重要文化財に指定された「旧双葉幼稚園園舎」。3代に渡り園長か守った建物を見てきた

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十勝管内の建築物で初、重要文化財に指定された「旧双葉幼稚園園舎」


北海道帯広市に91年もの間「赤い丸屋根の幼稚園」として市民に親しまれた旧双葉幼稚園の園舎が、2017年7月に重要文化財に指定された。十勝管内の建築物でははじめてとなる重要文化財である。
双葉幼稚園は、1911年に帯広ではじめての幼稚園として誕生し、1922年に現在の園舎が完成した。2010年には登録有形文化財となり、2013年に100回目の卒園式を迎えたあと、幼稚園としての長い歴史に幕を閉じた。閉園以来、旧職員など関係者らで結成した「双葉幼稚園保存期成会(現栴檀の会)」が重要文化財の指定を目指し、資料整理に取り組んできた。園舎には、建設当時の設計図や寄附帳、保育日誌など100年分の膨大な資料が残されていたため、重要文化財の指定に十分な資料を示すことができたのであろう。だが、関係者の方たちだけで整理するには大変な苦労があったと推測する。

普段は公開していないが、重要文化財の指定を記念して、一般公開「双葉幼稚園展」が行われたので取材に訪れた。園舎の活用方法を地域住民らと考える機会にしようと栴檀の会が企画した。栴檀の会は、30年近く双葉幼稚園の改修に携わってきた建築家の川村善規氏、双葉幼稚園の園長の直系の一族である河野マリ子氏に加え、旧職員2名の4名で活動している。

園舎は建築当初のガラスが今も残るなど、91年間現役の幼稚園として使われていたとは思えないほど状態が良い。園舎に残されていたという膨大な資料も展示されていた。どれだけ大切に使われてきたのだろうか。その背景をひも解くには、幼児教育に人生を捧げた3代に渡る園長の存在を欠かすことはできなく、さらにそれを後世に引き継ぐべく多くの関係者によって支えられていることがわかった。


赤いドーム屋根が特徴的な1922年築の木造洋風建築(栴檀の会提供)



意匠性と歴史的価値が評価。無私無欲な園長3代が築いた幼稚園とは


旧双葉幼稚園園舎は、日本聖公会北海道教区が所有しており、歴史を振り返ると、初代園長となる大井浅吉が1895年に定住伝道師として帯広での布教活動に入ったところまで遡る。帯広にはじめて入植者が入ったのが1883年のことなので、帯広開拓初期のことであろう。
双葉幼稚園の前身は、1896年に大井浅吉が開設した教会の日曜学校だ。当時、小学校は1つあり、小学生以下の幼児教育の必要が生じたため、1911年に教会の集会所で双葉幼稚園が誕生した。ほとなくして手狭になり、新園舎の建築の検討かはしまった。大井浅吉の妻・鈴の妹てあり、後の2代目園長となる臼田梅か、保母の資格を取るために仙台の青葉女学院へ行き、フレーヘルの幼児教育を習得した。

フレーベルは、幼稚園の創設者で、ドイツの教育学者である。幼児の教育には遊びや作業を中心にすべきだと考え、恩物という玩具などを考案している。球体、四角形、三角形といったシンプルな形や色でできており、握ったり転がしたり積み上げたりと楽しみながら認識力や表現力、想像力を自然に学ぶことができるというものだ。恩物は、その後の双葉幼稚園での幼児教育の基礎となっている。

園舎は2代目園長の臼田梅の考案をもとに建てられた。重要文化財の指定にあたって、建物の意匠性と歴史的価値が評価されている。遊戯室を中心にして四方に教室がある梅鉢型の園舎は、近代の幼稚園建築の基本計画のひとつであるが、大正期に建てられた園舎として希少である。さらに、正方形平面の園舎の中央に八角形平面の遊戯室をおき、高い吹き抜けにドーム屋根がのっている。臼田梅は、フレーベルの球体や、三角形、四角形から着想を得て、梅鉢型を基本としながら独創的な意匠性の高い空間を構想したのだ。

