乗換案内30周年 短期集中インタビュー3 スマホ1台で移動を快適に!

ジョルダンニュース編集部

 1998年12月、パソコンソフト「乗換案内 時刻表対応版」に全国全駅の時刻表が初めて収録された。それまでの新幹線と特急だけに対応していたのを一挙に拡大したのだった。市販されていた時刻表に掲載されていないJR列車や私鉄も含めた検索が可能になった裏では、想像を絶する作業が続けられた。

それに従事した田中輝、野瀬啓一郎の2人が当時を振り返った。(敬称略)

当時を振り返る田中(左)と野瀬の2人

――私鉄も含めた全国の鉄道の時刻表対応、今では当然のように利用していますが、寝食を忘れて作業をしたと聞いています。

田中 紙の時刻表の冒頭の緑のページに掲載されていたJRの特急、新幹線と、飛行機の時刻表はすでに収録していました。それを全国に広げていこうということになったのです。さらに私鉄まで含めるという構想でした。東京周辺の列車の収録後、関西版をという話があったのですが、その構想を実現する前に全国版に拡大することになりました。

野瀬 私は97年に入社し、最初から乗換案内の担当となりました。JRの場合は時刻表のデータ入力を外部に委託していました。一方、私鉄各社は「時刻表ください、ください」と“絨毯爆撃”でした。ところが、そのころはジョルダンの乗換案内ですと電話で伝えても、知名度が低かったので、なかなか相手にしてもらえず、苦労しました。門前払いもありました。

ポケット時刻表の入手や駅で時刻表を撮影


――全国版に拡大しようというのは佐藤俊和社長から指示というか、号令がかかったのですか。

田中 そうです。それまで外部に委託していた入力作業を自分達でやろうということになりました。何百ページにもなる全国、全駅のデータ入力を外部に頼めば費用が増えるので、「さあ、社内で走るぞ、全国入れるぞ」です。2年ですべて完了した記憶があります。

野瀬 私鉄について詳しく話します。近鉄と名鉄は冊子の時刻表を購入できました。それを3冊ずつ買ってきて、バラバラにして分担して作業をしました。冊子がないところは、各駅で無料でもらえる手の平サイズのポケット時刻表をもらってきて、それを元に入力したものです。各駅の発車時刻しか載っていないので、一本の連続した列車として仕立てるのは大変な作業でした。しかし、それでも情報が得られない私鉄は電話、ファックスで依頼攻勢です。ファックスでデータをもらうと3と8がつぶれて判読が難しくて困りました。対応にあたったのは、総勢5人ほどだったと記憶しています。

田中 私は発売日当日に朝イチの新幹線で名古屋まで出向いて時刻表を買い、トンボ帰り。名古屋の滞在時間は30分位でした。それから深夜まで作業を続けました。

――すさまじい人海戦術でしたね。

田中 やれと言われればやる! 頑張りすぎたかな。

野瀬 さらに各駅に掲示されている時刻表の写真撮影にも通いました。撮影して直帰せずに会社に戻り、それから作業を続けました。

田中 今振り返っても、当時はそれ以外、方法がなかったんですね。その次に都営バスの経路検索にも対応することになり、この時刻表もバス停に行って撮影しました。その後、東京都庁に乗り込んだものです。エクセルでデータをもらえて、ラッキーと喜んだのを覚えています。

野瀬 運賃について分からないケースは、実際に駅の窓口で乗車券を買って確認後、払い戻しをしました。

――当時は年4回から6回、CDに収録(マスターアップ)したものをお客様に郵送していたのですね。

野瀬 毎年3月に行われるJRのダイヤ改正の直前は徹夜でした。マスターアップに入れ込めるだけ入れ込み、改正前に郵送。その後私鉄のダイヤ改正に対応する。だから、翌月にはそれを収録したCDを再び送る作業がありました。

便利な機能を盛り込んだ「乗換案内NEXT」


――2003年4月にガラケー向けの有料高機能乗換案内である「乗換案内NEXT」が立ち上がりました。

田中 無料版はすでにあったのですが、有料版を企画せよと言われました。お金をいただく以上、便利な機能を全部取り込もうと考えたわけです。社内で100ページほどの企画書が作られました。その企画書をたたいて、50ページ以下に絞り込んだのです。その企画の中から、こんなことができますと、1か月に1つの新機能を発表していました。例えば、定期代表示や鉄道運行情報などです。こうした機能が支持されたのでしょうね。これで「移動はジョルダン」ということになり、有料会員数は右肩上がりで増加しました。月額200円は強気な値付けでしたが、広告は載せないからと割り切りました。

野瀬 CD版が屋台骨だったのですが、パソコン市場での大きな進化はなく、ガラケーに主戦場が移ってきたのです。映画の時間や季節特集のコンテンツもいれました。これは現在のNEXTにも受け継がれているものです。とにかく便利な機能を盛り込んで、有料会員が60万人にまで達したのは喜ばしいものでした。

初期のNEXTと現在のNEXT

「乗換案内NEXT」が登場したのと同じ2003年の春、東武線と営団半蔵門線、そして東急田園都市線が直通運転を開始しました。大規模な直通ネットワークへの対応は、地獄を見たというくらい大変な作業でした。半蔵門線の延伸に伴う経路検索の変更対応、変更となる運賃計算、そして3社にまたがる長大区間を走る列車の時刻表など、その作業量は膨大の極みだったのです。

東日本大震災で乗換案内はインフラと実感


――乗換案内の将来性についてお聞かせください。

田中 2011年3月11日の東日本大震災を機に、私の中で価値観が大きく変わったと思います。単なる民間のサービスではないと思い始めました。あの大震災では、交通網が寸断されました。また、計画停電で列車の時刻も通常とは全く異なる事態が生じました。それにどう対応するか。利用者に役立つサービスを提供しよう。いわばインフラに近いと感じたのです。

 乗換案内に交通情報を集めた「まとめのページ」を設け、各線のその日の運行予定をひたすら打ち込みました。文字ベースです。しかも、各交通機関の情報は深夜に判明するわけです。24時間体制で35日間くらい続けました。計画停電で業務が止まることに備え、チームメンバーの一部を大阪へ派遣し体制を多重化しました。

野瀬 現在、私はバスデータの多言語化に力を入れています。コロナ禍も収まり、訪日外国人が戻ってきています。鉄道はほぼ13言語で対応しています。バスの場合、英語・中国語・韓国語を中心に約1000社程度対応しています。訪日か在日かまではわかりませんが、外国人も有料版を使う方が増えているからです。

――苦労と実績と展望、示唆に富んだ話をありがとうございました。

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記事提供元:タビリス