岡山の建築家グループ「古民家再生工房」の30年。地域に根ざした建築を求めて

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バブル景気に沸く1988年、世間に先駆けて古民家の改修に取り組む


岡山県に「古民家再生工房」という建築家グループがある。今年で活動30周年。設立は1988年に遡る。

1988年といえば、“バブル景気”の真っ最中だ。新築住宅の着工戸数はピークに近い168万4644戸を記録した。昨年(2016年)の着工戸数は96万7237戸だから、まさに隔世の感がある。

今でこそ、既存の住宅を“リフォーム”する、“リノベーション”するという発想も広まったが、当時は“スクラップ・アンド・ビルド(壊して建てる)”が当たり前。そんな時代に彼らはなぜ、“古民家再生”に目を向けたのだろうか。


2017年7月25日~8月6日に開催された、「古民家再生工房30周年記念 地域としての建築を考える~岡山からの発信~」展(岡山市:山陽新聞本社ビル さん太ギャラリー)



地域独自の住宅を模索して始めた民家研究から、再生改修へ


「古民家再生工房」のメンバーは、おのおのが自分の事務所を構える6人の建築家たち。1988年当時は30~40歳代で、ほとんどが独立して間もない頃だ。「当時は、家を建てるのに建築家に頼むような時代ではありません。私たちの仕事とは何か、お客さんに理解してもらうことから始めなくてはならなかった」とメンバーの1人、楢村徹さんは振り返る。

楢村さんを刺激したのは、ミラノや東京で実績があるにもかかわらず、故郷・倉敷へのUターンを選んだ矢吹昭良さんとの出会いだ。「この街で建築を志すなら、東京と競っても意味がない。それよりも地域の文化や気候風土に合った住宅のあり方を探ろうと、一緒に民家を研究するようになったんです」

その民家研究も、当初の目的は新築住宅の設計にあった。1984年、矢吹さんは分譲住宅地のモデルハウスを依頼され、民芸調の「赤と黒の家」を設計する。“現代に甦る新しい民家”と銘打ったその家には、すぐに買い手がついた。好感触を得た住宅分譲会社は、さらに、矢吹さん、楢村さんを含む4人の建築家による「実物住宅展示会」を開催。多くの来場者を得て注目を集めた。

これに目を付けた地元テレビ局のディレクターが、1987年の「国際居住年」に合わせたイベントを楢村さんたちに依頼する。このとき楢村さんが着想したのが“古民家再生”だっだ。

「当時、僕らは日本の建築雑誌ではなく、イタリアの“アビターレ”や“ドムス”を愛読していました。向こうでは何世紀も前の建物を再生利用するのが当たり前で、それが新築よりだんぜん格好いい。日本に置き換えれば、素材は民家でしょう。そこで、テレビでいらない民家を募集して、移築再生しようと提案したわけです」(楢村さん)

テレビの影響力もあり、応募された民家は40~50軒に及んだ。現地調査に赴くと、家主たちは「本当は残したいけれど、方法が分からない」という。改修の必要性を実感したことが「古民家再生工房」設立の契機となった。

番組では、応募された民家のうち、ほどよい大きさで骨組みの状態のよい古民家2棟を選んで移築。大胆な改修を経て、現代の生活に合う住宅に生まれ変わらせるまでをドキュメンタリーとして放送した。多くの人に古民家再生の“ビフォーアフター”を見せられる、またとない機会だった。


30周年記念展に展示された、古民家再生工房設立の経緯を記録したパネル。中ほどに矢吹さんが設計した「赤と黒の家」の広告が見える。左下2軒が矢吹さんと楢村さんによる、実物展示の新築住宅。右下のカラー写真2軒が、ドキュメンタリー“甦る民家”で移築再生した古民家



古民家はあくまでも“素材”。“保存”ではなく“再生”を目指す


矢吹さんと楢村さんに、神家昭雄さん・大角雄三さん・佐藤隆さん・萩原嘉郎さんを加えた6人が、「古民家再生工房」の30年間変わらぬメンバーだ。

6人は共同設計を行うわけではなく、1軒1軒の仕事は各自の事務所で請け負う。しかし、情報の共有や発信にあたって、チームの意義は大きいという。「再生の方法も、初めのうちは手探り。6人の経験を持ち寄ることで、技術の蓄積は早かったと思う」と神家さん。「施主に再生を理解してもらうには、実物を見せるのが一番。まだ仕事が少なかった頃は、お互いの作品を見せ合ったものです」と大角さん。

6人に共通するのは、古民家を“創造のための素材”と捉えていることだ。「僕らの目的は、民家の“保存”ではなく、使い続けることなんです」と神家さん。保存運動をしている人からは、「民家を食い物にするな」と言われたこともある。しかし「民家は住む人のためのもの」と楢村さんは言う。「モダンに生まれ変わって、若い世代が喜んで住んでくれれば、結果として長く残っていくはずです」

「何より、古民家はデザインの対象として純粋に魅力的。時間を蓄積させた土着の素材は強い力を持っている。どう変え、何を加えるか、慎重にデザインしなければなりません。たとえば、ガラスブロックやアルミを入れれば、そのときは新旧の対比がおもしろいかもしれないが、10年も経てば違和感が生じるでしょう。異なる時間軸の重なりが、相乗効果を維持するように再生したい」(楢村さん)

たとえば、江戸時代の納屋を改装した楢村さんのオフィスには、既存の古い骨組みに、モロッコのカスバにあるものと同じ土壁と、ヴェネチアのイタリアンスタッコの壁が組み合わされている。「材質や色など、世界各地の地域と歴史に根ざした“本物”に学び、現代風にアレンジして使っています」と楢村さん。


上/神家昭雄さんの再生事例「戸津野の家」。リビングに吹き抜けを設け、明るく開放的な空間に(写真:神家昭雄建築研究室) 下/大角雄三さんによる「玄孫(やしゃご)」。築160年の蔵を移築して飲食店に生まれ変わらせた(写真:大角雄三設計室)



次世代に引き継ぐ、「地域ならではの建築」の探求


「古民家再生工房」設立7年目の1995年、6人は共著で「古民家再生術」(住まいの図書館出版局)を出版した。1999年には日本建築学会賞(業績部門)を受賞している。このほかにも、節目節目に共同で展覧会を開催したり、作品集を出版したりと、6人共同の活動を継続してきた。今も月に1度は顔を合わせて意見交換を続ける。「最近は、病気の話題が多くなったけどね」と神家さんは笑う。メンバーも齢を重ねた。

30周年の記念展は、楢村さん、大角さん、神家さんの3人が中心になって開催した。展示には、おのおのの事務所から巣立った、8人の若手建築家も参加している。記念講演の挨拶に立った楢村さんは、彼ら次世代へのエールを贈った。

「われわれは、建築家として地域で仕事をする意味を、時間をかけて追求してきた。飛び抜けた才能がなくても、ひとつのことを一生続ければ、何かは残るだろう。再生にこだわる必要はないし、表現は変わってもいい。地域の独自性を突き詰めて、自分のオリジナルを見付ける、その意思だけは若い人にも引き継いでいってほしい」


30周年展を開催した「古民家再生工房」のメンバー。左から楢村徹さん、大角雄三さん、神家昭雄さん



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