盛り塩の効能とは。1万人の美女が願った千客万来、古来より知られた塩の力

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将を射んと欲すれば先ず羊を射よ?1万人の女が塩を盛り来客を待つ


築地の料亭や先斗町の料理屋など、ちょっと高級そうな店先には、必ずと言っていいほど古くからの風趣である盛り塩を見ることができる。これは、商家の門口に三角錐状に塩を盛り上げると言う風習で、一般的には千客万来の祈願、そして外来の穢れを祓い店内を清浄に保つという意味があるとされている。

さてこの玄関や門口に塩を盛るという風習は、どこから始まり、何のために行うものだったのだろうか。そもそも盛り塩には本当はどんな意味があるのだろうか。実は日本の盛り塩は全く異なる2つのルーツから伝来し、広まったものと考えられている。

1つ目のルーツは中国の後宮が発祥とされているものである。時代は三国時代へと遡る。後漢崩壊後、100年の混乱を鎮めて中国全土を統一、西晋という統一王朝の初代皇帝となった司馬炎という英雄がいた。司馬炎は「英雄色を好む」の例外にもれず、太秦9年(273年)7月、自分の後宮、つまり日本で言うところの大奥に入れるための女子選びのために、詔勅をもって女子の婚姻を暫時禁止し、なんと5千人もの宮女を召し上げたと正史に残されている。

それだけでも瞠目に値する暴挙だと言わざるを得ないのに、さらに呉を滅亡させた後、太康2年(281年)3月には、呉の第4代皇帝であった孫皓の後宮の5千人を加え、合計1万人もの宮女を召し抱え、広大な女の園を作り上げたのである。

司馬炎は、その広大な後宮を毎夜、羊に引かせた車に乗ってまわり、この羊の車が止まったところの女性のもとで、一夜をともにするという遊興にふけっていた。そのため、宮女たちは自分のところに皇帝を来させようと、自室の前に竹の葉を挿し、塩を盛って皇帝の来駕を待ったと言われている。と言うのも、羊は竹の葉を食べ、塩をなめるために立ち止まるからである。

これが、盛り塩の1つ目のルーツ、中国の後宮が発祥とされている千客万来説である。しかし実はこの逸話の背景には、単に女が皇帝の寵愛を奪い合うと言う図式以上に、もっと深い背景があった。


老舗料理屋の入り口に山状に盛り上げた塩。古代中国の故事や宗教を由来としている



一族の運命を背負い、皇帝の寵愛を受けるために必死で盛り塩をした女達


結局、西晋という統一国家は、たかだか50年程で倒れてしまった。建国の黎明期に、こんな馬鹿げた遊びにうつつをぬかしていれば国を傾けるのも当然と思われる節もあるが、視点を変えるとまた違った歴史的な側面が見えてくる。

そもそも当時の後宮とはどんな場所だったのだろうか。一般的には、皇帝が女たちを囲って後継ぎをもうけるための場所と思われがちだが、実はそれだけのためではない。後継者を産ませるためだけなら、何千人もの女官は必要ない。より優秀な遺伝子を残すためだとしても数が多すぎる。

当時の後宮に所属している女たちは、皇子を産む目的だけで存在していたわけではなく、出身母体である地方豪族の外交官であり、自分の背負う一族郎党の安寧と発展のために、ハニートラップも辞さないエージェントでもあった。もちろん皇帝側から見れば、彼女達は有力氏族の動きを牽制するための人質でもあった。

当然、後宮に入る宮女達には、その出身母体の力関係で、上位から三妃(貴嬪、夫人、貴人)、九嬪(淑妃、淑媛、淑儀、修華、修容、修儀、、容華、充華)、美人、才人、中才人という歴然とした官位が存在し、それぞれの格式にあった待遇が約束されていた。

しかし皇帝が特定の宮女にのめり込み、寵愛するということは、その外戚勢力を助長し政治腐敗を招く事に繋がりかねない。実際、中国の歴史を見ると国家の滅亡や傾国の原因とされる多くは、外戚問題にあった。後宮に入る宮女達の実家の力が大きくなればなるほど、傾国の危機が高まると言うわけである。

その意味で、司馬炎が行った羊の車に乗って今夜の相手を決めるという手法は、外戚リスクの回避と言う意味では有効であったと言える。

宮女達は、出身一族の運命を背負い、皇帝の寵愛を受けるために必死で盛り塩をしていたのだろう。中国史上4大美人と呼ばれた、西施、王 昭君、貂蝉、楊貴妃は、いずれも一族の利益のために働いた有能なエージェントであった。

こんな汚名を着てまで、外戚対策した司馬炎だったが、結局西晋が倒れた原因は、皇后楊氏の父楊駿が朝政を掌握し、外戚が国を専権したことによるものであった。


中国の四大美人の一人、西施がもの思いに佇む風景。傾国の美人は何を思って皇帝の元に登ったのであろうか



盛り塩のもうひとつの意味である穢れ祓い、穢れの本質は血の呪力


さて、盛り塩の2つ目のルーツは、西方浄土に遡る。古代インドを中心としたバラモン教に始まる「穢れ」という概念から発している。「穢れ」と言うと禍々しいもの悪しきことといったイメージがあるが、当初、穢れという思想が生まれた時点においては、不浄という観念は無かった。

原初の穢れは「死穢」と「産穢」であった。これらは決して不浄なものではなく、神秘な出来事であり、異変的な危険な事態であり、畏怖すべき事象と見なされていたために、日常生活の場から隔離するという習俗が穢れとして存在していた。