大井浅吉は、伝道師としての研鑽を重ね、道内の伝道活動に精力的に取り組み、臼田梅は、幼児教育の専門家として、双葉幼稚園での教育に情熱を傾けた。
3代目園長の臼田時子は、大井浅吉の末娘であるが、幼くして両親をなくし、叔母・梅の養女となり、臼田梅とともに幼児教育に専念した。そして、養母から引き継いだ幼稚園の設備の充実に努めながら、38歳から93歳まで55年もの間、園長として双葉幼稚園を守り抜いた。無私無欲な3人の園長たちの情熱が、今もこうして関係者らによって引き継がれ、今回の重要文化財の指定にまで至ったのだろう。


(左上)飾られていた園長3代の写真(左下)建築当時の設計図。重要文化財に指定されている(右)開放的な遊戯室。ドーム天井をみることができる



建物や道具を大切にする幼児教育


園舎の中は、幼稚園という子どもがいた場にも関わらず、建てられた当時のガラスが今も現役で使われているなど、保存状態がとても良いことがみてわかる。
「戸一つ開けるのも、慎重にするよう先生方に厳しく、こうして下さい、こうしちゃだめです、と言っていました。子どもを育てるよりも、先生を育てているようにも見えましたね。」と臼田時子園長の姪であり、自身も双葉幼稚園を卒園している栴檀の会の河野マリ子氏は言う。
「ボール遊びは、床で転がす。廊下は走らない。椅子の持ち方一つにしても決まりがあり、引きずらないように、と指導されましたね。私たちがそうやっているのを見て、自然と子どもたちも建物や道具を大事にするように対応していきます。当時、子どもたちの所作や言葉使いが綺麗だとよく言われていました。」そう語るのは、当時の幼稚園の先生たちだ。「厳しい園長先生で、若い頃はよく辛い思いをしましたが、それも今となってはいい思い出。感謝していることも多いです。」と当時を振り返った。
もっとのびのびと、活発に動かしてあげたいという気持ちとの葛藤もあったというが、みんなが園舎を大切に使ってきたことで、今こうして建物が残っているのだろう。
臼田時子は93歳まで園長として現役だったわけだが、晩年はちょうど良く園舎の隣に建設された老人ホームに入所し、車いすで園長の仕事を続けていたという。幼稚園に懸ける思いは並大抵のものではないように感じる。


(左上)ガラス戸。当時のガラスをみることができる(左下)保育室内の椅子とテーブル。幼児教育で使われた道具が残っている(右上)開園当初から使われている現役の松本リードオルガン(右下)遊戯室から園庭を望む。奥には園長先生が晩年を過ごした老人ホームがある



さまざまな巡り合わせのなかで守られてきた園舎


今回の一般公開「双葉幼稚園展」では、栴檀の会以外の当時の先生たちなど多くのボランティアが、来園者を歓迎していた。生涯を双葉幼稚園に捧げた3人の園長の情熱と、それを引き継ぐ人たちで、双葉幼稚園園舎は守られている。
栴檀の会の川村氏に話を聞いていくと、さまざまな偶然が重なり、今に至っているのだという。そもそもは勤めていた会社の初代が園舎の棟梁であり、改修に携わったのがきっかけで、30年近く建築面から双葉幼稚園を見守ってきた。「園舎を含めて幼稚園を守る、という園長先生の姿を見ていました。園長先生と、建物を残すためのお手伝いをしますよ、と約束していたんです。」
当時の先生たちは、今もこうして保存に関わっているのは、一つの使命のようなものだという。「何よりも双葉幼稚園が好きなんですよね。自分たちが歳を取っても、こうしてお手伝いをして、関わらせていただきたいと思っています。」
また、卒園生たちの間では、「ポプラと赤くてまるい屋根の幼稚園」と親しまれていたそうだ。園庭に植えられたポプラの木は、いつしか幼稚園の屋根よりも高く育ち、ドーム屋根とともに幼稚園のシンボルとなっていた。しかし、20年ほど前にポプラの木に雷が落ち、木が犠牲となることで、園舎を守ってくれたという話も聞くことができた。

このように3人の園長が築き、守ってきた双葉幼稚園はさまざまな人や環境の巡り合わせが重なり、閉園した今も守られているように感じる。
今後の活用に関しては、未定だが、帯広の歴史を代表する貴重な建築物として、ここに関わる多くの人によって維持されていくだろう。
幼稚園という役目を終えた建物が、今後どのように保存活用されていくのか、期待したい。


竣工当時の旧双葉幼稚園園舎。増改築を繰り返しながらも当時の姿そのままなのがわかる



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