名古屋市「伏見地下街」の賑わいが復活!起爆剤となった「アート」と若き美術商の存在とは?

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10年前には閑散としていた地下街が、見事な復活を遂げた軌跡を辿る


全国各地の商店街が苦境にあえぐ中、「シャッター通り」から復活を遂げ、かつての賑わいを取り戻しつつあるのが、名古屋市にある「伏見地下街」だ。

10年ほど前までは、全国の駅前商店街と同じような光景が広がっていた。地下鉄伏見駅に直結した便利な立地にありながら、地下街を歩く人たちの姿はまばら。昭和レトロの趣が漂うといえば聞こえはいいが、軒を連ねる繊維問屋は開店休業状態で、通りには空き店舗が目立ち、すっかり活気が失せていた。

こうした状況にあった伏見地下街は、どうして奇跡の復活を為し得たのか。その起爆剤となったのは「アート」であり、復活の立役者の一人となった若き美術商の存在だった。


まるで廃墟のような光景が一変、賑わいを取り戻した伏見地下街



2010年から始まったアートイベント「あいちトリエンナーレ」が契機に


名古屋の地下街の歴史は、今を遡ること60年前、1957(昭和32)年の地下鉄開業とともにオープンした「名駅名店街」と「栄街名店街」に端を発する。そして、この2つの地下街に遅れること1日、「長者町地下街」の名称で開業したのが、現在の伏見地下街である。

名古屋市の長者町といえば、繊維問屋が集まる街として知られる。そんな長者町と地下鉄伏見駅とを結ぶ場所に、繊維問屋が建ち並ぶ地下街を形成しようと協同組合が組織され、繊維問屋ばかりが店を出す、世界に類を見ない地下街として話題を集めたのが「長者町地下街」だった。

しかし、国内の繊維産業の衰退と歩を合わせるように、伏見地下街も寂れていった。客足は徐々に遠のき、近隣のオフィスビルに向かう通勤客以外は、ほとんど足を向けない場所になりつつあった。

そんな伏見地下街の転機となったのが、2010年に始まった「あいちトリエンナーレ」である。愛知県で3年に1度開催される国内最大級の現代アートのイベントだが、2回目の開催となった2013年、台湾のアーティストの手によって地下街にマジックアートが描かれ、街の雰囲気が一新したのである。そして「あいちトリエンナーレ」は、もう一つの起爆剤をもたらした。現代アートを中心とした美術商を営む、岡田真太郎氏である。

岡田氏は、東京・渋谷で展開する「渋家(シブハウス)」のコンセプトワークにも携わっている。「渋家」とは、アーティストやクリエーター、エンジニアなどの創造者が集う一戸建てのシェアハウスで、「家を借りるという行為」に着目した現代美術の作品でもある。2013年に開催された「アートフェア東京」に出品し、2億5000万円という販売価格とともに大きな注目を集めた。作品の素材自体が不動産であることから、その取り扱いを含めた販売全体を支援するのも岡田氏の役割だ。



あいちトリエンナーレを機に描かれたトリックアート



ピーク時には3割近くに及んだ空き店舗を、地道な努力の末に解消


「きっかけは2010年の『あいちトリエンナーレ』を伏見に見に来たこと。イベントの運営の様子を見たいと足を運んだだけで、それまでは地下街の存在自体も知りませんでしたが、伏見駅に直結する立地に大きな可能性を感じました」。こう当時を振り返る岡田氏はその後、伏見地下街の店舗を購入し、自らも地下街の運営に乗り出すことになった。

伏見地下街の特徴は、名古屋の他の地下街が会社組織によって運営されているのと違い、商店主らが加入する組合によって運営されていること。そして、その運営は、店舗所有者の合議制で行われていた。店舗1軒につき1票というのが組合のルールであり、新参者である岡田氏でも、地下街全体の運営に参画することができたのだ。

伏見地下街は2013年の「あいちトリエンナーレ」以降、ユニークなイベントを次々と企画していった。2007年から6代目理事長に就任した小池建夫氏が中心となり、骨董市やワインフェスタ、立飲みイベントなどを実施。こうした話題作りが奏功し、地下街はかつての賑わいを徐々に取り戻していった。

そして岡田氏も、空き店舗を減らすべく奔走した。各地のイベントで出店に興味がありそうな人を掴まえては、「伏見地下街に出店してみませんか?」と積極的に声を掛けた。こうした苦労が報われ、ピーク時には3割近くあった空き店舗が徐々に埋まり、今では人気の飲食店が立ち並ぶ、名古屋屈指の飲み屋横丁となりつつある。全長240mの地下街にはすでに空き物件はなく、今や出店希望者の待ちができるほどだという。


(写真上)地下鉄伏見駅の改札と直結(写真下)話題のハンバーガーショップや立ち飲み屋などが軒を連ねる



伏見地下街での成功を、全国の苦しむ商店街へと波及させたい


「もともと伏見地下街は20時半に閉まっていましたが、それを23時まで開けるようにしましたし、組合に許可を取れば、通路で物販を行ったり、パフォーマンスをすることも可能にしました。とにかく人が集まるような楽しい企画を実施することを念頭に置いています」と岡田氏は話す。


「伏見地下街に関わるようになったのは、不動産に関する知識や経験を得たいという側面も大きかった。そのため、とりわけアートを前面に押し出すのではなく、純粋に地下街を良くすることに主眼を置いています。そして、不動産の価値を高め、街全体が面白くなっていく様子を見せていきたい。その盛り上がりに現代美術が絡んでいることを知ってもらえば、不動産の価値を高める手段としてのアートの可能性を感じてもらえると思っています」(岡田氏)。

青息吐息の商店街が多い中、伏見地下街復活の立役者の一人となった岡田氏の視線は、全国へと向けられている。
「個人的には、商店街には大きな可能性が秘められていると思います。伏見地下街では、LED照明を導入するといった省エネに取り組んでいますが、こういった手法は他の商店街でもすぐに実践できます。例えば、全国の才能ある若い人たちを発掘し、その地域の商店街に、コスト削減案と一緒に若者達の活躍の機会を提供するような取り組みを提案すれば、きっと無理なく受け入れてもらえるはずです。伏見地下街を成功事例として、全国の商店街に同様の活性化案を展開していけば、面白いことが起こるような気がしています」(岡田氏)

地下街での成功が、日本各地へと波及し、寂れた町が活気を取り戻していく――。伏見地下街復活の立役者が、全国に数千ある商店街の救世主になる日がやってくるかもしれない。


伏見地下街の専務理事を務める岡田氏



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