旧陸軍兵器支廠を再活用した石川県立歴史博物館。近代建築活用の悩みを聞いた

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居住性ゼロの旧陸軍倉庫を博物館に


金沢市の観光名所、兼六園と道を挟んで反対側に本多の森公園という、かつて加賀藩の筆頭家老であった本多家の上屋敷跡などを利用した一画がある。急坂を上った先でもあり、人通りの少ない場所だが、ここにはかつて金沢市を本拠地としていた旧日本陸軍の各種施設が残されている。そのうちでも目を惹くのは赤レンガミュージアムと称され、堂々たる姿を見せる3棟の倉庫である。これらの建物は明治42(1909)年から大正3(1914)年にかけて建設され、兵器支廠、つまり、倉庫として使われてきた。現在は手前の2棟と奥の1棟の東側半分が石川県立歴史博物館、奥の1棟の西側半分が加賀本多博物館として利用されている。

建物は90mの細長い、いわゆるうなぎの寝床状の空間で、実に使いにくい、居住性のない空間だ、と石川県立歴史博物館資料課長の濱岡伸也氏。当然である。倉庫なのだ。人がそこで長い時間を過ごすことは想定して作られてはいない。

加えて陸軍省は建設する地の風土を考慮せず、全国に同じ基本設計に基づく建物を作っていたという。「金沢は湿度90%がざらで、暑く、寒い、気候的には非常に厳しい場所ですが、それに対しての配慮はゼロ。そのため、夏場はレンガが蓄熱し、南西面など暑くて触れなくなるほど。そこに博物館として文化財を収蔵しなくてはいけないのですから、悩みは尽きません」。


使い勝手には難があるとは言うものの、3棟が並んでいる姿は圧倒的な迫力がある



同じレンガ造でも用途によって使い勝手はさまざま


といっても、この建物が戦後最初に転用されたのは博物館ではない。「昭和21(1946)年に設立された金沢美術工芸専門学校(金沢美術工芸大学)が昭和47(1972)年までこの建物を使っていました。窓が少なく、建物内が暗いのでデッサンなどができない。そこで屋根に明りとりの窓を付けるなどして使っていたそうです」。

大学移転後の空いた建物に博物館が誕生したわけだが、博物館自体が誕生したのはこの地ではなかった。現在、市内中心部の繁華街香林坊の近くに石川四高記念文化交流館(以下、四高記念館)という、やはりレンガ造りの建物があるが、博物館は最初その建物を使っていた。名称の通り、かつて学校だった建物である。

「建物を見れば分かりますが、四高記念館のレンガは非常に硬く、良い品です。レンガ壁内部には漆喰、木が入って自然の断熱材として機能しているため、冷暖房がなくても快適に過ごせる空間でした。ただ、スペースとして狭かったため、昭和43(1968)年に開館したものの、すぐに手狭になり、昭和61(1986)年には現在の建物に移転することになったのです」。

四高記念館は明治24(1891)年に建築家山口半六氏らが設計したもので、明治期の日本人建築家による西洋建築では現存する最古のものとされる。現在は石川県近代文学館その他で使われており、内部も含め、かつての学校そのままの雰囲気が残されている。


こちらは市内中心部にある四高記念館。言われてみると煉瓦の色も微妙に違う気がする……



内装だけを変えて、用途を変更


これに対して旧兵器廠のほうは外観こそ往時のままだが、内部は大幅に手を入れられている。倉庫としての用途があり得ない以上、使って残すためには使い道を変えるしかないからだ。3棟はそれぞれに異なるやり方で改装されている。

「内部を取り壊したうえで、展示棟は外側のレンガ壁以外はRCで補強、管理棟は鉄骨で補強、もう1棟の現在、加賀本多博物館になっている建物は耐震補強をした上で木造を残し、当時の姿に近いものが見られるようにするというやり方で改修。急だった階段に踊り場を作って使いやすくするなど、一般の人が入れるようにもして、2棟は昭和61(1986)年に、平成2(1990)年には3棟すべての改修を終え、同年には国の重要文化財に指定されました」。

木造が見られるようになっている棟では既存材を可能な限り再利用し、木製の上げ下げ窓、扉なども復元。収蔵庫内で一般には見学できないものの、兵器収蔵庫だった頃の銃架なども再現されている。また、展示室では骨組みが展示として見られるようになっており、頑丈に作られている基礎部分も見学できるようになっている。ちなみにこの、加賀本多博物館には豪華な蒔絵を施した馬具や調度品などが展示されており、金沢の美術工芸品のレベルを堪能できる。


