サルトルの戯曲 他者という地獄、されど孤独も
期間限定公開中
【舞台直送(94)】「出口なし」「オセロー」「キャッツ」

河野 孝:舞台直送 (文化ジャーナリスト・演劇評論家、元日経新聞編集委員)(News Socra)

【舞台直送(94)】「出口なし」「オセロー」「キャッツ」の記事画像

「出口なし」より、左から多部未華子、大竹しのぶ、段田安則(撮影:宮川舞子)

「出口なし」
 ★★★★ 見応えあり
「オセロー」
 ★★★★ 見応えあり
「キャッツ」
 ★★★★★ 一見の価値あり


■シス・カンパニー「出口なし」(新国立劇場小劇場、9月24日まで)
 ★★★★ 見応えあり

 「地獄とは他人のことだ」という有名な言葉を書いたフランスの実存主義哲学者サルトルの戯曲が、小川絵梨子の演出・上演台本で上演されている。

 サルトルは哲学だけではなく、小説は「嘔吐」「自由への道」など、戯曲は「汚れた手」「キーン」「アルトナの幽閉者」など多数の著作を書いている。哲学と文学の分野で活躍しながら、ノーベル文学賞の受賞を拒否したことでも知られる。

 「出口なし」は、「密室」という極限状況に置かれた人間関係や感情の動きが、実に濃密で高いエネルギーを放っている。

 ナチス占領下の1944年5月、パリの「テアトル・ドゥ・ヴィユ・コロンビエ」で初演され、大きな反響を呼んだ。これをアメリカの小説家・翻訳家・作曲家ポール・ボウルズが英語に翻案。46年には米国ブロードウェイで初演され、「これぞ現代演劇。必ず観るべき作品」と評価された。

 原題「HUIS CLOS」の「HUIS」は文語で「扉・戸口」の意味。「CLOS」は「閉ざされた、閉まった」の意で直訳では「閉じた扉」となる。これはフランスの法律用語では、「非公開審理」「傍聴禁止」などの意味でも使われるという。

 設定は、窓もなくドアも開かない密室。そこに互いに何の接点もない男女3人が集められる。部屋には鏡もなく、自分の姿を見ることはできない。自分の姿や存在が確かめられるのは、目の前にいる相手を通してのみだ。

 社会生活も同様で、社会で自分がどのような存在と見られているのかは、自分に向けられる他者の態度や視線でしか知ることができない。

 サルトルは『存在と無』で、「対自存在」「対他存在」などと論じているが、他者の意識との相克関係を究極な形で表現したのが、この「出口なし」だと言われている。

 とある一室にガルサン(段田安則)、イネス(大竹しのぶ)、エステル(多部未華子)の3人が順番にボーイ(本多遼)に案内されてくる。この部屋には窓もなく、鏡もない。初対面の3人は次第に互いの素性や過去を語り出す。

 ガルサンはジャーナリスト、イネスは郵便局員、エステルには年が離れた裕福な夫がいたという。それぞれに話はするものの、特に理解し合う気もない3人は、互いを挑発し合い、傷つけ合うような言葉をぶつけ合う。この出口のない密室でお互いを苦しめ合うことでしか、自分の存在を確認する術がないのだ。

 舞台上には、ソファ3脚、ペイパーナイフが載った台、古代ローマの軍人で政治家だったアグリッパと見られるブロンズ像が置かれてあるだけ。正面奥には大きなドアがある。抽象的な舞台でも演じられただろうが、どちらかと言えば具象的な舞台美術だ。

 劇が進行するうちに、3人がすでにこの世を去っており、この部屋が「煉獄」か「地獄」か、死後の世界であることが分かってくる。幽霊のような存在だが、現世への執着がまだ残っており、本人たちも死んだことを本当に自覚していないようだ。

 段田が演じるガルサンは兵役を逃れようとして銃殺された、と本人が語る。臆病者だと思われることをトラウマのように恐れており、彼の耳には、彼について嘲笑的に語る同僚たちの会話が幻覚のように聞こえてくる。

 大竹が演じるイネスは、他人を苦しめずには生きていけないタイプ。ガルサンには皮肉たっぷりに接する一方、多部の演じるエステルに同性愛的な関心を見せ、甘い声で手なずけようとする。それがいかにも妖しく魅力的だ。

 多部のエステルは、常に男の目線しか意識していない。この部屋では唯一の男性であるガルサンを自分に引き付けようと躍起になる。

 段田は今年、長いキャリアの中で初めて年間5本もの舞台出演に臨んでいるという。今回の舞台では、他人(ひと)に認められなくては自信が持てない男の弱さ、小ささを巧妙に演じていて親近感がわく。

 哲学的な世界が根本にあるかもしれないが、舞台自体は、大竹、多部、段田による「演劇的身体」を通して新しい血肉が与えられるわけである。相手に隙につけこもうとするやりとりに弾みとユーモアがあり、俳優の動きが少ない割に躍動的な舞台だ。

 サルトルが言うように、他人と一緒にいることは地獄かもしれない。しかし、他人も誰も人間が全くいない孤独も地獄のように思われる。どちらの「地獄」が最悪だろうか。
(上演時間は休憩なしで1時間20分)

