重要文化財「旧志免鉱業所竪坑櫓」。日本の近代化を支えた炭鉱の歴史と保存活用の取組み

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価値が見直され、国の重要文化財に指定された「旧志免鉱業所竪坑櫓」


福岡市の東側、福岡市博多区に隣接する位置にある志免町(しめまち)。福岡空港にも近く、福岡都市圏中心エリアのベッドタウンとして発展してきた。その面積は県下で3番目に小さいようだが、人口密度は全国の町村で1位(2010年国勢調査)にもなっている。

ほぼ平坦な町の中央付近、市街地よりも10mあまり高い低丘陵地の上に立っているのが、かつて石炭の採掘に使われていた「竪坑櫓(たてこうやぐら)」だ。1943(昭和18)年5月10日に竣工した鉄筋コンクリート造の櫓は、高さが47.6mに達し、近代の鉄筋コンクリート造建築物の中でも国内有数の高さを誇っていたという。

しかし、1964(昭和39)年に閉山(竪坑は1966年に閉塞)されてから、放置される状態が長らく続いてきた。竪坑櫓の産業遺産、土木遺産、軍事遺産としての文化財的価値が見直され始めたのは1995年頃からのようだ。その後の調査などを経て2007年7月31日に国の登録有形文化財、2009年12月8日に国の重要文化財(建造物)の指定を受けている。

重要文化財の指定をきっかけに、志免町は本格的な修理に乗り出している。日本の近代化を支えた竪坑櫓が、志免町のランドマーク、歴史と文化のシンボルタワーになることも期待されているようだが、現状はどうなっているのだろうか。そこで、竪坑櫓のこれまでの経緯や今後の計画などについて、志免町社会教育課の徳永博文氏にお話を伺った。


もうすぐ竣工から75年になる竪坑櫓。破損箇所も目立つようになっている



海軍から国鉄へ。国内で唯一、国が関わり続けた「旧志免鉱業所」


日本が近代国家に生まれ変わるための重要なエネルギー源だった石炭だが、九州北部には数多くの炭田があり、志免町では江戸時代から個人の石炭採掘が行われていたという。1889(明治22)年に志免鉱業所の前身となる海軍新原採炭所が開かれ、志免町に採掘が広げられたのは1906(明治39)年のようだ。戦時中は軍事上の重要な施設であったが、上層炭が枯渇し始めたために下層炭の開発が必要になり、巨大な竪坑櫓が計画された。

1941(昭和16)年12月28日に建設着手、1943(昭和18)年5月10日に竣工した竪坑櫓は、その真下にまっすぐ掘られた深さ約430mの「竪坑」を使い、坑員を地下の石炭層まで下ろしたり、採掘した石炭を地上に引き上げたりしていた。竪坑櫓は巨大なエレベーター施設だと考えればイメージしやすいだろうか。

「深い竪坑だったために、そのぶん櫓の高さも必要だったのですが、その当時すでに周辺の施設が整備されていたため、機能を絞り込んだ竪坑櫓にすることが計画されたようです。そのため、竪坑櫓そのものの機能美、美術的価値も備わったのではないでしょうか」(徳永氏)

しかし、完成した竪坑櫓が威力を発揮する前に第二次世界大戦が終わり、1945(昭和20)年12月に「運輸省門司鉄道局志免鉱業所」、1946(昭和21)年12月に「運輸省志免鉱業所」(運輸省直轄)となった後、1949(昭和24)年6月に日本国有鉄道志免鉱業所として生まれ変わっている。1964年に閉山されたときは旧国鉄が所有する施設だった。

「九州北部だけでなく、全国には数多くの炭坑、鉱業所があったものの、その運営に最初から最後までずっと国が関与していたのはここだけです。国が関わっていたからこそ、これだけ大きな竪坑櫓を造ることができたということでしょう」(徳永氏)

閉山後、鉱業所は旧国鉄所有のまま、竪坑櫓は石炭合理化事業団に譲渡されていたが、竪坑櫓とその敷地など全体が1980(昭和55)年にNEDO(旧:新エネルギー総合開発機構、現:独立行政法人新エネルギー・産業技術総合開発機構)に譲渡され、2006年4月からは志免町の所有となっている。

「竪坑そのものは小さなものも含めて九州に100ケ所ほどあり、全国にはほぼ同数の竪坑がありました。そのほとんどが取り壊されるなかで、旧志免鉱業所の竪坑櫓は石炭の研究施設にする目的もあったために、そのままの形で残されたのです」(徳永氏)


旧志免鉱業所の模型の一部。鉱業所自体が大きな施設だったことが分かる



現存する中で、世界有数の遺産となった竪坑櫓


ところが、NEDOなどによって竪坑櫓が活用されることはなく、そのまま放置される状態が続いてきたという。いわば「廃墟」のような扱いを受けてきたのだが、竪坑櫓が注目されたのは1995年頃のようだ。

「私が志免町の教育委員会に入ったのは1992年ですが、主に埋蔵文化財などを担当していたこともあり、当初は正直言って竪坑櫓の価値は意識していませんでした。しかし、産業考古学会の人から竪坑櫓の重要性を指摘され、『何が貴重なのか』を調べるために全国各地の鉱業所跡や世界の類似遺産を個人的に調査したのです」(徳永氏)

