【人インタビュー】Shiftall 岩佐琢磨氏インタビュー (下)CESへのこだわり VRにかける未来

ジョルダンニュース編集部

創業してわずか数カ月後の2008年夏にリーマンショックが到来するという危機からの事業立ち上げとなったCerevo。ライブ配信のための機器が最初のヒット商品となった。そして、岩佐氏とその経営する企業を語る上で、忘れてはならない世界最大級のテクノロジー展示会、CESへの挑戦はいかにして始まったのか。

今年のCESでの出展の様子

最初のヒット商品とCESへの出展

Q. Cerevoとして最初の製品と、ヒットした「LiveShell」について教えてください。

A. 最初は、撮影した写真を自動でWi-Fi経由でアップロードするカメラ「CEREVO CAM」でした。しかし、この機能はiPhoneの登場で当たり前になり、苦戦を強いられました。

そんな時、Ustreamの創業者ジョン・ハム氏と出会いました。彼は熱心なハードウェア好きで、「このカメラでリアルタイムのライブストリーミングができたら面白いんじゃないか」という話で意気投合し、Ustreamにネイティブ対応したライブストリーミングカメラを売り出しました。これが比較的受けが良かったため、カメラ機能からライブストリーム配信部分だけを抜き出した「LiveShell」という、既存のビデオカメラをライブ配信機材にできる製品を開発しました。

CES 2012では、ウェアラブルカメラのCONTOURブースで共同出展した。事実上の初出展でLiveShellを展示した。人物はCONTOURの方

この「LiveShell」が本格的にヒットしたきっかけは、2011年の東日本大震災です。当時、多くの人が情報を求めてYouTubeやUstreamに殺到しました。被災地の様子を個人的に配信する人も現れ、中には原発から5km離れた場所にカメラを置いて毎日ライブストリーミングする人もいました。こうした需要が一気に花開き、「LiveShell」はCerevoの主力製品となりました。

その後、Cerevoの名前をより広く世間に知らしめるきっかけとなったのが、アニメ「PSYCHO-PASS」に登場するハイテク玩具「ドミネーター」です。これは10万円を超える高価格帯の商品でしたが、マニアやコレクター向けに大ヒットしました。ドミネーターをきっかけに、バンダイなどの大手メーカーも10万円を超える大人向けの高級玩具を発売するようになり、この新たな市場を切り開くことになったのです。

Q. CESへの挑戦はどのような経緯で始まったのでしょうか。

A. 私はパナソニック時代から毎年CESを視察しており、いつかこの舞台でハードウェアメーカーとして世界と戦いたいという思いをずっと持っていました。ハードウェアはソフトウェアと違ってグローバル展開がしやすいという利点があります。世界中を探しても、LiveShellのような製品は私たち以外に数社しかなく、価格もCerevoが半分以下という状況でした。これは世界に出るしかない、と強く感じました。

Cerevoとして、単独でCESに出展するようになったのは2013年のことです。当時はまだスタートアップ向けの展示会場である「ユーレカパーク」は存在せず、ホテルの一室や通路にブースを構えるようなスタイルでした。私たちは、ヒルトンホテル(現在のウエストゲートホテル)のボールルームにベンチャーが集まる「アイラウンジ」というエリアから出展を始めました。

2013年に自社単独では初めてCESに出展した。

CESはCerevoにとって「成功体験」です。CESに年1回出るだけで、世界中のメディアに取材してもらい、ディストリビューターを探して交渉できる。CES一本で会社の売上の3分の1をグローバルビジネスで立ち上げられた。こうした成功体験があったからこそ、私たちはCESに出展し続けています。

実は、日本のスタートアップがCESにまとまって出展する「J-Startup」の仕組み作りにも関わりました。当時の日本の出展状況に不満を抱き、経産省の担当者に「ちゃんとした支援をしてくれないと」と文句を言ったところ、「それなら一緒にやろう」と言われたのが始まりです。西村真理子さんや小田嶋アレックス太輔さんと日本のスタートアップが世界に挑戦できるきっかけを作ることができたのは、非常に価値があったと感じています。

異例のパナソニックグループ入りと再独立 VRへの挑戦

Q. パナソニックグループ入り、そしてその後のグループアウトの経緯を教えてください。

A. 2018年、Cerevoは「アクハイアリング」という形でパナソニックグループに入りました。これは、事業を買収するのではなく、人材を買収する手法です。欧米ではよくあるパターンですが、日本では珍しいケースでした。当時、パナソニックはイノベーションを起こす人材とチームを求めていました。そこで、私と当時のCTOを含む28人のチームが、ShiftallというCerevo子会社に移籍し、パナソニックに株式譲渡する形でグループの一員となったのです。

パナソニックに入った後は、新規事業の立ち上げを担う特務チームとして活動していました。しかし、2020年前後から事業の方向性に大きな変化が生じました。母体だったホームX事業が頓挫し、コロナ禍が到来したのです。そんな中、私はVRの世界に出会いました。「ステイホーム」の時代に家から楽しめるVRChatを体験し、「これは人類を変えるし、ビジネスチャンスもある」と確信しました。

そこで2021年頃から、VR関連デバイスにほぼすべての事業を集中させました。しかし、今度はパナソニックがVR事業に興味を失い始めました。BtoC事業を縮小し、BtoBに注力するという大きな流れがあったのです。Cerevoの主要顧客は20代で、エンタメ性の高いVR事業は、パナソニックが目指す方向性と真逆でした。

私は、VR事業の可能性を信じていたため、パナソニックに「この事業を外の資本でやらせてほしい」と交渉しました。こうして、VRやXR領域に積極的な投資を行っていたクリーク・アンド・リバー社に、パナソニックが保有するShiftallの全株式を譲渡していただきました。オフィスもメンバーも変わらず、株主だけが入れ替わるというスムーズな形でした。

Q. 今後、シフトールはどのような会社を目指していくのでしょうか?

A. もちろん、今後もVRがメイン事業であることに変わりはありません。バーチャル空間で生活する人々の「バーチャルライフ」を、より楽しく、より快適にするためのデバイスを作り続けたいです。

とはいえ、私たち自身のビジョンはもっとニュートラルです。人々が「これ面白いね」「これがあったから快適になったね」「幸せだね」と思えるような、生活を豊かにするハードウェアを作り続けていきたい。Cerevo時代から掲げていたスローガンは「ネットと家電で生活を豊かにする」でしたが、今やネットは当たり前になりすぎました。

私たちはこれからも、人々の生活に「ワクワク」をもたらすような、民生用のハードウェアを作り続けていきたいと思っています。テスラの自動運転も、スペースXのロケットも、結局は車であり、ロケットです。私たちは、新たな「すごいモノ」を、一般の人が手にできる価格で作り出すことにこだわり続けます。

今年のCESでの出展の様子。VR関連の製品に注力している。日ありがわの男性が岩佐氏

Q. 最後に、ご自身の「座右の銘」や仕事の信条について教えてください。

A. 特定の座右の銘はありませんが、あえて言うなら「楽しく仕事をする」ことです。ワクワクするようなことをやりたいし、私自身が楽しくないとメンバーも、そして製品を買ってくれるお客さんも楽しくないと思うからです。バミューダ諸島やマルタ島といった、普段は縁のない場所から注文が来たりすると、やはりワクワクします。ビジネスは個人の快楽のためにやるわけではありませんが、私たちがワクワクしながら作った製品が、人々の生活を少しでも豊かにし、楽しませてくれればと願っています。

※写真は全て、岩佐氏提供

記事提供元:タビリス