仲間4人と”ノリで移住”から4年、「自分たちで町を面白く」新移住者を歓迎する交流スペース「ポルト」の歩み 北海道上川町

SUUMOジャーナル

北海道の上川町は大雪山国立公園や層雲峡温泉などを有する自然豊かな町です。人口3000人ほどの町には元銀行の空き物件を活用した交流&コワーキングスペース「PORTO(ポルト)」があります。この場所では“元”移住者が“新”移住者をサポートするという循環が生まれています。
ポルトを運営する株式会社Earth Friends Camp代表取締役の絹張蝦夷丸(きぬばり・えぞまる)さん、同社コミュニティマネージャーの中川春奈(なかがわ・はるな)さんにお話を伺いました。

大雪山のふもとに位置する北海道上川町(画像提供/ポルト)

大雪山のふもとに位置する北海道上川町(画像提供/ポルト)

全ての人に開かれた、多様なバックグラウンドを持つ人たちが出会う場に

ポルトは町中心部の銀行跡地の空き物件を活用し、できるかぎり地域住民たちの手で改装を手掛け、2021年10月オープンしました。
現在はコミュニティマネージャー2人とパート勤務1人の3人体制で業務しています。誰もが気軽に入れる交流スペースのほか、移住・観光・暮らしの総合窓口、コワーキングスペース、ショップ、ギャラリーと5つの機能をあわせ持っています。

筆者が訪れた平日昼下がりには交流スペースでコーヒー片手に楽しそうに語らうシニアの方々、その後ろでパソコンとイヤホンでオンラインミーティング中の若いビジネスパーソンの姿がありました。コワーキングスペースも3名が活用していました。
放課後は学童帰りの子どもたちも立ち寄り、もっとにぎやかな時間があるそうです。マルシェなどイベントが開催され、町内外の人が入り混じる取り組みも盛んに行われています。土、日も開いているため、役場や市役所での移住窓口と異なり、休日に相談に乗れることも訪れる人の利点でもあります。
利用者数はひと月にのべ500人ほど。年間累計6000人に達し、町人口の倍近くの人がこの場を訪れていることになります。

明るい雰囲気の交流スペース。フローリングは銀行時代のままの素材を使用。奥の大きな金庫だったスペースはギャラリーとして活用されています(写真撮影/米田友紀)

明るい雰囲気の交流スペース。フローリングは銀行時代のままの素材を使用。奥の大きな金庫だったスペースはギャラリーとして活用されています(写真撮影/米田友紀)

実は、ポルトは一般的な公設民営施設ではありません。物件自体をEarth Friends Campが賃貸契約していることで、運営委託期間が終了しても自分たちで継続していくことができることが利点だといいます。
同社代表取締役の絹張さんは、2019年に仲間4人の“ノリ”で上川町へ移住した人物。ノリから始まって4年、どっぷりと地域に浸かりチャレンジを続けています。

ショップ機能の棚は大工としても活躍する地域おこし協力隊の一員が制作。町には道の駅がないため、地元土産が購入できる観光の拠点としても利用されています(写真撮影/米田友紀)

ショップ機能の棚は大工としても活躍する地域おこし協力隊の一員が制作。町には道の駅がないため、地元土産が購入できる観光の拠点としても利用されています(写真撮影/米田友紀)

仲間4人の勢いで移住。自分たちで町を面白くしたい

絹張さんは2019年3月、29歳の時に地域おこし協力隊として札幌市から上川町へ移住しました。
きっかけは移住前年の2018年秋に上川町の層雲峡で開催された紅葉イベントでした。当時移動式コーヒ―ショップを営んでいた絹張さんは、アウトドア仲間とともにイベントに参加。その際、層雲峡でホステルを経営していた友人から上川町の地域おこし協力隊「KAMIKAWORK」の募集が始まったことを偶然紹介されます。
当時、町ではフード、アウトドア、ランプワーク、コミュニティと4分野で人を募っていました。
「面白そう!」と盛り上がり、仲間同士で4分野にそれぞれ応募したところ、そろって採用されたのです。

「楽しそうだと思ったものの、上川に住みたかったわけでも、協力隊になりたかったわけでもありませんでした。まだ都心部から離れたくないなという気持ちもありましたし。
もしも当時、自分の故郷の町で同じような話があったなら、そちらに関心があったかもしれません。本当に偶然、上川町での働き方を知って、仲間と盛り上がって応募してみたら採用されちゃった、という感覚。採用が決まり、さてどうしようか、4人で行くんだから何とかなるか、という勢いの移住でした」

