連載 令和30年に思いを馳せて 未来を考える② 旅行予約サイトの紆余曲折

ジョルダンニュース編集部

「じゃらん」(左)と「楽天」

 出張に行こうとしたとき、インターネットの旅行予約サイトを利用し、宿を予約する。エリア、宿泊日などを指定し、表示された候補の中から自分に合った宿を選ぶ。今では当たり前になったやり方ではあるが、インターネットが現れたことで当然に登場したサービス、という訳でもない。どんな業界にもその業界にユニークなそれまでのやり方があり、それを変えるというのは簡単なことではない。

 宿の予約サイトで国内No.1を楽天グループの「楽天トラベル」、リクルート社の「じゃらん」が競い合っている。楽天トラベルの前身は、「旅の窓口」であるが、このサービスは旅行と全く関係ない日立造船の子会社、日立造船コンピュータによって始められた。取締役の小野田純が意表をつくやり方で始めていった。

 インターネットが普及する前は、旅行に行こうと考えたとき、ハイシーズンなら2、3か月前に旅行代理店に出向いて予約するのが普通であった。JTB、日本旅行といった大手から、小さな代理店まで、街中には数多くがあった。東京メトロ新宿駅の東口と西口を結ぶ通路には、間口一軒ほどのカウンターだけの旅行代理店が軒を並べてもいた。

 当時、ゴールデンウィークを利用して、一度泊まってみたいという宿があった。そこそこ値段も高いので取扱量の多いJTBの店舗に行った。順番待ちで結構待たされ、ようやくカウンターに行き希望の宿の名前を告げると、窓口の女性が端末を叩きながら、その旅館にはもう空室がなく、同じエリアの別なホテルなら予約がとれる、という回答が帰ってきた。待たされた時間ももったいないし、カウンターの女性にも申し訳ないので、そのホテルに決めようかとも思った。が、旅行先の再検討からもう一度しようと考え直し、決めずに戻ったことがあった。

 結局、何も決めないまま、ゴールデンウィーク直前になってしまった。新宿駅の地下街の旅行代理店が軒を並べているところを歩いていたら、今からでもゴールデンウィークの宿が取れる、と書いてある。ダメ元と思いながらも聞いてみると、JTBで満室だと言われたその宿が空いているという。この代理店で大丈夫かなと、いささか不安になりながらも、即予約を入れた。狐につままれたような思いにとらわれた記憶がある。

 宿の予約がどういう仕組みでなされているか、それが分かれば当然のことなのだが、その当時は知らなかった。後日、その辺のことがわかったとき、これではとてもシステム化は無理と思ったこともまた事実である。

旅館の番頭さんの手腕が左右した客室予約


旅行予約サイトの普及前、温泉旅館の予約は番頭さんの腕にかかっていた 草津温泉の中心地、湯畑

 旅館には、予約を仕切っている番頭さんがいる。まだコンピュータ予約など存在しない頃、どの旅行代理店に何室枠を作るか、ということが大事なことであり、その代理店との手数料率、実績と合わせながら決めていくのである。

 大手旅行代理店は、年間で借り切ることもある。宿からすると旅行代理店側に、価格を思い切り下げられるが、経営の安定化のためには一定の割合はやむを得ない。また、キャンセルが発生した場合、何日前からキャンセル料をとる、という取り決めもある。

 ここからが、宿と旅行代理店の駆け引きである。私が始めJTBに行ったとき、JTBのコンピュータにはエリアごとに年間買い上げの客室、該当期間で割り当てられた客室の在庫が入っている。当然、その全てが埋まっていれば、JTBなど旅行代理店は同じ地域の年間買い上げの客室から客のリクエストに応えようとする。私が最初に泊まろうとした宿が、他の旅行代理店にも枠を与えていたとするとその枠が埋まっているか、いないかはその旅行代理店しかわからないのである。

 キャンセル料がかかる時期になると、旅行代理店に提供していた枠で余ったのが出た場合、その枠はまた宿に戻ってくる。宿は大変である。そのための対策が、新宿駅地下街の一軒カウンターの旅行代理店である。旅館は顧問料を払うなどしている。いざというときの保険である。

 直前のキャンセルを避けるため、番頭さんは、予約の入った時点で宿泊者の氏名の連絡を依頼する。また、頻繁にコンタクトをとり、予約の入り具合、見通しなどを聞きながら、必要なら枠の操作もする。旅行代理店によっては、仮の名前で予約を入れ、キャンセル料発生のギリギリのタイミングでキャンセルを入れたり、といったこともあったようであった。

