岐阜県美濃市の重伝建地区選定までの取り組み~「うだつの上がる町並み」が残るまち②

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伝統ある和のしつらえ『水琴窟』の復元が町おこしのきっかけに


国内でも最大規模の『うだつの上がる町並み』が残る岐阜県美濃市。約9.3haに渡って江戸時代の建物を中心とした歴史ある建造物が軒を連ねる美濃町(みのまち)エリアは、地元市民らの保存活動をきっかけにして平成11年に『重要伝統的建造物群保存地区(以下:重伝建地区)』に選定され、今も大切に守られている。

前回のレポート①では、この地域の歴史と成り立ちについて紹介したが、今回は『重伝建地区』選定までの地元の取り組みと、新しい移住者の受け入れが活性化しているコミュニティの今を取材した。

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お話をうかがったのは、会社役員の土本恭正さん(59)。美濃町で生まれ育ち、高校の同窓会や地域組織の代表などを務める地元の重鎮的存在だ。

「そもそも、美濃の町並み保存活動が本格的に始まったのは昭和50年代後半からだったと思います。地元の青年会議所が『今井家住宅』の中庭に水琴窟(すいきんくつ)を復元したのがきっかけでしたね。『重伝建地区』の選定はそのずっと後のことになりますから、地域の人たちの活動を経て『重伝建地区』選定の動きが始まり、今に至っているのです」(土本さん)

この『水琴窟』の復元は、美濃の町おこしのきっかけになった。


▲今回お話を聞いた土本さんと、岐阜市から移住してイタリアンレストランを開いた『DONI DONI』のオーナーシェフみさこさん。美濃の『うだつの上がる町並み』では、新・旧の住人同士の関係がとても良好で、それが地域活性につながっている



大学教授の指摘を受け、“当たり前”だと思っていた町並みの価値を再認識


昭和50年代当時、まだ美濃町に残る古い町並みのことはあまり世に知られていなかったが、美濃の視察に訪れたある大学の教授が「これだけ立派なうだつの上がる町並みが広域に渡って残っているケースは珍しい。どのお宅も歴史的価値がある建物ばかりだ」と絶賛したことで、地元の人たちの意識が変わる。

これまで“ごく当たり前”だと思っていた自分たちの町並みの歴史価値を再認識し、土本さんをはじめとする青年会議所のメンバーが地域の建物の歴史を探っていくことになったのだ。

すると、地域で最も古い『今井家住宅』の厠(かわや)の入口に小さな『水琴窟』があったことがわかり、それを復元するプロジェクトがスタートした。

「そのときの『今井家住宅』は、主を無くしてひどい荒れ放題で…まずは青年会議所のみんなで家の中を片付けながら水琴窟の復元作業に入り、ようやく一般公開ができることになったんです。ただし、どのメンバーも自分の仕事を持ちながらの活動でしたから、見学の要望があったときだけ公開をするという限定的なものでした。

しかし、当時は水琴窟自体がまだ珍しい時代だったんですね。たまたま復元作業の様子をNHKが取材していたんですが、“これはおもしろい!”と密着取材をすることになって全国放送が決まったんです。そしたら、放送後の反響がすごかった(笑)。その年には『今井家住宅』の水琴窟が“日本の音100選”に選ばれ、美濃の古い町並みが全国から注目を集めるようになったのです」

テレビ放映をきっかけに見学者が後を絶たなくなったため、ついに土本さんら青年会議所の手には追えなくなり、美濃市が『今井家住宅』の建物を買い取った後に再整備をしなおして常設公開を開始。平成6年には市の指定文化財となった。このようなトントン拍子の展開になるとは地元の人たちも想像していなかったそうだ。


▲水琴窟というのは江戸時代に多く造られた日本庭園の装飾の一つ。手水鉢近くの地中の空洞に水滴を落下させることで、何とも不思議な透明感のある音色が響き渡る(写真は復元された『今井家住宅』中庭の水琴窟)



大切なのは“重伝建地区に選定されること”ではなく、それを生かしたPR


そして、ここから美濃市を挙げての『重伝建地区』選定への動きが加速する。

青年会議所で土本さんらと一緒に建物保存の活動を行っていた石川道政氏(前市長/現・美濃市名誉市民)が美濃市長に当選したことで、『今井家住宅とうだつを核にした町づくり』や『観光客誘致』に関する具体的な方針が固められたのだ。

「最初は行政主導で町の中の電柱を埋めるところから町づくりの取り組みがスタートしたのですが、当時はまだ“無電柱化”の意味がわからず反対する人もたくさんいました。なので、我々の仲間が町並みの写真を撮り、電柱を写真屋さんで消してもらって、電柱のある写真と無い写真の両方を見せて、“電柱が無くなればこんなに町の雰囲気が変わるんですよ!”と反対派の人たちを説得してまわったんです。また、『重伝建地区』の選定についても、“これから自由に家を改修できなくなるから…”と多少の反対意見がありましたが、“これは町並みを守るために絶対に必要なものだから!”と押し切りました(笑)」

『重伝建地区』の選定を受けると、建物群や歴史的な景観の保存が義務付けられ、建造物の現状変更は許可制となる。つまり、勝手に家の改修を行うことはできなくなるものの、許可さえ受ければ改修費用の補助金が行政から支払われる仕組みだ。補助金の額は行政の懐事情によって異なるため、中には数千万円の補助金を受けることができる地区もあるそうだが、美濃市の場合は、9.3ヘクタールの選定地区内のすべての建物を対象に、戦前までに建てられた在来工法を用いた建物の『修理』の場合は上限600万円、戦後に建てられた比較的新しい建物の『修景』の場合は上限400万円と、建物の歴史的価値によって補助金額が異なっている。