この穢れの概念は、様々な宗教観に取り込まれ、醸成されて現在に至り、日本へは仏教伝来と同時に伝わってきたと考えられている。

穢れの本質は「血」の呪力にある。死も産も「血を流す」という非日常的な出来事であるため、畏怖の対象となっていた。「肥前国風土記」の中の一説に、吠える犬を産婦が見た所、たちまち泣き止んだと記述が残されていたり、「播磨国風土記」には鹿の血の中に稲を撒いたら一晩で生えたという話が残されていたりする。

この穢れの概念に不浄の意味が付加されたのは、646年の日本書紀からである。それによると、黄泉の国、つまり死者の国から帰ったイザナギノミコトが死者たちを見たことで、「いやな見る目の厭わしい」と言って禊祓いを行ったと記されている。この禊祓いが、この後、穢れを祓う儀式として定着していく。

また大化2年の3月22日の旧俗改廃の詔では、「家畜の祓え」と言う習俗が登場している。これは、「死」「産」「血」に加えて、「動物」も穢れの対象としたことが分かるもので、その背景には、供物と穢れの関係性が指摘されている。

穢れが不浄なものと認知され始めた時代において、神に捧げられる供物とは生贄(いけにえ)であり、則ち死穢であったからである。

このように穢れの概念は、時代が下るに連れ、次第に「忌まわしいもの」へと変化していく。穢れを祓わずに、そのまま身に絡っていれば、いずれは祟りが降りかかるという恐怖の対象へと姿を変えていった。

ちなみに中華料理では、刺身のように動物や魚介類に火を通さずに食す習慣がない。これは、死穢を「火」で祓うことなく食すのは、身に穢れを取り込むことだと考えられたからだという説がある。


芸術的価値の高い彫刻を持つジャイナ教の寺院。壁面に施された無数のレリーフは、古代宗教の教義や人の持つ業が表現されている



塩のもつ穢れを祓う力、お清め、招かねざる客に塩を撒くという習俗


このように穢れは祓われるべき不浄のものになったわけだが、なぜ盛り塩が穢れ祓いに繋がっていったのか。これは塩が持つ力に関係し、前出の日本書紀に謎を解く鍵が残されている。

イザナギノミコトが黄泉の国へ行き、その穢れを祓うために行った禊祓いとは、海水で体を洗う「潮禊(しおみそぎ)」であった。身体を洗って穢れを祓うという風習は、世界的にも広く行われており、キリスト教やユダヤ教、ヒンドゥー教でも「沐浴」が穢れを祓う儀式として公認されている。仏教や神道で行われる「水垢離(みずごり)」も穢れ祓いの儀式である。

この日本書紀にある「潮禊」が、水で体を洗い清めるということと、塩で清めるということに分かれ、塩そのものが穢れ祓いの力を持つと考えられるに至ったと考えられる。

葬儀や法事という仏事に関わった時、お清め塩を撒いてから自宅に入るという習俗が多くの地域に残されていたり、招かれざる客が帰った後に塩を撒いて験を担ぐという習慣が残っていたりするのも、塩には穢れ祓いの力が備わっていると考えられてきたからである。この塩の持つ力については、神道にも古くから伝わっていて、神に捧げる祭壇には必ず塩が置かれ、奉納神事であった相撲では必ず清めの塩が土俵に撒かれる。

このように塩には霊験あらたかな力があると信じられた要因には、塩の持つ殺菌力も関係しているのではないかと目される。

穢れの中で最も忌むべきものは「死穢」である。死した体は、あっという間に腐敗し、死臭を発しながら溶けてゆく。塩にはその腐敗現象を緩和もしくは遅滞させる力があった。戦国時代の戦果としての敵武将の首は、塩桶に入れられ論功行賞が終わるまで保存された。

古代中国の刑罰には「ししびしほ」というものがあり、これは処刑された犯罪者の体を細切れにして塩漬けにして、犯罪被害者や住民に配り、死者の尊厳さえも足蹴にして罰を与えるというものであった。恐ろしいことに、これが塩辛の遠祖であるという説があるのだが、いずれにしても塩の持つ腐敗防止効果が古くから知られていたことは間違いない。


禊祓いの儀式は、水と塩に関係している。日本の宗教は古くから滝行や水垢離で清め、祓で塩を使って来た



盛り塩に込められた思い、最も穢れが祓われているのは塩焼き?


このように盛り塩には、皇帝を何とか我が寝所に招こうとした宮女たちの策略をルーツとした説や、潮禊をルーツとした塩の持つ力による穢れ払いや魔除けという2つの意味がある。

さて日本の場合は塩だが、このように門口に縁起物を飾ることで、何がしかの効果を期待すると言う風習は他の国にはなかったのであろうか。

実は、似たような習俗はインドネシア諸島に残されており、ヒンドゥー教の神々へチャナンという小さな花籠を家や店の入り口の真ん中へ供えるというものである。出入りする人々は、チャナンを決して踏むことはなく、避けて通るのが普通に習慣化されている。盛り塩であれチャナンであれ、供物は清浄であらねばならないということであろう。

料理屋の入り口に盛り塩がされているのは、良い客をたくさん招き、嫌な客には退散願う、その上我が店でお出しする料理は、穢れも祓って清浄ですよとの思いが込められている。中でも最も穢れが祓われた食べ物は塩焼きということになるだろうか。

料理屋に行くときは、ぜひ門口の盛り塩を探してみてほしい。あなたを迎えるために、いつも新しく美しく盛られた塩があるなら間違いないはずだ。


ヒンドゥーの神々に捧げたチャナン。供物を足蹴にすることなく、無意識に避ける習慣が身についている



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