伝説のDIY可賃貸「吉浦ビル」誕生から10年、入居者をまき込みまちづくりが進行中! 空室率20%から人気物件になった脅威の軌跡とは 福岡市

SUUMOジャーナル

2013年、時代に先駆け“入居者が好みに合わせて自由にフルカスタマイズ可能な賃貸”で話題を集めてきた福岡県福岡市の「吉浦ビル」。およそ10年の時を経て、どんな変化を果たしているのか! 熊本大学で建築を学ぶ学生たちがリノベーションを学ぶために視察に訪れると聞きつけ、同行させてもらうことに。まるでニューヨークのアーティスティックな住まいのようなカスタム事例との出合い、さらには空間だけに留まらない街や時代に深く斬り込む活動の数々。10年の着実な進化を目の当たりにする時間となった。

始まりは祖父の経営していた老朽化した賃貸ビルを引き継いだこと

リノベーションや不動産に見識のある人たちの間では、全国区でその名を知られる吉浦ビル。その歴史は、中心人物となる吉浦隆紀氏が祖父から老朽化した賃貸ビルを引き継いだことに端を発している。空室率20%、高齢化率40%、滞納金1,000万円以上、最寄りの駅からも40分程度。そんなビルの実情を表す数字を目の前に突きつけられて、正直最初は「モチベーションも0%」だったという吉浦氏。

学生を前に丁寧な案内でひと部屋ずつを案内するオーナー兼社長の吉浦隆紀氏(写真撮影/アポロデザイン)

学生を前に丁寧な案内でひと部屋ずつを案内するオーナー兼社長の吉浦隆紀氏(写真撮影/アポロデザイン)

しかし、直前に留学していたニューヨークでの経験をもとに、「100年を超える建物でも、決してアクセスのよくない物件でも、ニューヨークなら世界中から人が集まり、高い賃貸でも暮らしている」と思い立ち発想を転換。リノベーションという付加価値をつけることで、魅力あふれる賃貸にできないか、と思い至ったそうだ。早速、空き家だった部屋を程よくリノベーションして貸し出すことにするが、実は、このリノベではなかなか入居に至らなかった。そこで、さらに一歩踏み込んで始めてみたのがスケルトン、つまりゼロの状態から入居者の好みにあわせてフルリノベーション可能な賃貸として貸し出すという大胆な施策だ。するとクリエイティブな人たちからの問い合わせが続々と入り始める。

仕組みとしては、オーナー側である吉浦ビルが3年分の家賃程度をリノベーション費として補助。例えば、家賃6万円のお部屋であれば、総額230万円程度の補助額が出るというわけだ。賃貸する側は、補助額内でリノベーションをすることもできるし、もっと手をかけたければそれ以上のお金をかける人たちもいる。貸す側、借りる側でWin-Winの関係が築かれてきた。

視察に訪れた熊本大学の学生たちと吉浦ビルの関係者。写真奥左から管理部の森山幸久さん、真ん中が吉浦隆紀さん、右が森田英介さん(写真撮影/アポロデザイン)

視察に訪れた熊本大学の学生たちと吉浦ビルの関係者。写真奥左から管理部の森山幸久さん、真ん中が吉浦隆紀さん、右が森田英介さん(写真撮影/アポロデザイン)

ただのリノベじゃない!賃貸の概念が覆される個性派すぎる空間

大学生の訪問に併せてこの日は、入居者が暮らす3部屋と1階のテナントが視察を受け入れてくれるという。その入居者さんとの関係の近さにも驚きだったが、扉を開く度に広がる部屋のリノベーションのカスタム具合はさらに衝撃的。

ひと部屋目は、東京在中の映像クリエイターがカスタマイズしたという80年代を彷彿とさせるスペーシーな空間。吉浦ビルの周辺は時に畑も広がっているのどかな地域だが、この部屋はクラブのようでもあり、未来空間のようでもあり樋井川沿いとは思えない尖り具合。部屋の一角には、防音室まで整備されている。

映像クリエイターが手掛けたという80年代の宇宙映画を彷彿とさせる空間。本格的な防音室もあっていろんな楽しみ方ができそう(写真撮影/アポロデザイン)