東京公演後、大阪・サンケイホールブリーゼ(9月27~30日)


■「オセロー」(新橋演舞場、9月26日まで)
 ★★★★ 見応えあり

「オセロー」より、中村芝翫と檀れい(写真提供:松竹株式会社)

「オセロー」より、中村芝翫と檀れい(写真提供:松竹株式会社)

 今働き盛りの歌舞伎役者・中村芝翫(しかん)がシェイクスピア劇の主人公オセローを演じている。演出は蜷川幸雄の元で長年演出補を務め蜷川演劇を血肉化している井上尊晶。敵役イアーゴーを演じるのがジャニーズWESTの神山智洋。デズデモーナが元宝塚娘役トップの檀れい、という組み合わせでスペクタクル性にあふれた舞台になっている。

 さらに音楽を担当したのが松竹演劇では初登場の松任谷正隆。台本は、シェイクスピア研究で注目されている河合祥一郎・東大教授の新訳を使用した。

 物語は、ヴェニスを舞台に、ムーア人の将軍オセローが、人種を超え強い愛で結ばれた元老院議員の娘デズデモーナと親の反対を押し切って結婚する。ところがオセローの部下の旗手イアーゴーは、自分が副官に任命されなかったことでオセローに深い憎しみを抱き、復讐心から不幸に陥れようとする。

 イアーゴーは、副官に就任したキャシオー(石黒英雄)を失脚させるために酒の上での醜態を起こさせ、さらには自分の妻でデズデモーナの侍女であるエミーリア(前田亜季)を使って、デズデモーナとキャシオーが密会しているかのようにでっち上げ、言葉巧みにオセローの心を揺さぶる。

 嫉妬の罠にはまり、捏造された浮気の証拠を信じてしまったオセローはついに、デズデモーナに手を加えようとする。激しい恋と嫉妬がもたらす悲劇、外国人への差別問題など、今の時代に通じる普遍的要素が網羅されている作品だ。

 歌舞伎役者がシェイクスピアを演じるのはままあるが、特に「オセロー」は、1914年(大正3年)に七世松本幸四郎が上演して以来、二世尾上松緑、初世松本白鴎、現在の二代目白鴎と歌舞伎役者が綿々とオセロー役を演じてきた伝統がある。今回演じる芝翫にとっては、「芝翫」襲名後初めての外部舞台で「オセロー」を演じることになる。

 演出を務める井上は、生前の蜷川から「これ、持っとけよ」とロシアの有名な演出家がまとめた「オセロー」の演出プランの内容のコピーをもらった、という。今回演出の話があった時、「『オセローをやれ』と背中を押された気持ちになった」と述べている。

 今回の上演は、原作の第一幕の終わりに幕間を入れて三幕構成にしている。ヴェニスからキプロス島へと場面が変わる切れ目でもあり、舞台装置も大階段へと大きく変わる。

 第一幕はヴェニス。光が水面のようにきらめく舞台上に、ゴンドラに乗ったイアーゴーたちが現れる。イアーゴーは、自分が副官になれなかったことへの不満と憎しみを膨らませ、奸計をめぐらせる。

 軍事会議の席に姿を見せた将軍オセローは、その功績をみなが称賛するばかりか、迎え入れた花嫁デズデモーナは誰もが目を奪われるほどの美しさ。白の衣裳の二人がまぶしく、イアーゴーはいっそう恨みを募らせていく。

 第二幕からは、威厳と自信に満ちていたオセローが、イアーゴーの巧妙な罠に落ちていくさまが描かれる。イアーゴーの悪魔のささやきが、オセローには忠実なる男の親切な忠告に聞こえるのは皮肉だ。イアーゴーの毒が面白いように沁みわたっていく。

 第三幕は、嫉妬という怪物が暴れまわる。そしてデズデモーナに訪れる悲劇。デズデモーナが切々と歌う「柳の歌」が悲哀に満ちている。真実を知って血を吐くようなオセローの慟哭、苦悩のさまが芝翫の情熱的な演技で脳裏に焼き付けられる。

 蜷川演劇を想起させる場面や道具仕立てが随所に出てくる。舞台背景の大きな満月はおなじみで、不幸な惨事が起きると赤く染まる。多くの矢が身体に刺さった聖セバスチャンの絵(三島由紀夫も好んだ)、客席からの俳優の登場、などなど。

 オセローのような英雄の役は、存在感のある歌舞伎役者が演じると一段と引き立つ。芝翫のオセローは大きな感情のうねりを演技と台詞で忌憚なく見せる。嫉妬で極限まで心を乱し、大切な人を自らの手で殺してしまった男の姿に鬼気迫るものがあった。

 物語を動かしていくイアーゴー役の神山もいい。若手ゆえの野心をむき出しにした感情が自然で、これまでに多かった老獪で屈折したイアーゴー像をくつがえした。

 そして、物語の終わりに演出家が加えた独自の解釈。シーンの様子は具体的に記さないが、現代のアラブ諸国から欧州へ逃げ出す難民の一群の姿が重なって見える一方、「悪」と言うものが滅びずに永遠に繰り返される絶望感も表現していたように思えた。
(上演時間は休憩2回で3時間5分)


