「高田世界館」日本最古の映画館の、解体の危機から再生に至るまで

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芝居小屋の名残が残る築106年の映画館


最近の映画館は、アミューズメント施設化が進んでいるようである。座席が揺れたり風が吹いたりする最新設備の映画館も魅力的だが、一世紀前からほぼそのまま残りいまも現役で上映する映画館があることをご存じだろうか。多くの人々が過ごした歴史ある空間で見る映画は、ここでしかできない体験となるかもしれない。

新潟県上越市にある「高田世界館」は、1911年(明治44年)建築。当時、軍隊が近隣に誘致され、約2,000人の人が移り住んできた。急激に増えた人口に対応しようと、問屋街だったまちは急ピッチで商業開発が進む。牛鍋屋や旅館など、相次いで新しい店が増えた。そんな中、娯楽の需要に応える施設として芝居小屋「高田座」ができた。(現、高田世界館)当時の新聞には『ルネッサンス式白亜の大劇場』と記されたそうだ。芝居小屋として営業をしたのは5年だけで、すぐに映画館に業態を変更。「世界館」と名称も変更するのだが、いまも建物には芝居小屋だった名残が見られる。

2階から舞台を見下ろせる座席に、映画館には設置されることのない窓。舞台の下に設けられた奈落、長年映画館として利用されてきた歴史の残る映写室…。歴史的に貴重な建築であり、また当時の映画文化の軌跡を知るヒントともなる建物は、2009年に近代化産業遺産に、2011年には国の登録有形文化財に指定されている。

当時のままの設備が残る映画館としては、日本最古と言われる高田世界館。一時期は解体も検討された建物を、どう維持・保存したのか、これまでの歩みを伺ってきた。


高田世界館の2階からの風景。木の装飾がなされた天井には、昔シャンデリアが飾られていたそうだ



中越沖地震により解体の危機に


「2007年に発生した中越沖地震により、建物は大きなダメージを受け、あちこちから雨漏りをするようになりました。このままでは営業は継続できない。でも、修復しても採算は合わないと判断され、当時のオーナーは閉館を決断し、建物も取り壊しが検討されていました。」と、NPO法人「街なか映画館再生委員会」の委員長岸田 國昭さん。

高田世界館は、その時代ごとに業態を変え、名称を変えて営業を続けていた。廃業をすることが決まった時の名称は「高田日活」、成人映画を上映していた。

「成人映画を上映しながら、この映画館ではさまざまなイベントが行われていました。舞台や演劇をしたり、ストリップもあったりと多目的な建物でした。落語家の三遊亭白鳥は私の同級生なのですが、彼が真打になったときに後援会をつくりました。映画館で落語会を開いたりして、なじみのある建物だったんです。そういう縁もあって、閉館すると聞いて、なんとか保存できないかと有志で動き出したのがはじまりです。」

映画館は2009年に閉館。同年、岸田さんら地元有志10名によるNPO法人「街なか映画館再生委員会」が発足した。オーナーと相談の結果、建物を無償で譲渡してもらうことになり、修繕をしながら維持・活用の道を探ることとなる。


高田世界館の外観。正面から見る外壁はペンキが塗り直されているが、駐車場側はトタン壁になっている



市民と力を合わせて少しずつ修繕を重ねる


廃業に至った主な原因は老朽化による雨漏りだったが、開業からほとんど大きな改修がされていない建物や設備は、大規模な修繕が必要なほどに全体的に傷んでいた。助成金や市民からの募金などの援助を受けながら、段階を踏んで修繕が進められていったという。

問題だった雨漏りは一時的な処置をしたところ収まったので、他の部分の修繕からはじめることに。2009年7月、上越市の歴史的建造物等整備支援事業への申請が通り、カビだらけになっていた1階の床の張り替え作業を行った。椅子もボロボロだったので、椅子の張り替え資金として募金を募った。1人1席1万円で、賛同してくれた人のネームプレートをつけるというもの。ボランティアの人たちが集まり、まず椅子を床から外し、椅子のクッション部分の取り外しを手伝った。椅子からは、ワラが出てきたそうだ。その後職人さんが椅子の張り替えをして、全ての椅子が綺麗に座れる状態になった。