映像クリエイターが手掛けたという80年代の宇宙映画を彷彿とさせる空間。本格的な防音室もあっていろんな楽しみ方ができそう(写真撮影/アポロデザイン)

別のもうひと部屋は、フードコーディネーターが自身の仕事場としてちょっとしたキッチンスタジオ風に改装した空間。入居者は結婚後に海外移住したそうだが、今も手放すことなくレンタルスタジオとして遠隔で活用中だそう。空間だけじゃなく、使い方のカスタマイズもされている。

レンタルスタジオとしても機能している部屋。撮影時に使いやすいようカスタマイズした工夫が随所に(写真撮影/アポロデザイン)

レンタルスタジオとしても機能している部屋。撮影時に使いやすいようカスタマイズした工夫が随所に(写真撮影/アポロデザイン)

3つめの部屋は、ファッションデザイナーがその拠点とする空間。創作活動だけでなく、お客も訪れるというアトリエ空間は、海外などで仕入れてきたというヴィンテージの什器などが壁一面に自由に取り付けされている。

入居したてのファッションデザイナーのお部屋。音や振動のあるプロ用ミシンを気にせずに使えるのも決め手になったそう(写真撮影/アポロデザイン)

入居したてのファッションデザイナーのお部屋。音や振動のあるプロ用ミシンを気にせずに使えるのも決め手になったそう(写真撮影/アポロデザイン)

ほかにはこんな部屋も(写真提供/樋井川テラス)

ほかにはこんな部屋も(写真提供/樋井川テラス)

(写真提供/樋井川テラス)

(写真提供/樋井川テラス)

この部屋は、室内に庭をつくっているそう!(写真提供/樋井川テラス)

この部屋は、室内に庭をつくっているそう!(写真提供/樋井川テラス)

自然と生まれるコミュニティが空室の心配も解消

建物の1階には住人はもちろん、一般のDIY愛好者もレンタル可能なDIY工房Tekuがある。ここを拠点に家具製作を行っている藤田元輝さんは、カスタム賃貸の吉浦ビルが始まった初期からの入居者だ。住人が自身でDIYをする時に工房を利用するようなときは、相談にのることもあるそう。そもそもマンションのリノベーションとなると、騒音問題が発生しがちだが、吉浦ビルではそうした騒音などにみんなが寛容。むしろ、リノベの相談を通して、自然とコミュニティが広がっているのも大きな魅力のひとつ。BBQなど遊びの時間を共有することもあれば、クリエイティブな住人が多いこともあって、お互いの製作に関するコラボ企画などが進むケースもあるそうだ。

住宅街の1階とは思えないいろんな機材がそろった工房。写真奥左が藤田元輝さん。この工房からオリジナル家具の製作・販売を行っている(写真撮影/アポロデザイン)

住宅街の1階とは思えないいろんな機材がそろった工房。写真奥左が藤田元輝さん。この工房からオリジナル家具の製作・販売を行っている(写真撮影/アポロデザイン)

住人のほとんどが自分の一部のように部屋を気に入っているので、長く住み続けるケースが多いそう。そんなわけで、退去の理由として最も多いのが“寿退去”。どうしても家族が増えて狭くなるから、愛着はあるけれど仕方なく退去するケースが多い。ただ、いわゆる不動産ポータルサイトで募集をかけなくても、空室がでるとすぐに入居者の口コミや、噂を聞きつけた人からの入居希望の問い合わせが入るので、空室率に悩むことはほぼないそう。住民同士はもちろん、吉浦ビルファンによるコミュニティが、この10年で着実に形成されているのが感じられる。

賃貸住宅の経験をもとに、街へ飛び出すカスタム精神

カスタム賃貸や住人同士のコミュニティづくりの成功をもとに、吉浦さんが街の交流を生み出すべく2016年にスタートしたのが「樋井川テラス」の取り組み。商店街の活性化を目指し、樋井川沿いの空き家をリノベーションして“民間の公民館”のような拠点をつくろうというプロジェクトだ。“民間の公民館”は、「カフェや小商いをやってみたい!」という人たちが、安価に場所を借りてチャレンジできる場所になる。

