おみくじで凶を引いたらどうする?東洋思想に彩られた諦観の世界

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多くの人が訪れる初詣、おみくじを引いてもし凶が出たらどうする?


初詣では年の初めの運試しということで、「おみくじ」を引く人が少なくないことだろう。しかしそこでもし「凶」が出たら皆さんはどうするだろうか。何度も引き直すか、それとも粛々と受け止めるか。

毎年、各方面から発表されている初詣参拝者数を見ると、明治神宮で320万人ほど、伏見稲荷で280万人ほど、ベスト10と言われる神社への参拝者数をざっと計算するだけでも約2200万人が初詣に訪れていることになる。これに寺院の成田山新勝寺305万人や川崎大師平間寺300万人などを加えていくと、なんと初詣だけで、のべ約一億人の人々が寺社を参拝していることになるそうだ。

これだけの人が初詣に行き、多くの人がおみくじを引く。そこで悪い結果が出てしまったら、それほど深刻にはならなくても、少し気になるのが人情である。以前、筆者の家族は「大凶」「凶」「大凶」と、ある意味、天文学的な確率で連続して引き、最後に「小吉」が出たところでやっと安心して家に帰ることができたという経験がある。

さだまさし氏の飛梅という歌の歌詞にも、恋の終わりが近付いている彼女がおみくじを引き、大吉が出るまで何度も引き直すというシーンがあるように、凶を引いてしまったら、やはり引き直したくなる人が多いのではないだろうか。

しかし、おみくじとは神聖な神社仏閣で引くものである。こんな風に自分が好きなだけ何度も引いても良いものなのだろうか。そもそもおみくじとは何なのだろうか。歴史をたどると、実はおみくじとは元々、吉凶占いをするためのものではなかったようである。今回は、おみくじの歴史や意味、読み方など、その秘密に迫ってみよう。


いつの頃からか、おみくじの結果が悪ければ、小枝に結ぶと、難逃れができると言われるようになった



おみくじの起源は寺が配った漢詩集、神社では神の言葉が書かれた和歌みくじ


日本のおみくじの起源は、南北朝時代に中国からもたらされた「天竺霊籤(てんじくれいせん)」であるとされている。天竺霊籤とは、観音菩薩のお告げとされる五言四句の漢詩集を、一首ずつ短冊状に作ったもので、観音経の教えを広めるために、寺院に参拝に来た人々に一つ一つ手渡しをして配ったものである。この短冊は「観音籤(かんのんくじ)」と名付けられ、多くの寺院で行われていた。


この観音籤が、江戸時代の寛文年間(1661~1674)になると、ある仕掛け人によって爆発的に大流行することとなる。上野の寛永寺を開き、徳川家のブレーンでもあった有名な高僧である天台宗の大僧正天海が、偉人として当時人気があった元三大師(がんざんだいし)と観音籤を結びつけ、かの有り難い元三大師様のお言葉ですよと、「元三大師御籤(がんざんだいしみくじ)」を世に出したのである。

もちろん目的は布教のためであったが、これが瞬く間に江戸の民衆の間で大流行し、それを切っ掛けに、天台宗だけでなく多くの宗派の寺院をはじめ、神道の神社までもが御籤を扱い出したのである。

それ以後、江戸っ子の流行りモノ好きの性格からか、様々な御籤が発行されている。例えば元禄年間(1688~1704)には「法華経御鬮霊感籤(ほけきょうみくじれいかんせん)」が、享保年間(1716~1735)には「関帝籤(かんていくじ)」が出されている。

しかし、これらの御籤は全て漢詩で書かれていて、内容は仏法の教えを元にした教訓や、説法のごときものであった。これは寺で売るには問題ないが、神社で売るとなると問題が起きる。

そこで安政6年(1859)に神社側が独自に創出した「和歌みくじ」が現れた。これは日本書紀と古事記の神代巻から神の言葉を選んだもので、仏教や易経の影響を排除した日本独自のものであることが強調されている。

