乗換案内30周年 短期集中インタビュー4 スマホ1台で移動を快適に!

ジョルダンニュース編集部

 ジョルダン情報サービス(現・ジョルダン)が設立された1979年12月からの創業メンバーである取締役、坂口京。社長の佐藤俊和ら5人でパソコンの受注製作を行うメーカーを起業した後、同じメンバーが新たにジョルダン情報サービスに移り、スタートした。そして74歳の今日に至るも現役プログラマーとして活躍を続ける坂口氏に乗換案内の歩みを聞いた(敬称略)。

鉄道技術展で講演する坂口氏

――社長の佐藤とはどこで知り合い、新会社ではどのような事業を行っていたのですか。

坂口 友人を介して知り合いました。佐藤さんを含む同年代の3人ともう少し若い2人で創業しました。佐藤さんは新しいものに飛びつくというか、先見の明がある人物です。当時から収支に厳しかったです。最初はソフトの受託を行っていました。主にゲームセンター向けのアーケードゲーム製品です。ヒット作は「クレイジー・クライマー」などです。
 ただ、70年代後半から第二次オイルショックに見舞われ、仕事が減ってしまいました。そうしたなかで、横浜市水道局から受託したのが給水システム、水道管経路の最短経路を導きだすプログラム開発でした。

――乗換案内の経路検索とは異なるプログラムのようですが。

坂口 そんなことはありません。横浜市は相模湖と相模川から取水しているのですが、最もコストがかからないで家庭などに美味しい水を届けることができるプログラムであり、その意味では乗換案内の経路検索に通ずる技術であったと思います。

電子ブック版乗換案内を発売


――それからは、どのような事業を展開していったのです。

坂口 ちょうどそのころ、ソニーが電子ブックプレーヤーを発売しました。電子辞書のような製品です。ここに経路検索を入れてもらえないかと、1日でデモプログラムを作り、売り込みに行きました。発駅と着駅の2つの駅を打ち込むと経路が分かる内容です。ところが、ソニーからは「発想はいいが、取り入れることはできない」と言われてしまいました。

当時の電子ブック

 電子ブックはデータの再生をするだけの機器で、プレーヤー内で経路検索のプログラムを動かすということはできなかったのです。諦めたわけではなく、東京近郊の800駅あまりの区間の組み合わせを経路検索した「結果」を収録することで、乗換案内を実現させました。東京―新宿の経路検索結果データに「とうきょうーしんじゅく」と「しんじゅくーとうきょう」の見出し語をつけました。つまり、復路の新宿―東京間も同じ経路が表示されることになるのですが、これがデータサイズを小さくして多くの経路検索結果を収録するための工夫でした。こうして、93年5月に電子ブック版乗換案内を発売しました。

電子ブック版の東京乗換案内

――パソコン版の乗換案内については、どのような段階でしたか。

坂口 日本IBMがパソコンを売り出すという話を佐藤が聞き込み、さっそく日本IBMに乗換案内をプリインストールしてみないかと、売り込みに行ったところ、93年12月のIBMパソコン発売時に採用されました。1台当たり数百円でした。実にありがたい話だったと思っています。

――2年後の95年11月にはWindows95が発売されました。

坂口 Windows95の前の状況を時系列的に話します。まず、94年3月に「東京乗換案内 for Windows3.1」を、その年の12月に「乗換案内全国版 for Windows3.1」を発売しました。さらに翌年8月には「乗換案内 for Mac」を発売しました。

時刻表データ入力は「時刻表でなく地獄表」


――次々と新製品を送り出していますが、さぞ大変だったのではないでしょうか。

坂口 Windows3.1版は苦労しました。プログラムにいろいろな制約があったためです。社内にWindowsのプログラマーなどいなかったから、ほとんどすべてを私がやりました。まず東京近郊から始めて、その後全国版を、さらにパソコンソフト「乗換案内 時刻表対応版」と作っていきました。時刻表対応版は、すでにこの連載の第3回でも語られているように、データが公開されていなかったので、紙の時刻表を買ってきて、新幹線と特急列車から入力を始めたものです。その作業は膨大で、外部に発注していたのですが、そこのメンバーに聞いたら「時刻表でなく地獄表」と言って泣いていたみたいです。

