「ジョホール・バルの歓喜から20年」海外初!日本サッカーを伝えるメモリアルギャラリーがジョホール・バル(マレーシア)に設立!あの伝説のキックオフを“キャプテン翼”の大空翼と岬太郎が再現!?

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「ジョホール・バルの歓喜から20年」海外初!日本サッカーを伝えるメモリアルギャラリーがジョホール・バル(マレーシア)に設立!あの伝説のキックオフを“キャプテン翼”の大空翼と岬太郎が再現!?の記事画像
「ジョホール・バルの歓喜」20周年記念事業

完成記念式典当日はアンバサダーとして、「ジョホール・バルの歓喜」の立役者の一人である城彰二氏によるサッカー教室も開催

 Johor Japan Friendship Association(以下、JJFA、代表:廣井巧一)は、日本サッカー界の悲願であるFIFAワールドカップ初出場を決めた「ジョホール・バルの歓喜」から20周年を記念して、ラーキン・スタジアム(Jalan Dato Jaafar, Larkin, 80350 Johor Bahru, Johor, マレーシア)に『Johor Japan Football Gallery』を設立しました。そのオープンに先立ち、1月20日(土)にラーキン・スタジアムにて完成記念式典が開催されました。
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なお、一般公開は2月の上旬を予定しています。
※『Johor Japan Football Gallery』の詳細は下記ホームページでご確認ください。
http://www.jjfa.jp
[画像2: https://prtimes.jp/i/31168/1/resize/d31168-1-288828-5.jpg ]


ギャラリーのコンセプトは、「From Larkin to the World」。
このコンセプトは、日本サッカーの歴史の中でも決して消える事のない、
ワールドカップ初出場の地であるラーキン・スタジアム。
ここから日本は世界に行った。

 この歴史を将来に残すため、そして近い将来マレーシアも、ここから世界に行って欲しいとの願いを込めたものとなっており、「ジョホール・バルの歓喜」を中心とした日本サッカーの歴史と、このスタジアムを本拠地としているジョホール・ダルル・タクジム(JDT)FCの歴史の共同展示となっています。

 ギャラリー内には当時の試合を振り返る写真展示をはじめ、当時マレーシアで報道されたニュース記事や、漫画「キャプテン翼」の作者である高橋陽一先生が、FIFAワールドカップフランス大会アジア最終予選の日本vsウズベキスタン戦でのキックオフ時に三浦知良選手と城彰二選手がボールに祈りをささげたシーンを大空翼と岬太郎が再現したオリジナル原画、そしてこのスタジアムを本拠地としているジョホール・ダルル・タクジム(JDT)FCの歴史など約50点が展示されています。


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 完成記念式典では、宮川眞喜雄氏(在マレーシア日本国特命全権大使)や丸山高人氏(公益財団法人日本サッカー協会国際部 部長)からもお祝いのお言葉をいただきました。

■城彰二氏からのコメント
 なかなか縁がなく、20年ぶりにラーキン・スタジアムに戻ってきました。スタジアムに入ってきた時に色見とは多少変わりましたが、ピッチに立った時はあの20年前が蘇ってきました。
 あの試合は思い入れが相当なもので、もちろん喜びもありましたけど、もの凄い緊張感と今まで体験したことがないプレッシャーもあり、辛い想いもしたので複雑な心境でしたが、本日あのピッチに立ち、子供達に指導することができたので、全てが嬉しい想いに変わりました。
 サッカークリニックでは日本の子供たちもマレーシアの子供たちもとても元気があり、とにかくサッカーを楽しんでもらうというテーマで行いました。現在監督のライセンスも持っているので、将来この子達が自分のチームでプレイできるようなことがあれば素晴らしいと思います。
 
『Johor Japan Football Gallery』が完成したことについては、私にとっても日本人にとってもありがたいことなので、是非観光として足を運んで欲しいです。
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 ちなみにFIFAワールドカップ初出場が決まったジョホール・バルでの夜に協会が祝勝会を準備していただきましたが、選手は肉体的にも精神的にも疲れ果てて、誰一人参加しなかったという秘話があります。

▼「城彰二 サッカークリニック」
 完成記念式典当日はアンバサダーとして、ジョホール・バルの歓喜の立役者の一人である城彰二氏をお招きし、現地に住む日本人とジョホール・バルの子供たちがサッカーを通じて交流し、彼らの将来の夢につながる、「城彰二 サッカークリニック」も開催されました。サッカークリニックはジョホール・バルの日本人学校や現地の学校に通うマレーシアの子供たち約100名が参加し、大盛況となりました。
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▼ジョホール・バルの歓喜とは?
<ジョホール・バルの歓喜から20年>
 マレー半島最南端で、シンガポールとの国境の町、「ジョホール・バル」を日本人の間で有名にしたのは、この「ジョホール・バルの歓喜」である。1993年ロスタイムでの一瞬の油断で失点しFIFAワールドカップ初出場が目前で消滅してしまった「ドーハの悲劇」から4年、1997年11月16日に行われたFIFAワールドカップフランス行きをかけてのプレーオフが、このジョホール・バルで行われ、日本はこの試合に勝利し、日本サッカー界の悲願であるFIFAワールドカップ初出場を決めました。

 当時、試合が行われたラーキンスタジアムは、1964年に設立されたジョホール州のごく普通の市民サッカー場に過ぎず、この試合を応援するため12,000人のサムライブルーのユニフォームを身に着けた日本人観客がスタジアムに押し寄せ、地元のサッカーファンに驚きを与える事となりました。

 その後、2012年2月にジョホール・バルの王族トウンク・イスマイル皇太子がジョホール・バル州サッカー協会の会長に就任すると、このスタジアムは数回に渡って大改修が行われ、劇的な変化を遂げました。今では皇太子がオーナーである、ジョホール・ダルル・タクジム(JDT)FC(マレーシア・スーパーリーグで四連覇中)のホームグラウンドとなっています。

▼JJFAとは?
JJFAはスポーツや文化交流を通じて、日本とジョホール・バルを繋ぎます。  http://www.jjfa.jp

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