白かったと楽しそうだった



[関連記事]
地方創生の成功例・神山町はどのようにして移住者を惹きつけたのか?①
徳島県美馬市『うだつの町並み』に見る重要伝統的建造物群保存地区の課題とは?
「職・住」と「暮らし」のバランスを見つめなおす…京都移住計画に聞いた"本当の移住"とは?
「霧島シェアハウス」ができるまで。実現し始めた子育て二拠点生活とは
女子おひとりさまでもできちゃう!? 田舎移住のホントのところ

出発:

到着:

日付:

時間:

test