「実は、重伝建地区に選定された直後は“正直、何も変わらんなぁ”というのが地元の反応でした。でも、選定を受けて5~6年が経った頃だったでしょうか?地元の伝統産業である『美濃和紙』と『うだつの上がる町並み』のコラボレーションで毎年10月に開催してきた『美濃和紙あかりアート展』のイベントや作品が注目を集めるようになり、大きな賞を何度か受賞したんです。

そのあたりから“美濃の『うだつの上がる町並み』の空き家を活用して新しい商売を始めたい”という移住希望者が増え始め、若いファミリーがこの町で暮らすようになりました。

『重伝建地区』に選定されることで町が変わるのではなく、選定を受けたことをきっかけにして、地元の産業やイベントのPRを上手に行うことで相乗効果につながり、町も人も活性化されるのではないかと感じました」


▲美濃和紙は繊維構造が縦横に重なっているため非常に強い。明治・大正時代にはコーヒーフィルターとして欧米へ輸出されていたそうだが、現在は古い絵画や書籍など美術品の修復用素材として世界中の有名博物館・美術館で使われているという。毎年10月に『うだつの上がる町並み』で開催される『美濃和紙あかりアート展』は、美濃市制40周年記念事業として平成6年からスタートした。24回目となる今年は、2017年10月7日土曜日・8日日曜日の2日間の予定



新しい移住者受け入れの条件は…“地元の祭り”に参加できる人


『うだつの上がる町並み』が続く一番町通りは明治・大正・昭和の初期まで和紙問屋で栄え、隣の二番町通りは周辺で最も活気ある商店街として戦後から昭和50年代まで栄えていた。しかし、高度経済成長期に入り近隣に大型商業施設ができはじめると、通りはどんどん寂れていったという。

「ただ、寂れても地元の人たちが美濃町を離れていかなかったのは、地元の団結が強かったからでしょうね。毎年4月の第2土曜・日曜に行われる『美濃まつり』は江戸時代からずっと続いているお祭りで、各町組から花みこしや山車(やま)を出すので、そのお祭りを通じて町内の人たちは顔がツーツーになっています。

都会へ出て行った若者たちも、『美濃まつり』の時だけは何を差し置いても美濃へ帰ってくるというぐらい大切なお祭りなので、新しく移住してきた人にも声をかけて、一緒に参加してもらっています。別に、昔から住んでいる人とか新しい人とかは関係ない。美濃の町づくりのことを考えると、新しくここで暮らし始めた人たちにも成功してもらわなきゃいけないと思っているので、これからも美濃の町づくりに欠かせない新しい風(移住者)をどんどん取り入れていきたいですね。ただし地元の行事に参加できない人はダメ!“『美濃まつり』に楽しく参加できる人”が移住の条件です(笑)」


▲美濃の人たちにとって最も大切なお祭りである『美濃まつり』は江戸時代の雨乞い行事が起源。美濃和紙の産地らしく“しない”と呼ばれる紙の花、約300本を取りつけた『花みこし』が春の『うだつの上がる町並み』を鮮やかに彩る



地元が大好きな“地元パワー”を増やしていことが町づくり


最後に、子どもの頃から地元・美濃町の変化を見守り続けてきた土本さんに、『重伝建地区の町並み保存と今後の町づくりに欠かせないものは?』と聞いてみた。

「地元の伝統行事を守ること。そして、それをPRするための予算を行政がしっかり確保することですね。『重伝建地区』に選定されると、つい建物の修繕に関するお金のことばかり気にしますが、僕は正直なところ修繕に関しては行政の補助金に頼るのではなく、自分たちでやればいいと思っているんです。だって、たくさんの人がこの町を訪れてくれて、地元の人たちの商売が繁盛するなら、建物を守るための予算は自分たちで確保できるはず。その代わりに、たくさんの人を呼ぶためのPRについては、しっかりとお金をかけなくちゃいけないと思います。

美濃は、人も、建物も、歴史的行事も、ものすごい潜在能力を持った町。地元の伝統行事やイベントが賑わうことによって、地元の人たちが“美濃に生まれたこと”を誇りに思うことができる…これが、美濃の町づくりに欠かせないものだと考えています」

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美濃は古くから『商い』で成り立ってきた。土本さんをはじめ地域の多くの人たちが“美濃商人”らしい合理的な考えを持っていることは、円滑な町づくりの要因のように感じられる。「地元が大好きな“地元パワー”を増やしていきたい」(土本さん談)という地元の結束力によって、これからも美濃の『うだつの上がる町並み』は、新しい感性を取り入れた歴史ある町=“古くて新しい町”として発展し続けることだろう。

■美濃まつり
http://www.minokanko.com/festival/index.html
■美濃和紙あかりアート展
http://akariart.jp/
■取材協力/ドーニドーニ 美濃まちかどイタリア食堂


▲『うだつの上がる町並み』の最寄り駅、長良川鉄道『美濃市』駅の駅舎も歴史的価値のある建物だ。大正12年、旧国鉄越美南線の駅として開業。木造平屋建て・切妻造りで大正時代の標準的な駅舎の姿が残されており、今も地元市民の大切な交通手段となっている。運行本数は1時間に1本程度とやや不便ではあるが、この駅から徒歩10分ほどのところに『重伝建地区』が広がる



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