さらに、2011年上越市の地域協議会費の援助を受け雨漏りの原因になっていた屋根瓦を修繕。2014年には外壁の修繕、2015年にはトイレや基礎、通路などの改修をしている。市や財団などの支援を受けながら、また掃除のお手伝いや寄附など市民の協力を得ながら、高田世界館は一歩ずつ再生していったのだ。


左:椅子の裏側には、募金に賛同した人の名前を記したプレートが取り付けられている<br>右上:2階の椅子。昔のままの大きさのため、少し小さ目のつくりだ<br>右下:JR東日本鉄道財団の援助により、高田世界館前の通路が綺麗に整備された。それ以降、近所の人が植物のお世話をしてくれるようになったとか



建物の魅力を伝える見学ツアーも開催


高田世界館では、不定期で見学ツアーを開催している。取材した日も、観光客や建築学生が上映の合間に見学に訪れていた。

「他の映画館は、音響や映像の品質を高めるためにどんどん設備投資をして改装をしていきました。サウンドが新しく変化していき、箱も立方体の方が反響が良い。設備を更新していくことで映画館は無機質なものになっていきました。
高田世界館も、本来ならばそうするべきだったのかもしれませんが、現状の設備のままで上映できる業態を選択し、言わばニッチなジャンルの映画を取り扱ってきました。成人映画ならさほど大きな音量でなくても上映ができます。他の映画館が無理な投資をして閉館していくなか、あえて大きな投資をしなかったことが長く続けてこれた理由かもしれませんね。

昔のまま、フィルムの映写機も残っていますよ。1950年代と1970年代の映写機ですが、昔のものは優秀で現役です。フィルムの映像は暗みが合って奥行きがよく見えていいですよ。昔はフィルム缶を隣の映画館に運んだりして上映していたようです。昔のフィルムはすぐに熱くなり自然発火することもあったので、天井には熱を強制排気するための通気口が残っています。火の神様も祭ってあります」と、岸田さん。

ご年配の方たちは、「昔はこんな映画を見た」「フィルム缶を運んでいるのをよく見た」と懐かしがっていた。若い世代の人たちは初めて見る映写機に一様に驚いていた。映画の歴史にも触れられる、ここでしか得られない貴重な体験である。
高田世界館の見学は旅行会社の観光ツアーに組み込まれるなど、高田の観光スポットのひとつになっているようだ。


高田世界館2階にある映写室。当時の映写室は非常に高温になりやすかった。火事になったときの場合に備えて、床には鉄板が敷かれている。壁には火の神様が祭られていた



資料館・カフェの開業も視野に


2014年からは、上野迪音さんが支配人として常駐することになった。大学で映画評論を学んだ後、地元の上越にUターンした上野さんに、岸田さんが声をかけたのがきっかけだと言う。以降、火曜日の定休日を除いて、安定した上映ができるようになった。

運営について、上野さんは「安定してお客さんが来てくれるよう、反応を見ながら上映スケジュールを考えています。じょじょに来場者が増えてきてはいますが、映画によってもまちまちですね。シニア層の方が多いのですが、若い方たちにも映画に来てほしいです。今後も色々とイベントを実施しながら、近隣の店舗とも連携をして賑わいをつくっていきたいです」と話してくれた。

今後は、高田世界館のそばに、資料館をつくることを計画しているそうだ。カフェも併設し、映画の前後に高田世界館についての資料を眺めたり、お茶をして寛いだりすることができる場所になる予定だと言う。解体の危機から10年。高田世界館は、建物の再生を経て、さらに人が集う場所として進化を遂げようとしている。


左上:高田世界館入口。入口横には近代化産業遺産と登録有形文化財のプレートが<br>右上:「次週上映」の看板。当時のままのレトロな掲示<br>左下:映画の後、支配員の上野さんに映画の感想を伝える来場客の人たち<br>右下:支配人の上野迪音さん



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