【人インタビュー】株式会社ORPHE(オルフェ)菊川裕也氏 【下】歩行データが未来のインフラになる。フィジカルAI時代の新基準
2026/1/14 1:49 ジョルダンニュース編集部


■「楽しさ」から「役に立つ」へ——為末大氏との出会い
――アーティストを魅了した「表現としての靴」が、なぜ医療や健康といった実利的な領域へとシフトしていったのでしょうか。
菊川: それは、ある種「必然的なピボット」だったのかもしれません。その背中を押してくれたのが、現在もアドバイザーを務めてくださっている為末大さんです。為末さんは、僕らが動きを音や光に変換する技術を見て、「これは人間のパフォーマンスを向上させたり、怪我を防いだりすることにも使えるんじゃないか」と仰ったんです。
――トップアスリートの視点が加わったわけですね。
菊川: そうです。さらに靴メーカーの方々と対話を重ねる中で、ある深刻な課題に突き当たりました。それは「正確な歩行計測」の難しさです。
――一般的にはどうやって測っているのですか。
菊川: 通常、精密な解析にはモーションキャプチャーや、地面の圧力を測る「フォースプレート」を使います。でも、これらは数千万円規模の設備が必要で、スタジオ内でしか測れない。日常の「外での走り」や「リハビリ中の歩き」を継続的に、かつ高精度に測る手段が世の中に存在しなかったんです。
■アシックスとの提携、そして独自の「ZUPT」アルゴリズムの完成
――そこでORPHEは、独自アルゴリズムの開発に乗り出す。
菊川: はい。数年がかりで「ZUPT」という慣性航法に基づく独自の歩容解析アルゴリズムを開発しました。靴の中の加速度センサーとジャイロセンサーだけで、一歩一歩の歩幅、接地角度、速度をミリ単位、ミリ秒単位でリアルタイムに算出する。この精度が認められ、2020年にアシックス社との資本業務提携に繋がりました。
――共同開発された「EVORIDE ORPHE(エボライドオルフェ)」ですね。私も当時、その体験の軽快さに驚きました。
菊川: アシックスさんの持つ2万人のランナーデータと、僕らのリアルタイム解析を掛け合わせる。スマホの画面を見なくても、走っている最中に「今の着地は少し踵に寄りすぎです」といったアドバイスが音声で飛んでくる。それは、スマートシューズが「エンタメ」から「実益」へと進化した瞬間でした。

■医療の現場を変える「10メートル歩行テスト」のデジタル化
――その後、技術はさらに専門的な「医療」の領域へと深まっていきます。
菊川: 「ORPHE CORE MEDICAL」という、医療機器クラスIの歩行分析計をリリースしました。これまでに、100以上の病院で使われています。整形外科のリハビリテーションには「10メートル歩行テスト」というデファクトスタンダードな検査があるのですが、従来は理学療法士さんがストップウォッチで時間を計るだけでした。
――それが、センサーの実装でどう変わるのでしょうか?
菊川: 時間だけでなく、左右のバランス、歩幅のバラつき、足の振り出しの強さなどがすべて数値化されます。例えばパーキンソン病の患者さんの「すくみ足」の兆候を捉えたり、膝の手術をした患者さんの回復過程をグラフで見せたりすることができる。患者さん自身も「先週より歩幅が3センチ伸びた」と数字で分かることで、リハビリのモチベーションが劇的に変わるんです。
――資生堂とも協業されていました。2025年のCESでは受賞もされましたね。
CESへは2018年に単独で初出展し、2020年にはASICSとの協業展示を行うなど実績を重ねてきました。2025年には、資生堂のオープンイノベーションプログラム「Fibona(フィボナ)」に採択されていた縁で、同社と共同でCESに出展しました。これまで提唱した「歩容(歩き方の姿)と美容は深く関係している」という視点に資生堂が共鳴して実現したもので、ORPHEが持つ高精度な歩行解析技術と、資生堂が長年蓄積してきた美の知見を融合させた新たな体験を提案しました。具体的には、ORPHEのセンサーで取得した歩行データに基づき、資生堂が定義する「美しい歩き方」を実現するためのアドバイスをユーザーに提供する仕組みを構築しました。この「歩容と美容」を掛け合わせた革新的なアプローチは高い評価を受け、CES 2025でイノベーションアワードの一般賞を受賞しました。