消費税改定に対応、他社より1か月以上早く


――Windows版のお話はわかりました。Macについてはいかがですか。

坂口 アップルのパソコンに乗換案内がプリインストールされることになっていたのです。97年4月のことです。しかも、春のJRのダイヤ改正に合わせて3月中の納品を求められたのです。ダイヤ改正のデータはありせんでした。JRは国の認可が下りていないからデータは出せないとの態度でした。消費税改正後の運賃が反映していないのでは、話しにならない。それである人の紹介で、運輸省(現・国土交通省)に“殴り込み”のような気持ちで出向きました。そうしたら、なんと「コピーあげます」と言われ、データをコピーした用紙を得ることができたのです。それを聞いた時は、感激しましたね。この事業は金額的にも大きいものだったからです。

――データを手に入れた。そこからはどうしたのですか。

坂口 ここからが大変な作業が待っていたのです。消費税5%にした運賃の端数処理をしなければなりません。単に3から5に数字を置き換えるだけではないのです。さらに、特例がたくさんあるのです。すべての5%にした運賃が分かる数字をもらわないと作れません。それに加え、大手私鉄と地下鉄のデータが集まればなんとかなるなと思いました。苦労したかいあって、競合他社に比べ1か月以上早く出すことができました。今でも、「どうやってデータを入手したのですか」と聞かれることがありますよ。入力は担当者が徹夜でやってくれました。

後発ゆえに、何でも行って差別化


――乗換案内の将来性については? これまでのお話を振り返りながらおしえてください。

坂口 やってみると道が開けてくることが分かりました。乗換案内は個人が使っていると考えていたのですが、企業が旅費精算で使い始めていたのです。企業ごとにカスタマイズを求められました。経路検索では後発だったので、カスタマイズは何でもやりました。そのうちある地方の県庁から「県内では鉄道利用が少なく、バスを使うことが多いからバスの経路検索がないと使いものにならない」との要望がありました。バスをやるなら、都営バスも、ニーズが多い東京近郊のバスもと、さらの全国のバスもと広げていきました。とにかく稼がなければいけないという思いでした。
 カスタマイズの受託は、その都度、5人、10人といった人員を割くので効率が悪いです。しかし、後発なので何でもやり、特色を出していかないといけません。また、競合他社がある機能を盛り込むと、我々もやらざるを得ません。それに日本ならではの特性として製品に対する厳しさがあります。特に運賃に関しミスは許されません。特例の多い運賃計算では、もっとも正確で多機能な計算を提供していると自負しています。
 ただ、経路検索については、いろいろと機能増強をした結果、実行速度が遅くなってしまった側面もあります。

――それにはどのような対応をしていますか。

坂口 頻繁に検索済の経路のデータをあらかじめ作っておいて、それをつなぎ合わせることで時間短縮になります。簡単な例ですが、検索回数がトップの東京―大阪間では、新幹線、飛行機、高速バスのデータを作っておくわけです。データとプログラムは相互補完関係にあり、繰り返し同じ処理を行う代わりにそのデータを保存しておくことで、よく使われる経路検索のスピードを速くすることができるということです。私も現在この部分の開発に携わっています。奇しくも30年前、電子ブック版のためにやっていたのも「あらかじめ経路検索した結果のデータ化」でした。一回りしてまた同じところへ戻ってきた感がありますね。

――乗換案内が世に出てから30年。それ以前のジョルダン創業からは40年を第一線で過ごしてきて、コンピューターの世界は変わりましたか。

坂口 本質的には変わっていません。以前はエラーがあると、計算センターまで行き一晩、二晩かかって修正していました。今はプログラムのビルドなどは、自分の机上のパソコンできるようになりました。最大の違いなんて、そんなものではないかと思っています。

――ありかとうございました。

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記事提供元:タビリス