商店街から抜けた住宅街の入り口、樋井川沿いすぐに立つ樋井川テラス(写真提供/樋井川テラス)

商店街から抜けた住宅街の入り口、樋井川沿いすぐに立つ樋井川テラス(写真提供/樋井川テラス)

この場をつくるにあたってこだわったのは、「いきなり投資をしすぎずに小さく始めること」、その上で「ニーズをつかんで寄り添っていくこと」のふたつ。吉浦ビルの賃貸での、「最初からつくり込みすぎるより、カスタマイズを重ねてだんだんとよくしていく」経験がここに活きている。

スタートは小さく始めたが今はスペースも活動も着々と広がっている(写真提供/樋井川テラス)

スタートは小さく始めたが今はスペースも活動も着々と広がっている(写真提供/樋井川テラス)

(写真提供/樋井川テラス)

(写真提供/樋井川テラス)

最初はパラパラだった利用も、今では月に数度のマルシェが定期的に開催されている。特にコロナ禍での需要が高まったそうだが、あえて都会に出るのではなく、地域に根付いたこうした場所が注目されたようだ。

幅広い世代の交流があるのも樋井川テラスの魅力(写真提供/樋井川テラス)

幅広い世代の交流があるのも樋井川テラスの魅力(写真提供/樋井川テラス)

また、樋井川テラスの建物の一角には、オープンデッキのカフェスペースがあるが、実はこれは都市型河川の減災システムの役割も兼ねている。九州大学との研究室のコラボで実現したデッキ部分には、昨今の集中豪雨の際に土壌へ雨水が浸透しやすい素材を使うことで、河川への急な雨水の流入を防ぐ仕組みを兼ねている。その他にも、雨水の流失を抑制する「雨水タンク」を設置し、雨水を活用した「雨庭」も備えられている。九州大学からの話を受けクラウドファンディングによって完成したスペースだが、晴れた日は絶好の休憩スペースとして地域住民に愛されている。7年目を迎え、地域の子どもから、高齢者、そして地域外の人たちも呼び込む、多世代の交流の場として着実に育ってきている。

デッキ部分の下にもしもの災害に備えた機能(写真提供/樋井川テラス)

デッキ部分の下にもしもの災害に備えた機能(写真提供/樋井川テラス)

雨水タンクも各所に置かれている(写真提供/樋井川テラス)

雨水タンクも各所に置かれている(写真提供/樋井川テラス)

今や日本は空き家大国。人口減少の時代、そう遠くない未来に、3件に1件は空き家の時代がやってくるとも言われている。そんな空き家問題に窮する人たちが、吉浦さんの活躍を聞きつけて相談に来ることも多いそう。
空き家をマイナスと捉えてしまうのではなく、この課題に楽しく取り組めないかーー。吉浦さんは、学生や若い人たちを巻き込んで、吉浦ビルや樋井川周辺だけじゃない空き家活用プロジェクトをいくつか推進している。

福岡市を離れ同県内の大牟田市で進む空き家リノベーション。建築を学ぶ学生たちも多くプロジェクトに参加中(写真提供/吉浦ビル)

福岡市を離れ同県内の大牟田市で進む空き家リノベーション。建築を学ぶ学生たちも多くプロジェクトに参加中(写真提供/吉浦ビル)

プロジェクトに学生インターンとして参加していたうちの一人森田英介さんは、卒業後、そのまま吉浦ビルに就職。若い人が自らの思いでプロジェクトを動かしていってほしいと考えた吉浦さんは、敢えて若干22歳の森田さんを株式会社吉浦ビルのCEOに任命してチャレンジの機会を与えている。

この日も建築を学ぶ学生たちを中心に丁寧な案内をしていたが、学校では学べない日本の建物が抱えるリアルな課題を眼の前にして、若い目はさまざまな思いを抱いていたようだ。建物を育てることから始まり、街へ、そして時代が抱える問題にも向き合っていく。10年を経た吉浦ビルの活動は、これからの時代や地域社会にますます必要とされることになりそうだ。

●取材協力
有限会社吉浦ビル
株式会社樋井川村
遊べるカフェ 樋井川テラス

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記事提供元:タビリス