その後、寺では漢文の御籤、神社では和歌の御籤と言う住み分けができていくのだが、どうやらこの当時の寺社の御籤には、まだ吉凶に優劣や順位を付けるといったような、サイコロ占い的な性格は持ち合わせていなかったようだ。ではいつから今のような「おみくじ」になったのだろうか。


百番まである観音籤は、引く竹籤の重さもずっしりとしている



吉凶順位は御籤の販売促進のために付加された?古くからある占いと賭博の深い関係


神社仏閣での御籤の流行と共に、江戸の庶民たちの間で人気になっていた遊びというか占いがあった。「辻占(つじうら)」である。辻占とは、街角に立ち、吉凶を書いた紙片を2~3文という少額で売るもので、主に家計を助けるために子供たちが行っていた。他にも「辻占煎餅」なる籤が入った煎餅も売り出されたと記録にある。現代風に言えばフォーチュンクッキーである。

辻占は、貧しい家庭を助ける相互扶助的な意味を持ち、また安価に楽しめる娯楽的な側面を併せ持っていたため、あっという間に江戸の街中へ広がって行った。

この辻占の射幸性を御籤が取り込み、今のおみくじの原型へとつながっていったと推察される。この頃になると御籤は有料になり、寺社にとって商材としての性格も持つようになっていた。吉凶の順位を付けてサイコロ占い的な要素を付加したことで、御籤の売り上げが更に伸びただろうことは想像に難くない。

占いには射幸性があり、賭博的な要素もある。実は占いと賭博には古くから深い関係があり、鎌倉時代に書かれた「紙本淡彩東北院歌合(かみぼんたんさいとうほくいんうたあわせ)」と言う職業紹介の絵巻によると、賭博を職能とする「博打(ばくち)」という職業が存在し、巫女と共に描かれている。当時、賭博は神意を占う呪力を持った神聖な行為であった。

面白いのは、絵巻の中で、賭博に負けて身ぐるみ剥がされた男と、それを冷めた目で見る巫女が描かれていることだ。負けた博打は神意が降りてこなかったということだろうか。占いとは、神聖な行為であると同時に、行き過ぎれば身を滅ぼすものであることを表している。

おみくじを引いて凶が出たらもう一回引きたくなる、大吉が出るまで何度でも引き直すという行為は、悪いことを恐れ避けたいと言う気持ちと、幸運を得たいという欲求から生まれる。これが射幸心である。

つまり、おみくじは何回引いても良いのかということに対する回答は、おみくじは何回も引き直すように作られてきた歴史が存在するだのから、何度引き直しても別に悪いことはないということになるだろう。


箱の上に開けられた穴から引くタイプのくじ。無人のおみくじ販売所ではこの方式をよく見る



実際におみくじを引いて分類、全国シェア70%のおみくじ制作会社が存在する


さて今回、15箇所の神社仏閣を訪ね、実際におみくじを引いて、どんなことが書かれているのか、統一フォーマットはあるのかなど、内容を確認しながら分類をしてみた。

選んだ神社仏閣は、寺院が真言宗、天台宗、浄土宗、浄土真宗、日蓮宗、黄檗宗、曹洞宗、臨済宗の8寺。神社が明神社、稲荷社、八幡社、氷川社、春日社、東照宮、金比羅社の7社である。

吉凶の判定は、大吉5、吉5、中吉2、小吉1、末吉1、凶1で、まぁまぁと言ったところだろうか。吉凶の順は、諸説あるが概ねこの順番とされている。

内容の分類をしてみると、和歌みくじ10、漢文御籤2、その他3という結果であった。現在では寺院が漢文、神社が和歌と言うわけではなさそうだ。その他と分類したものは、「太鼓を打てば鉦が外れる」「静かに物事を見つめよ」と言ったような、人生訓のごとき言葉が書かれている。