町での新しい活動を前向きに考えていたものの、移住から半年の間、絹張さんは想定外のしんどさを味わいます。地方出身で、地域のことに詳しく、アウトドア企画など提案力が問われる取り組みを得意としてきた絹張さん。ですが、町で自分がやりたい活動をしたいのに、思うように活動できない日々が続きました。

「今思えば恥ずかしいですが、自分の力を過信していたのだと思います。行政には行政の仕事の進め方があるのに、スピード感が合わない、正しいのに変えられない、と感じてイラ立ちを抱え続けていました。でも、周囲に相談していくうちに気づいたんです。相手が求めていないことを、自分の正しさで押し付けてはいけない。まず求められたことに対して、それ以上のことを届けていくことをめざしました」

町の人と話すために、町中にとにかく顔を出す。銭湯に通い、地元の話を聞く。絹張さんは自身の役割を考察し、地域おこし協力隊として任用された自分ができることを見出していきます。すると移住直後の軋轢(あつれき)が減り、業務も少しずつ歯車が噛み合うように。自分の行動で地域がより良くなる手応えが生まれ、「自分たちの力で町を楽しくできる」という実感が湧いてくるようになりました。

小さな町では「一票の重み」のように一人のチャレンジが大きな変化をもたらすことがあります。自分たちの取り組みが目に見えて身近な人の幸せにつながる感触。これは小さな地域ならではの面白さかもしれません。

絹張さんとともに移住した仲間3人も、地域おこし協力隊卒業後も上川町に関わり続けています。ポルトがある町の通り道。地方にありがちな静かな通りの様子に、著者は「この道で合ってる?」と一瞬不安になりましたが、ポルトや近くのカフェには若い世代もシニアも多くの人の姿がありました(写真撮影/米田友紀)

絹張さんとともに移住した仲間3人も、地域おこし協力隊卒業後も上川町に関わり続けています。ポルトがある町の通り道。地方にありがちな静かな通りの様子に、著者は「この道で合ってる?」と一瞬不安になりましたが、ポルトや近くのカフェには若い世代もシニアも多くの人の姿がありました(写真撮影/米田友紀)

地域で暮らす人が楽しそうな町には、自然と人が集まるはず

移住から1年後の2020年春、世界中がコロナ禍に陥ります。3つの温泉郷を有する上川町では観光産業が大きなダメージを受けました。
絹張さんらは温泉郷の安心宣言を設計し、広報活動をサポートする役割を担います。観光産業への打撃は自分と地域の関わりを見直す契機にもなりました。

「観光やレジャーの事業をやりたい。町でコーヒー屋もつくりたい。でも、事業があるだけではダメなんです。当然ですが町に来たいと思う人がいなくては成り立ちません。仲間と内輪で楽しくやっていても、その先が見えない。地域のことをもっともっと、考えないとダメかもしれない。そう考えるようになりました」

当時役場から偶然、声がかかったのが交流施設の立ち上げでした。ポルトの原案となる交流施設のコンセプトシートを見た絹張さんは「これだ!」と感じたといいます。
人口が多かった時代の町の過去と現在との比較や都市部と田舎を比べて勝ち負けを競うのではなく、今地域で暮らす人が楽しい町でありたい。そんな人たちが暮らす地域には自然と人が集まるはず。コンセプトシートには絹張さんがつくりたい地域の未来が広がっていました。
交流施設の輪郭を役場とともに手探りで描き、2021年にポルトがオープンを迎えます。

「ポルト」はイタリア語で港の意味。すべての人に開かれた港のような存在をめざしている(画像提供/ポルト)

「ポルト」はイタリア語で港の意味。すべての人に開かれた港のような存在をめざしている(画像提供/ポルト)

絹張さんが代表を務めるEarth Friends Campはアウトドアを軸としたプロデュース事業を行っています。
アウトドアと、移住相談に交流拠点。一見結びつかない事業にチャレンジするのには、「今地域で暮らす自分たちで行動を起こし、町を楽しくしていく」と決めた絹張さんと役場の熱量の共有がありました。