■「意識させない」ことの究極——インソール型への進化
――そして2026年、ついにCES最高賞を受賞したのが「ORPHE INSOLE」です。なぜ「インソール」が世界を驚かせたのでしょうか。
菊川: 究極の「アンビエント(環境)」だからだと思います。これまでのスマートシューズは、特定の靴しか使えませんでした。しかし、インソールであればお気に入りのスニーカーにも、ビジネスシューズにも、安全靴にも入れることができます。
――今回のモデルでは、圧力センサーも搭載されたとか。
菊川: はい。片足6つの圧力センサーを加え、動作解析だけでなく「どこに体重がかかっているか」まで完全に見えるようになりました。しかも24時間、すべての歩行データを蓄積できる。これまで「研究室」でしか取れなかったビッグデータが、日常の中から溢れ出すようになるんです。
――「意識的に測る」から「履いているだけで測れる」への転換ですね。
菊川: 日本人には玄関で靴を脱ぐ習慣がありますよね。私たちは今、靴を置くだけでワイヤレス充電とクラウドへのデータ転送ができる「スマートマット」も開発しています。高齢者の方にスマホを操作してもらうのは大変ですが、ただ玄関で靴を脱ぐだけなら誰でもできる。この「無意識のヘルスケア」こそが、これからの遠隔医療や予防医学の核になると確信しています。
■生成AIとインソールが融合する未来
――CES 2026のトレンドとして「フィジカルAI」という言葉が飛び交っています。ORPHEの技術はその中心にありますね。
菊川: 生成AIの進化は、僕らにとっても強力な武器になっています。例えば、理学療法士さんが「この患者さんは左足の筋力が弱いので、それを強化するゲームを作って」とAIにチャットを送る。すると、僕らのインソールのセンサーデータと連動した「リハビリゲーム」がその場で生成される。そんな世界が始まっています。
――センサーという「目」が、生成AIという「脳」と繋がることで、リアルな身体体験をその場でリデザインできる。
菊川: その通りです。僕らが目指しているのは、センサーを売ることではありません。歩くという人間の最も根本的な動作をデータ化し、一人ひとりに最適化された「健康な歩み」を自動的に提供するプラットフォームなんです。
――CES 2026での受賞は、一つの通過点に過ぎない。
菊川: そうですね。でも、世界が僕たちのビジョンにようやく追いついてきた、という手応えはあります。これからアメリカやドイツの企業とも連携を強めていきますが、日本発の「歩行解析標準」を世界中に届けていきたいと思っています。
■エピローグ:イノベーターたちの休息「The Davos」
――最後に少し、プライベートなことも伺わせてください。菊川さんは今、スプツニ子!さんやナレッジワークの山崎はずむさん、元ココナラの新明智さんたちと「The Davos(ザ・ダボス)」というバンドを組んで活動されていますね。
菊川: この活動は完全に僕の「趣味」であり「解放」の場です。僕と(山崎)はずむは同い年で、昔から音楽の趣味が合って。ポッドキャストにスプツニ子!さんをゲストで呼んだら、「バンドやろうよ!」と意気投合してしまったんです。

――テックビジネス界のトップイノベーターたちが集まって奏でる音は、どんな響きですか?
菊川: 楽器を持って音を鳴らす瞬間は、音楽が好きという原点に戻れます。結局、僕の根っこはそこにあるんです。「新しい体験を通じて誰かを喜ばせたい」。それが楽器という枠を超えて、今は「人生を100年歩き続けるためのインソール」になった。表現の形が変わっただけで、やっていることは同じなのかもしれません。
【編集後記】
菊川社長へのインタビューを終えて感じたのは、彼の中に同居する「アーティストの直感」と「アントレプレナーの冷徹な分析力」の絶妙なバランスだ。光る靴という「アート」を、リハビリや遠隔医療という「社会インフラ」へ昇華させたORPHE。CES 2026での快挙は、日本が誇るモノづくりの精神が、AI時代の身体性と見事に融合した結果と言えるだろう。私たちの足元には、まだ見ぬ可能性が眠っている。ORPHEのインソールがそれを掘り起こす日は、もうすぐそこまで来ている。









