岡山にのこる2つの近代建築文化施設。前川國男の「天神山文化プラザ」と「林原美術館」

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岡山にのこる2つの近代建築文化施設。前川國男の「天神山文化プラザ」と「林原美術館」の記事画像

ピロティーを介して4つの施設を配した「天神山文化プラザ」


平坦な地形が広がる岡山市にあって、頭ひとつ飛び出した「天神山」には、古来、神が鎮座するとされ、頂部に巨大な「天神岩」が祀られている。戦前の岡山県庁は、この場所にあった。

現在の「天神山文化プラザ」は最初「岡山県総合文化センター」として、県庁舎竣工の5年後、1962年に開館した。図書館と展示室、ホール、日米文化センターの4つを1つの建物に盛り込むという、いささか欲張りな計画だ。戦後復興を遂げ、高度経済成長に向かう時代に、岡山の人々が“文化”を求めた熱い思いが伝わってくる。

設計者には、岡山県庁舎建設に尽力した建築家・前川國男が選ばれた。

「この建物に入居する4つの施設は、それぞれ性格が違います。ホールには、イベント前後に大勢が一斉に出入りする。いっぽう、展示室は会期中を通して断続的に人が訪れます。動線を分ける必要がありました」。こう解説してくれたのは、岡山県立大学名誉教授でアトリエ・アトスを主宰する建築家・山田孝延さんだ。

「前川は、敷地の東側に寄せて南北に長い1階を置き、その上に、東西に長い2階をT字型に重ねました。すると、はみ出た2階の下がピロティーになる。このピロティーを通って、それぞれの施設に直接行けるようになっています」


(上)天神山文化プラザ西側外観。建物が張り出した部分がピロティーになっている。正面中央部は外階段。手すり壁に刻まれた上下互い違いの模様が、行き交う人の動きを表現している(下)ピロティー。正面に天神岩が祀られている。右手奥にホール、手前に展示室の入り口がある。左手の階段はかつての図書館と日米文化センターに続く。今はいずれも展示室になっている



“プレキャストコンクリート”のルーバーで日差しを調節


「天神山文化プラザ」では、前川独自の技術追求、”テクニカル・アプローチ”の一環として、一部に“プレキャストコンクリート”を用いている。

“プレキャストコンクリート”とは、建設現場ではなく、工場で予めつくっておくコンクリート部材のことだ。前川は技術の向上のため、建築の工業化を目指していた。コンクリートを工場で生産すれば、天候に左右されることなく、安定した品質が確保できる。

「窓のルーバー(羽板)が、そのプレキャストコンクリートです。建物の南側は、太陽高度の高い夏の強い日差しをカットする水平なルーバー。北側は斜めに差し込む西日を調節するために、縦のルーバーを密に並べています」(山田さん)


上の写真が南面、下が北面。プレキャストコンクリートのルーバーがそれぞれ巧みに配置されている



飛翔する鳥の姿を刻んだレリーフや星空のような照明に彩られた空間


人々が文化や芸術に触れに来る施設ならではの工夫も施されている。ロビー壁面に刻まれた切り込みは、イタリアの画家ルーチョ・フォンタナの作品に想を得たもの。実は空調の吹き出し口だ。

そのロビーの天井は“成層圏ブルー”と呼ばれる深い青色に塗られ、ランダムに配置された照明が星座のように輝く。晴れた日には、三角形の天窓から自然光が降り注ぐ。

ピロティーから屋上までの吹き抜けの壁面には高さ18mのレリーフが彫られている。これは前川が、当時29歳の若き彫刻家・山縣壽夫に依頼したものだ。海中から天空へ飛翔する鳥を表現し、「鳥柱(ちょうちゅう)」と題した。完成から54年の時を経て、2016年に修復が行われ、地元の学生たちが剥落した色ガラスを再現。83歳になった山縣氏本人も、神奈川県から駆けつけて手本を示したそうだ。