その他の欄には、運勢や願い事の各種項目が書かれていたり、口語でアドバイスが書かれているだけのものもあったり、かなりバリエーション豊かに展開している。

願い事の項目には、望事、病気、待人、縁談、売買、訴訟、失物、相場、品物、サワリ、数、方位などがあり、それぞれに解説が添えられている。解説の内容は、概ね一般論的なもので、「急がぬが吉」「好機」「西に進むが良し」などの他に、病気なら「精神の安定が第一」や「治る信心が第一」などで、出産に至っては吉凶関係なく全てに「さわりなし安産」と書かれている。こんなところにも少子化対策がされているのかもしれない。

しかしどのおみくじにも、吉凶判断は必ず書かれていて、しかも一番大きくある。つまり現代のおみくじに必須なのは、以前は販促のおまけだった吉凶順位であり、中身についてはそれぞれで良いということなのだろう。

さて、江戸時代から明治時代にかけて、おみくじ本なるものが作られていた。おみくじに書かれている和歌や漢文がすべて一覧になっていて、それをもとにおみくじが作られていた。時代によっておみくじの種類の総数が異なるため、全部で何種類あるかを知れば、どの時代のおみくじ本を手本に作られたかがわかる。

例えば、100種類のおみくじで構成されていれば江戸初期に書かれた「観音籤」、80種なら江戸後期の「神代正語籤」、64種なら明治20年の「神国歌占鑑」、50種なら明治3年の「神籤五十占」が有名どころである。実はおみくじの全国シェアの約70%を占めているメーカーもある。山口県にある女子道社である。確率だけで言えば、10寺社で引けば7回は女子道社製に当たるというわけだ。


8寺院7神社で引いて来たおみくじ。値段は50円から500円まで、竹籤で番号を引くものから穴に手を入れて直引きするものまで色々ある



おみくじや占いは、東洋的な世界観の中で息づく存在


このように「おみくじ」は、販売側の布教に対する想いと経済事情を推進力として、江戸っ子の洒落好きと寛容性に支えられ広がっていった。

しかし他方、おみくじは東洋的な世界観の上に綿々と続いてきた文化でもある。未来は不確定なものである。どんなに頑張って努力しても必ず成功する保証はないし、身に降りかかる不運や災難は避けられない。綿密に計画準備しても想定外の事態が起こってしまうことがある。そういった不確定な要素に関する思想が、西洋と東洋では異なっている。

西洋的な世界観では、時間は過去から未来へと流れる。西洋においての「現在」は、過去から歩んできた結果であり、未来は不確定なものである。しかし東洋的な世界観においては、時間は未来から過去へと流れる。すなわち東洋における未来とは、その文字が表す通りに「まだ来ていない」だけで、既に何が起こるかは決まっている状態であり、「現在」とはそれに向かって進んでいる状況であると考える。西洋的世界観と東洋的世界観では「現在」というものの位置付けそのものが、異なっているのだ。

未定な状態なら、自分の頑張り次第で何とか作り上げていくことができる。しかし、未知なだけで既に決定していることなら、人は受け入れることしかなす術はない。自分の身に起こった不幸と向き合う際、乗り越えるべき試練と感じるのが西洋的な思想であるとすると、定めだと諦めて受け入れるのが東洋的思想と言える。

不幸に見舞われた人を、さらに頑張れと叱咤激励するのではなく、仕方ないから受け入れて気楽に休めと言うのが東洋的な考えであり、これが悟りの文化である。

おみくじには、そんな東洋的な諦観の世界、筆者から見ると果てしない優しさが溢れている。これから起きる出来事を指し示しつつ、受け入れる方法を教えてくれているのだ。どこかでおみくじを引いたなら、吉だ凶だと一喜一憂するだけでなく、じっくり書かれている歌にも目を落としてほしい。そこには、先人たちのそんな優しさが込められている。


最近は、観光おみくじも盛んに販売されている。木彫りの七福神の体内に、おみくじが埋め込まれている



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