 インターネットが登場したとはいえ、その当時は、現在のような宿の予約サイトはとても実現できないとシステムに関わる人間はほとんど皆そう考えた。そんな中、日立造船コンピュータの小野田はとんでもないことを考える。

意気投合した「ネットで便利な世界の実現」


レトロな魅力、木造旅館が多くの人をひきつける山形・銀山温泉

 宿から一室だけでも提供してもらい、予約サイトが作れないものかと考えたのである。造船不況の真っ只中、日立造船には船を作る依頼がほどんどない。造船所の職人は、朴訥で酒好きが多い。できるだけ宿泊客のいない時期に、職員ひとりひとりに一升瓶を持たせ、宿に行き経営者と話し、一室だけ提供してもらう交渉をさせたのである。

 それ故、インターネットのシステムは非常にシンプルなものである。電話やファックスのやりとりのためのオペレータがいる。予約の入ったときである。早速ホテルにファックスを送りながら、電話でもう一室の提供を依頼する。予約が増えると、大量の人員が必要になる。予約システムというよりは、コールセンターでのスタートである。1996年1月のことである。

 ジョルダンが乗換案内というサイトを運営し、爆発的に検索数が伸びた頃、小野田は早速挨拶に来た。商売どうこうというよりも「インターネットで世の中を便利にしたい」という強い思いで、私と小野田の二人は意気投合した。今考えると、小野田の狙いには、国の補助金もあった。ジョルダンなど他数社と組むことで、大きな補助金を獲得、そのほとんどを自分たちのサイトの構築・運営にあてた。

 「旅の窓口」は、何年間も赤字を垂れ流しながら、あるときから急にアクセス数が伸びていく。日立造船の藤井会長に呼ばれ、小野田が夢を語った。社内ベンチャーで上場、という夢である。その後、急に小野田たちの社内での立場が変わる。立ち上げの関係者がほとんど配置転換になる。

 諦めきれない小野田たちは、ベンチャーキャピタルから出資を集め、2000年4月に全く同じモデルの別な予約サイト「ベストリザーブ」を立ち上げる。しかし、皮肉なものである。「旅の窓口」は爆発的に予約数が伸び続けるのだが、ベストリザーブはさっぱりである。

楽天、じゃらん、2強が生まれ変貌した旅行予約サイト


「旅の窓口」は、日立造船の子会社、マイトリップネットに引き継がれる。順調に宿泊数が伸びていく中で、マイトリップネットの上場の話が出てくる。しかし、上場よりも一括売却、ということになり、2003年9月4日、楽天が全株式を323億円で買い取る。

 「旅の窓口」の成功を見て、リクルートも動き始める。就職情報誌から始まり住宅情報誌、海外旅行誌など、情報誌を軸にしたリクルートは、2000年11月に「じゃらん」のサービスを開始する。

 インターネットの予約サイトが伸びていくのに従って、宿の番頭さん、予約係の仕事が変わり始める。電話と台帳での旅行代理店との交渉から、今度はパソコンを見ながら、サイトに部屋を割り当てていく、という一番苦手な作業に代わっていく。

 出だしこそ、「旅の窓口」の手数料は6%と相当安かったが、予約数が増えていく中で料率はアップし、取り扱う宿が増えてくると今度はネット上で目立つような広告をしないと宿泊数が伸びなくなる。「旅の窓口」、「じゃらん」という2強の他にも、海外を主体とする旅行サイトも増えていき、宿の予約はかつてとは様変わりした。

 およそ、システム化できないと思われた宿をシステム化したのは、小野田純という一風変わった男の執念であった。だが、インターネット上のビジネスはスピード勝負、小野田の二度目の勝負のベストリザーブはうまくいかず、その後ライブドアに買収される。「株式交換で若干の退職金をもらいました」と笑っていた小野田の顔が浮かぶ。(文中・敬称略)

佐藤 俊和(さとう・としかず)
1949年福島県生まれ。 東京大学工学系大学院(修士)修了。79年株式会社ジョルダン情報サービス(現ジョルダン株式会社)設立、代表取締役社長に就任。現在に至る。18年 JMaaS株式会社設立。代表取締役社長。

連載 令和30年に思いを馳せて 未来を考える① 世界激変の中での新たな日常
記事提供元:タビリス