菊竹清訓の米子「東光園」が登録有形文化財に。記念シンポジウムに建築家・伊東豊雄氏が登壇

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“メタボリズム”を提唱し、戦後日本の建築をリードした建築家・菊竹清訓


菊竹清訓(きくたけきよのり、1928-2011)という建築家をご存じだろうか。東京・両国にある江戸東京博物館(1992年)や福岡・太宰府の九州国立博物館(2004年)などを手掛けた建築家だ。東京では、銀座通り口の交差点にあった「ホテル西洋銀座(銀座テアトルビル、1987年)」や、上野・不忍池のそばに建っていたギザギザの塔「ソフィテル東京(元ホテルCOSIMA、1994年)」を記憶している人も多いのではないか。西武渋谷店のLOFT館(1987年)やMovida館(元SEED館、1986年)の原設計も菊竹によるものだ。ほか、大阪万博のエキスポタワー(1970年)、沖縄海洋博のアクアポリス(1975年)、愛・地球博のグローバル・ループ(2005年)など、博覧会のシンボル施設を数多く手掛けた。

建築史上では、1960年代に、黒川紀章や槇文彦らとともに「メタボリズム」という概念を提唱したことでも知られる。「メタボリズム」とは「代謝・更新」を意味する言葉だ。また、菊竹の事務所は伊東豊雄や内藤廣など、世界的に活躍する建築家を大勢輩出している。

その菊竹が1964年に完成させた初期の代表作が、鳥取県米子市の皆生温泉にある「東光園」だ。今年、その本館「天台」が国の登録有形文化財に登録された。これを記念して、去る11月26日、東光園本館ロビーを舞台にシンポジウムが開催された。


東光園道路側外観。複数の柱を束ねた“組み柱”が表れ、上層階は宙に浮いているように見える



地上20mの高さにある巨大な梁から客室を“吊る”大胆な構造


何の予備知識もなく、温泉と山海の美味を求めて東光園を訪れた人は、建物の威容を見てびっくりしてしまうのではないだろうか。むき出しのコンクリートの柱と、宙に浮かぶような上層階、その上にちょこんと載った帽子のような屋根…。しかも建物の中ほどに、スキマのようなものがある。他に似たような建物を挙げろといわれても、ちょっと思い浮かばない。

この建物の特徴のひとつは、外観にも、ロビーの中にも見られる「組み柱」だ。大小の柱を「貫(ぬき)」という水平部材で組み合わせて強くしている。これを6本並べて地上20mの高さに巨大な梁をかけ、そこから2層の客室階を吊り下げているのだ。建物中ほどのスキマは、下から支えられている宴会場などの階と、上から吊られている客室階の中間にあたる。

彫刻家・流政之がつくった庭園から見る外観は、さらに複雑だ。エレベーターと階段室が外側から取り付き、吹き抜けのロビーが張り出している。


(左上)庭園側から見た東光園。建物の左側に階段室とエレベーターが突き出している(右上)東光園のロビー。組み柱が存在感を示す(左下)4階部分にあたる空中庭園。大きな梁と上階の床の間にスキマがあいている/以上3点の写真:来間直樹(右下)シンポジウムにあたって地元の国立米子工業高等専門学校の学生たちがつくったパネル展示



伊東氏を建築設計の道に導いた、師・菊竹清訓と東光園


シンポジウムの基調講演に立った菊竹事務所OBの建築家・伊東豊雄氏は、ガラス張りの階段室を指差して語る。「普通、こんな階段の付け方はしないですよ。柱と梁の力強い構造ができたら、余分なものは付けたくなくなるものです。それなのに、東光園で菊竹さんは、様々な要素を後から後から付け加えて統合している。そこがこの建築のすごいところです」

伊東氏は、この建物が建設中だった1964年、菊竹事務所に体験的に入所し、そこで初めて建築家を志したという。「それまで建築は頭で考えてつくるものだと思っていましたが、身体の中からえぐりだすようにアイデアを出す菊竹さんの姿に触れて、考えを改めました。初めて、真剣に建築に取り組みたいと思った」と振り返る。

当時開通したばかりの東海道新幹線に乗って、東光園の現場を訪ねたときの印象も忘れられない。「吊られた床の体感は、柱で支えられた床の体感とは明らかに違いました」。東光園がなければ建築をやっていなかったと思うほど、大きな衝撃を受けた。

東光園の組み柱は、厳島神社の鳥居から着想したとされる。シンポジウム登壇者のひとりで、菊竹作品に詳しい早稲田大学助教の斎藤信吾氏は、「鳥居なのに中央にも柱があるところを見ると、(中央に心御柱を持つ)出雲大社も念頭にあったのでは」と語る。近代建築の旗手でありながら、こうした日本伝統のモチーフを採り入れるのも菊竹の特徴だ。

菊竹は福岡県久留米市で何百年も続く大地主の家に生まれ、戦後の農地改革による土地の没収を経験した。晩年の菊竹は、このことが農業に根ざす日本文化を破壊したと憤っていたそうだ。「菊竹さんは、日本の民家のような骨太な和の精神を、身体的に持っていた人だと思う」と伊東氏は語る。


シンポジウムで語る伊東豊雄氏。会場は東光園のロビー。スクリーンに映し出されている写真は東光園の架構模型(撮影:小山孝)。伊東氏の背後にはガラス張りの階段室が見える



築50年を超えた東光園。今後の維持活用には課題も山積み


東光園は過去に2回、持ち主が変わっている。現在は広島県福山市に本拠を置く感謝グループのベネフィットホテルが経営者だ。2010年10月に東光園を入手、保存活用のために登録有形文化財に申請し、今年登録を果たした。しかし、建物の維持は終わりのない課題だ。築50年を超え、潮風にさらされ続けてきた建物には傷みも目立つ。しかも東光園は、他に類を見ない独自の構造だ。補修・改修には専門家の協力が欠かせず、今後、費用の増大も見込まれる。

今回のシンポジウムは、東光園の未来を考える契機として開かれた。建築の専門家ではない私たちにできるのは、関心を持ち続けることだ。戦後日本建築の最初の黄金期に生まれた、巨匠・菊竹清訓の傑作。しかも東光園はホテルという開かれた建築で、誰でもその空間を味わうことができる。皆生温泉はJR米子駅から車で20分ほど。山陰を訪れる機会があれば、立ち寄ってみてはいかがだろう。


取材協力:東光園
http://www.toukouen.com/


シンポジウム第二部のトークセッション。2014年に「建築のこころ-アーカイブにみる菊竹清訓」展を開催した国立近現代建築資料館の桐原武志氏、その調査や会場構成にあたった早稲田大学理工学術院建築学科助教の斎藤信吾氏も登壇、国立米子工業高等専門学校名誉教授の熊谷昌彦氏がコーディネーターを務めた



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