コロナ禍には「行き場を失う人が出てしまう」と出来る限りポルトの鍵は閉めずに、開店していたそう(写真撮影/米田友紀)

コロナ禍には「行き場を失う人が出てしまう」と出来る限りポルトの鍵は閉めずに、開店していたそう(写真撮影/米田友紀)

子どもの「やりたい」も応援 個々人の挑戦に伴走する

現在ポルトには「一緒にやりたい」「あげたい」「ほしい」など自由に記載できる伝言板があります。

そこにある日「みんなで鬼ごっこ大会をしたい」と書き残した小学生がいました。その紙を見たポルトスタッフは大会実施をサポートするために奔走。地域おこし協力隊の教育部門スタッフも巻き込み、小学生主催による鬼ごっこ大会が実現します。

たった一枚からはじまった大会実現に保護者から長文で感謝のメッセージをもらったそう。親が忙しい時期に親以外の誰かが向き合ってくれる、この町で育つ子どもは幸せ者だ、と伝えるメッセージでした。

絹張さんと中川さん。訪れる人の個々の思いに寄り添う姿勢が印象的です(写真撮影/米田友紀)

絹張さんと中川さん。訪れる人の個々の思いに寄り添う姿勢が印象的です(写真撮影/米田友紀)

家族以外の人、地域が自分たちを支えてくれるという原体験は、子どもの人生にプラスの力を及ぼすものではないでしょうか。無償の優しさを「与えてもらった」子どもたちが、彼らが大人になってまた「与えていく」。そんな優しさが継承される社会であってほしいです。

ポルトでは毎月マルシェも行われています。人と人、地域と人をつなぐ場とすることが目的で、町内外の店舗や農園オーナー、キッチンカーを招き、新しい出会いが生まれています。上川町の現役の地域おこし協力隊や別エリアの協力隊、卒業生も多くやってきて、小さな町で人的交流が活発に行われているのです。

「協力隊や上川町で事業をされている方はもちろん、上川町に関わってくれているすべての人のやりたいことをポルトの場を活用して実現してほしいです。やりたいことや暮らしの小さな悩みごとにも一緒に考えて伴走できる存在でありたいです」(中川さん)

コワーキングスペースは上川町の地域おこし協力隊の活動拠点としても活用されています(写真撮影/米田友紀)

コワーキングスペースは上川町の地域おこし協力隊の活動拠点としても活用されています(写真撮影/米田友紀)

中川さん自身も、2023年4月に札幌市から上川町へ移住した一人です。それまでは10年間看護師として従事していましたが、暮らしのすぐそばにある「誰でも来ていい場所」であるポルトが興味深く、何度も足を運ぶようになったそう。

上川町へ通い、町内外の人と会話をする中で、コミュニティマネージャーとして働くことを選びました。これからの人生を考えた時に「心地よさ」や「好き」をもう少し大切に暮らしたいと思っていたタイミングで上川町に出会い、自然がたくさんある環境や人のあたたかさに触れ、心地よさから移住することを決めたそうです。
地域で暮らす人が楽しそうにしていたら、人が集まる。ポルトの原案にあった風景が広がりつつあります。

2023年10月で3年目となったポルト。毎日必ず書く日報には、素敵な取り組みがあった日にスタッフ同士で「ナイスポルト!」とコメントするそうです。ポジティブに協力し合うコミュニティを築いています(写真撮影/米田友紀)

2023年10月で3年目となったポルト。毎日必ず書く日報には、素敵な取り組みがあった日にスタッフ同士で「ナイスポルト!」とコメントするそうです。ポジティブに協力し合うコミュニティを築いています(写真撮影/米田友紀)

偶発的な機会を受け入れ、自分起点で挑む

「自分たちで」は絹張さんたちからよく聞かれる言葉。自らがやりたいことに挑むことで、結果として身近な人たちが幸せになってくれたら、というアクションの取り方をしています。

仲間同士のノリと偶然から始まった小さな町への移住。自分たちの役割と、やりたいことをつなげながら、ポルトは新しい移住者を歓迎する循環を生み出しつつあります。
外からの風が吹く場所であり続けたい、とポルトの2人は語ってくれました。

自分たちが町の新しい風であったように、次の風が町に楽しい変化を巻き起こす。ポルトから始まる地域の変化が楽しみです。

●取材協力
ポルト

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記事提供元:タビリス