(左上)吹き抜けのロビー。中庭に面した部分は耐震補強のため、後年ブレース(斜材)を追加した。天井は青く塗られている。写真左の壁に、空調吹き出し口の細い切り込みが見える(右上)現在は安全のため立ち入り禁止の屋上に特別に案内してもらった。写真正面にレリーフ「鳥柱」の上部が見える。三角形のオブジェのようなものはベンチを兼ねた天窓。天窓の光は左写真のロビーに差し込む。(左下)山田孝延さん(左)と天神山文化プラザの山美幸さん。山さんが指す手の先に見えるのが、新しくなった「鳥柱」の色ガラス(右下)ピロティーから見た「鳥柱」



「岡山に美術館を」という実業家の願いでつくられた「林原美術館」


「天神山文化プラザ」の翌年、1963年に完成したのが、岡山城二の丸跡に建つ「林原美術館」だ。地元の実業家で、刀剣や古美術の蒐集家だった林原一郎が52才の若さで亡くなったあと、遺志を継いだ家族や友人によって設立された。そのひとりに、県庁舎建設に携わった、当時の県知事・三木行治の名前もある。私立ながら、開館時「岡山美術館」と称した建物の設計は、やはり前川國男に託された。

のちに「東京都美術館」(1975年)「熊本県立美術館」(1977年)「福岡市美術館」(1979年)などを手掛ける前川にとって、これが初めての美術館建築だ。同時に、前川の長い建築家人生において、作風の転換点に位置すると見られる作品でもある。

美術館の入り口は、明治末期に移築された武家屋敷の長屋門。くぐり抜けると、石垣に沿って緩やかに上る石段があり、その上に、庇の水平線が際立つ低い建物が見える。倉庫棟を除けば地上1階のみの、控えめでシンプルな建物だ。

山田さんは次のように解説する。

「エントランスを入って展示室を通り、ロビーに抜けるまで、来場者がくるりと一周できるようになっています。前川作品の特徴のひとつ、“一筆書き”の動線ですね。中庭を囲んで螺旋状に展開する空間は、前川の師、ル・コルビュジエの国立西洋美術館(1959年)を想起させます。国立西洋美術館の中心にも、四角いホール(19世紀ホール)を中心に螺旋状に巡るスロープがあるんです」。国立西洋美術館の建設時、前川は弟子の一人として工事の監理に当たっている。


(左上)林原美術館正面外観。石垣に沿って上る、ゆるやかな階段の上にエントランスがある(右上)エントランスに入ってまず目に入るのが竹の中庭。来場者は写真エントランスの右方向にある入り口から展示室に入り、ぐるりと一周して左下写真のロビーに出てくる(左下)スキップフロアのロビー。正面奥が展示室の出口。左手は右下写真の庭に面している(右下)庭からロビーを見る



カーテンウォールや打ち放しコンクリートから、質感豊かなタイルへの転換


”テクニカル・アプローチ”における林原美術館の特徴は、窓のない展示室棟の外壁全面に“焼き過ぎ”レンガを貼っていることだ。廃棄されていたものを拾い集めて使ったといわれる。重厚で質感豊かなレンガは、それまで前川が追求してきた近代建築を象徴する、ガラスやスチールとは明らかに異質な素材だ。

前川はその後しばらくして、タイルをコンクリートと一緒に打って剥落を防ぐ「打ち込みタイル」という工法を編み出し、それが後期作品を示す特徴となっていく。林原美術館のレンガ壁は、その萌芽と見られている。


“カーテンウォール”の「岡山県庁」、“プレキャストコンクリート”を用いた「天神山文化プラザ」、そして、レンガの壁の「林原美術館」。前川の“テクニカル・アプローチ”の流れが追える3つの建築は、徒歩15分ほどで回れる範囲にある。岡山城や後楽園にも近く、観光ついでに前川建築のエッセンスが学べる、おすすめの散策コースだ。


(上)展示室棟の外壁(下)レンガ外壁のクローズアップ。焦げた部分も活かしている



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