“別府八湯の沼”にハマリ込んだ愛すべき人々① 板倉あつし

ジョルダンニュース編集部

 私、板倉あつしは、どうしようもなく“別府八湯の沼”にハマってしまった人間です。
 別府は「旅人をねんごろにせよ」というという言葉がすみずみまで息づいている町です。「ねんごろにせよ」とは、やさしく親切にしなさいという意味。明治から大正、昭和にかけて活躍した実業家でキリスト教徒だった油屋熊八(あぶらやくまはち)が新約聖書からとり上げた言葉です。
“別府観光の父、別府の恩人”とよばれる熊八は、1924年、別府の地に「亀の井旅館」を創業しました。その後、亀の井旅館を洋式ホテルに改装して「亀の井ホテル」を開業し、「亀の井自動車」(現・亀の井バス)を設立。日本初の女性バスガイドによる案内付きの定期観光バスの運行を始めるなど別府観光の発展に多大な貢献をした人物なのです。
 そんな“熊八スピリット”が息づく町・別府。熊八の言葉どおりどんな人にも親切で温かく、いつ訪れても「ねんごろ」にしてくれます。これが旅人として何度も訪れた私の揺るぎない印象です。

別府温泉 油屋熊八像

 別府市は温泉数2854(2022年4月現在)、源泉の湧出量10万2777㍑(分)と全国一を誇ります。市内の別府温泉、浜脇温泉、紫石温泉、堀田温泉、亀川温泉、鉄輪(かんなわ)温泉、明礬(みょうばん)温泉、観海寺温泉の8つの温泉地で構成されているところから別府温泉郷と総称され、別府八湯とも呼ばれています。

湯けむり展望台からの湯けむり

 別府には日本一の温泉地ならではのものがあります。無類の温泉好きのためにある「88湯めぐりスタンプラリー」と呼ばれる入湯修行の温泉道です。
 この「スタンプラリー」は、この温泉道に参画している152の温泉施設(2022年6月現在)のうち88湯を巡り、「スパポート」と呼ばれるスタンプ帳に入湯記念印を集めていくことで栄えある「温泉道名人」を目指すものなのです。

1日平均15湯! それならできると決意


 別府と私を結びつけたのはコロナ禍前の2019年の晩秋に、東京都内で行われた温泉関係のイベント会場で出会った2人の人物です。満面の笑みを浮かべた八木みちるさん(別府八湯温泉道名人会・副理事長)と、いかつい大男の石井靖史くん(同理事、茨城支部長)で、2人は「別府八湯温泉道」の魅力を全国に知らしめるためにイベントに参加していました。ともに温泉マークが大きく染め抜かれた法被を身につけていました。

八木みちる

石井靖史

 その後、新型コロナ感染症が蔓延し、緊急事態宣言による行動制限が何度かありましたが、私はふと、「別府八湯温泉道名人会」にお願いして「88湯めぐりスタンプラリー」に参加してみようと思ったのです。別府八湯の名人にもなってみたい。

 私の話を聞いた石井くん、
「僕が茨城から駆けつけますから、いっしょに巡りましょう。最短2日で達成できますよ」
 驚いた私、
「いやいや、温泉は大好きだし、温泉の記事を書いてるから書くほうは大丈夫だけど、1日44湯は拷問でしょう」
 すると、石井くん、
「ならば6日間。これなら1日15湯平均ですよ」
 うーん、それならやってみようかな…。

28湯巡った日も。見事に名人獲得!


 決まってからが早かった。みちるさんと石井くんの連携がすごかったのです。以下の6日間は箇条書きのようになってしまいます。

 1日目…大分空港から連携バスに乗って別府市へ。バスを降りて紹介いただいたお宿「旅館ちとせ」までの450㍍の間で百貨店トキハ別府店の足湯、海門寺温泉、春日温泉でスタンプを3個ゲット! これができたのは、矢継ぎ早に適切な指示がメールで届いたからです。その後は駅前高等温泉、梅園温泉、寿温泉と合計6湯、そのまま私は夜の別府に繰り出しました。

 2日目…みちるさんの先導で、山田温泉、祇園温泉、(中略)、紙屋温泉、松原温泉で計10湯に入湯。夜は創業74年、おでんの店「ふくや食堂」で酒盛りです。

 3日目…午前中にスクーターで京町温泉、浜脇温泉、日の出温泉、昼にはるばる茨城から駆けつけてきた石井くんと合流し、明礬湯の里、小倉薬師温泉丘の湯、(中略)、照湯温泉、ひょうたん温泉の計15湯を制覇。そのままひょうたん温泉の地獄蒸し料理で宴会に突入しました。

 4日目…四の湯温泉、競輪温泉、(中略)、鉄輪むし湯、谷の湯でこの日も計12湯と奮闘。またもや夜の別府に足を向け、ホルモン焼肉「一力」で痛飲しました。

 5日目…この日は自分でもよくぞ、と思うほどあちこちの温泉を巡りました。亀の井ホテル別府、不老泉、(中略)、紫石温泉、弓ヶ浜温泉…、とても書ききれませんが全部でなんとなんと計28湯。

 6日目…最後の日は七ツ石温泉、蓮田温泉、(中略)、前田温泉、くつろぎの温泉宿山田別荘の計16湯。これで見事に88湯を達成! やればできたのです。2人のお力を借りて。

 私はみちるさん、石井くんといっしょにすぐさま観光協会に出向きました。温泉道の名人申請をするためです。もちろん一発OK! 私の名人就任を聞いた温泉道名人会の方々が5人も駆けつけてくれて盛大なお祝いをしてくれたのです。たまった疲労は吹っ飛び、この上ない達成感に心が満たされました。

初志貫徹 段位認定状を手に入れた

もう後に引けない。目指すは“永世名人”


 そんなわけで別府八湯の湯と、温泉道名人会のみなさんとの交流、そしてなによりも友情にほだされた私は、2022年(令和4年)の1年間で別府に54泊もし、88湯めぐりの名人も4巡目を数えるまでになってしまいました。スタンプ帳も5冊目の半ば。こうなれば88湯を11巡りして“永世名人”を目指すしかない。もう後に引けない気持ちです。
 みなさん、いかがでしょうか。“別府八湯の沼”にハマってしまう。これはかくも厳しく、たいへん愉快なことなのです。

入湯記念印が押されたスタンプ帳

 今後は、別府温泉郷の名湯とその魅力にとりつかれ“ハマってしまった”人々を掘り下げていきます。彼らと触れ合い、語り合うなかで私が得たもの、感じたことを記していきます。みなさん、どうぞよろしくお願いいたします。

板倉 あつし(いたくら あつし)
1960年生まれ。医食湯源研究家、ホテル・旅館・クルーズ評論家、プレスマンユニオン代表理事、日本旅のペンクラブ理事、カリスマ温泉ソムリエ、別府八湯温泉道名人会会員など。食のエッセイやテレビなどの企画・出演も手がけている。
記事提供元:タビリス