調査の結果、志免と類似する形式の櫓で現代まで残されているのは、世界中をみてもベルギーのブレニー鉱業所竪坑櫓と、中国撫順の龍鳳鉱業所東竪坑櫓の2ケ所だけであることが分かったという。それらの中でも志免町の竪坑櫓は最大級の高さのようだ。ちなみに、ベルギーの施設は周辺の遺構も含めて2012年に「世界遺産登録」がされている。

「旧志免鉱業所竪坑櫓は2009年に重要文化財として指定されていますが、その準備の際にはほとんど資料が残されておらず、かろうじて九州大学で図面や資料を見つけることができた程度です。そのため独自に調査をしなければならない難しさもありました。石炭産業遺産に関する本格的な発掘調査も志免が初めてだったといえるでしょう。その後は、他の鉱業所跡地などでも当たり前のように調査が進められるようになりました」(徳永氏)

竪坑櫓の修理についてはこれまで実態調査や研究が重ねられてきたが「2019年から4年程度かけて工事を実施する予定」(徳永氏)だという。しかし、重要文化財指定による制約もあり、工事が困難な部分も多いようだ。現在は竪坑櫓を取り囲むフェンスの外側からしか見学できないが、いずれは櫓の足元や1階部分からの見学を可能にすることが計画されている。

「一般的な竪坑櫓で屋上に登る手段は梯子ですが、この竪坑櫓には階段室が設けられました。当時は展望台のような使われ方をしていたのかもしれません。点検のために定期的に内部へ入っていますが、老朽化のために危険も多くなっています。重要文化財としての規定を守りながら安全確保のための補強工事をすることは難しく、一般の人が上階まで上がることができるようにするのは容易ではありません」(徳永氏)

「しかし、竪坑櫓の存在そのものを志免町住民のアイデンティティー、子供たちの郷土愛につなげたいと考えています。いったん他の都市へ出た子供たちが町へ戻ったときのシンボル的な存在として引き継いでいくことが大切ではないでしょうか」(徳永氏)

竪坑櫓のまわりには、総合福祉施設「シーメイト」やナイター設備を完備したグラウンド、多目的広場、子供たちのための施設などが整備され、竪坑櫓をバックにさまざまな催しが開かれているようだ。竪坑櫓の修理が進み、町民だけでなく多くの人にとって親しみのある存在になることを期待したい。


旧志免鉱業所が操業していた頃の町の様子(総合福祉施設「シーメイト」内の展示写真より許可を受けて撮影)



まちおこしの一環として、竪坑櫓を題材にした「かるた」を制作


旧志免鉱業所では約6,000人が働いており、その閉山によって町は大きな打撃を受けたという。だが、その後は概ね人口の増加傾向が続いているようだ。閉山後に約1万6,000人まで減少した人口は、2018年1月1日時点で4万5,814人(志免町ホームページの記載による)となっている。福岡市のベッドタウンという地の利もあるが、人口増加が続いている背景には、まちおこしのための関係者による地道な努力もあっただろう。

その一つとして、旧志免鉱業所竪坑櫓を題材にした「志免町炭鉱かるた」が制作され、町民による「志免町炭鉱かるた大会」が毎年開催されているようだ。そこで、「旧志免鉱業所の歴史を学ぶ会」会長(社会福祉法人志免町社会福祉協議会会長)の森内平氏にお話を伺った。

「旧志免鉱業所の歴史を学ぶ会」では毎月、勉強会を開いているのですが、社会教育課の徳永さんによる歴史講座を受けたのがきっかけとなり、会員から鉱業所のかるたを作ったらどうかという提案がありました。もともと『学ぶ会として何かをしたい』という話はあったのですが……。炭坑の町だった歴史を学ぶのにも最適だろうということで、有志20数名が集まり、推敲や試行錯誤を重ねながら2年くらいかけて制作したのが、このかるたです」(森内氏)

かるたが完成したのは2014年3月とのことだ。見せていただいたかるたには、それぞれ炭坑や竪坑櫓の特長、町の歴史などが書かれており、これをひととおり読むだけでも志免町の近代史を学ぶことができそうである。


「旧志免鉱業所の歴史を学ぶ会」の活動についてお話を伺った森内氏



かるたを通じた世代間交流だけでなく、町を離れた人たちとの交流も


かるたが完成した翌年から開催されている「志免町炭鉱かるた大会」は、これまで町との協働事業として「旧志免鉱業所の歴史を学ぶ会」が主催してきた。2018年2月3日に予定されている第4回からは、志免町主催の大会として開催されることになっている。

「かるた大会の参加者は年々増えており、第3回(2017年2月4日)は約170人が参加しました。3人1組のチームに分かれて競い合いますが、町内に4校ある小学校の生徒さんからお年寄りまで幅広い年代の方々に参加していただき、世代間交流の役割も果たしています」(森内氏)

かるたを作ったことで、思いがけない反響もあったという。

「鉱業所の閉山によって全国に散らばった旧国鉄の人から『かるたを送って欲しい』という要望が相次ぎました。また、その際のやり取りをきっかけにして、鉱業所が操業していた頃の町の古い写真がいくつか寄せられ、貴重な資料となっています」(森内氏)

町を離れた旧国鉄の職員が竪坑櫓を懐かしく感じるのと同じように、いまの子どもたちが大きくなってからも、竪坑櫓はしっかりとその記憶に留まりつづけることだろう。遺産として価値のある構造物を物理的に保存することはもちろん重要だが、それを活用したソフト面での取組みもしっかりと考えていくことが欠かせないようだ。


「志免町炭鉱かるた」の一部。約2年がかりで完成させたという



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