当時の骨組み、基礎が見られるように復元、展示されている。しっかりした基礎が印象的



古い建物に新しい概念を要求するという理不尽


ところが、改修終了以降、社会の意識が変わり始める。
「当初は建物自体が文化財でもあり、それを残すために博物館にしたはず。建物保存がメインの目的で、博物館はサブ。しかし、同時に国宝も含め、文化財も多く展示する博物館でなくてはいけない。そこに矛盾が生じてきます」。

気候への配慮を欠いた建物をいくら改修しても、当初からそれを意図した建物のようにはならない。温度、湿度管理に神経を使わなければいけない文化財を収蔵するのにふさわしくないのはもちろん、ランニングコストもかかる。収蔵庫と展示室が別棟にあって動線が混乱しているため、収蔵品交換には手間がかかる。荷卸し場がないため、他の博物館などから借りた作品の搬出・搬入を屋外と同様の条件のもとでやらざるをえないなど、文化財を取り扱うには不適切な面が出てくるのである。

また、安全面の懸念もある。整備した時代には耐震、耐火はさほど意識されておらず、スプリンクラーは見せないように設計した。ところが、今は安心感を与えるため、見せるというやり方をする。非常口や非常灯、消火器等は法令に基づいて用意されているが、古い、しかも倉庫だった建物であり、最先端の安全が担保されているか?と問われれば微妙なところがある。細長い建物だから出入り口は限られるし、倉庫だったから窓には鉄格子が入っている。だが、そうした懸念をすべて排除しようと考えると、そもそも、倉庫を使ってはいけないことになってしまいかねない。


今回話を伺った左から石川県県民文化局文化振興課の梅本賢一郎氏、石川県立歴史博物館資料課長の濱岡伸也氏、石川県教育委員会文化財課(取材当時)現石川県金沢城調査研究所の空良寛氏。下は背後にある建物、旧陸軍第九師団長官舎全景



古い建物保存のメリット、デメリット


その後も博物館は社会の変化に合わせて改修を繰り返している。
「長らくエレベーターはバックヤードにあり、人荷一緒でしたが、高齢者、障がい者の方の来館が増えたため、入り口近くの分かりやすい場所に移動しました。授乳室も必要と新しく設置しました。一般の方々には公共施設は最先端という意識があるため、この建物はそもそも、そうした時代のものではないにも関わらず、その意識に合わせて改修してきたのです」。

古い建物と現在の常識には大きく乖離している部分があるわけだ。濱岡氏は分かりやすい例として城を挙げてくれた。後世に再建された城以外はたいてい急な、急すぎる階段の上に天守閣があるが、これをバリアフリーでない、車椅子でも行けるようにして欲しいという要望があったらどうだろう、と。

バリアフリーの考えを軽視するわけではない。だが、誰もが行けるように城の階段をフラットにしたり、エレベーターを設置したら、それは歴史を伝える建物ではなくなってしまうのではないか。建物、歴史を優先するのか、誰もが行けるアクセスを優先するのか。どちらが正しいということではなく、本来、古い建物を保存、利活用する場合にはそれも考える必要がある。メリット・デメリットを冷静に考える必要があるということだろう。

と、苦労話が続いたが、最後にひとつ、楽しい話を。本多の森公園内には他にも旧陸軍第九師団長官舎、旧陸軍金沢偕行社、旧陸軍第九師団司令部庁舎などといった美しい近代建築がある。そのうち「現在はほとんど使われていない後者の2つの建物が、今後、美術館として活用される予定がある」(石川県県民文化局文化振興課・梅本賢一郎氏)というのである。詳細はまだこれからだそうだが、建物自体は今も見られる。次に金沢を訪れる機会があったら、ぜひ、本多の森公園の建物見学をお勧めしたい。

石川県立歴史博物館
http://ishikawa-rekihaku.jp/

加賀本多博物館
http://honda-museum.jp/

石川四高記念文化交流館
http://www.pref.ishikawa.jp/shiko-kinbun/


今後活用される予定の2棟。上は旧陸軍金沢偕光社。将校クラブである。下は旧陸軍第九師団司令部庁舎だ



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