■劇団四季「キャッツ」(キャッツ・シアター)
 ★★★★★ 一見の価値あり

9年ぶりに東京に帰ってきた「キャッツ」の舞台(撮影:下坂敦俊)

9年ぶりに東京に帰ってきた「キャッツ」の舞台(撮影:下坂敦俊)

 劇団四季の名作ミュージカル「キャッツ」は、誰でも知っているミュージカルだが、9年ぶりに東京に帰ってきたのであえて取り上げる。

 東京・大井町の四季劇場「夏」に隣接して建てられた専用劇場「キャッツ・シアター」で8月に開幕した。都会のごみ捨て場を舞台に個性豊かな猫たちが年に一度の舞踏会を繰り広げる物語。美しい旋律の「メモリー」などを聞くと懐かしさが心に迫ってくる。

 文学者T・S・エリオットの詩集「キャッツ-ポッサムおじさんの猫とつき合う法」にアンドリュー・ロイド・ウェバーが曲をつけ、トレヴァー・ナンの演出で1981年にロンドンで初演された。

 日本では四季が83年に初演。これまで全国9都市で公演を行っている。東京は2009年の五反田公演以来で、今年11月に日本初演35周年を迎える。上演回数は来年3月には1万回を超える予定で、ロングラン公演が進行中である。

 幕が開くと、舞台が180度回転して威容を現し一気にテンションが高まる。劇場そのものが「キャッツ」の世界観を反映し、舞台と客席が一体化した空間を作り出す。

 舞台と観客席の周りに広がるゴミのオブジェは、四季の手作りオリジナルだ。猫の目で見た大きさで作られており、通常の3倍以上のサイズとなっている。

 旧型携帯電話、かき氷機やボード型のサッカーゲームやボウリングのピンなど、3000点近いゴミのオブジェ。舞台美術の土屋茂昭氏は「劇場は猫たちと観客とがともに思い出をたどる場所で、それぞれのゴミには誰かの思い出が詰まっている」と述べる。

 さらに公演地によって「ご当地もの」のゴミが新しく作られている。横浜では崎陽軒の弁当箱、広島ではもみじまんじゅう、大阪では阪神タイガースのマグカップが登場。今回は東京タワーのマスコット「ノッポン」やしながわ水族館のチケットがあるという。ちなみに、ゴミのオブジェの中には四つ葉のクローバーが1つだけ隠されているとか。

 登場するネコたちは、プレイボーイでわがままなつっぱりネコや世話好きなおばさんネコなど個性さまざま。登場する猫たちの一風変わった名前も面白い。

 例えば「あまのじゃく猫ラム・タム・タガー」「猫の魔術師ミストフェリーズ」「鉄道猫スキンブルシャンクス」など、この奇妙奇天烈な名前は、ほとんど原作者のエリオットが、謎めいた意味、由来を込めて苦心して作り上げたものだ。

 出演俳優は、「ネコよりもネコらしく」をモットーに、「肩を抜いて肩甲骨が動くようにする」などのテクニックを使って、猫の表情もかわいらしく敏捷に動いている。

 「キャッツ」は98年の福岡公演では細かな個所も含めて約300カ所の改訂が行われた。今回の東京公演でも、今回は楽曲の改訂に伴い、振付・ビジュアル面で一部変更が加えられ新たな変貌を遂げた。

 主な変更点は、ジェニエニドッツ(おばさん猫)に登場するゴキブリたちのタップシーンが変わったこと。マンゴジェリーとランペルティーザ(男女の泥棒コンビ猫)の曲調を一新し、激しく迫力のある雰囲気になったこと。初演以来封印されてきたランパスキャット(けんか猫)のナンバーが装いも新たに再登場したこと、などだ。

 感動的なのがニ幕最後のエンディング。ボロボロのコートをまとい、みんなから嫌われていた娼婦猫のグリザベラが、なんと舞踏会で最優秀の「ジェリクルキャッツ」に選ばれて天上に昇る。そうして、いずれ新しい生を生きることを許される。

 この時に「メモリー 仰ぎ見て月を 思い出を辿り 歩いてゆけば 出逢えるわ幸せの姿に 新しい命に…」と歌うのだが、グリザベラを選んだのは実は、自分より他者の幸せを願うほかの猫たちの真っ直ぐな気持ちだった。グリザベラをマグダラのマリアに位置づける見方もある。

 「キャッツ」が感動的なのは、猫たちのさまざまな生きざまを通じて、我々人間の自分探しと再生のドラマが描かれているからである。個性的な猫たちのパフォーマンス一つ一つに、人間の「誰もがもっとも輝いている瞬間」が切り取られている。

 「キャッツ」は日本で最もヒットしたミュージカル作品の一つであり、日本のミュージカル・ブームに火を付けた歴史的な作品だ。筆者も90年代初め、ロンドン駐在時代に「キャッツ」を見てミュージカルの面白さを知った。

 そんなキャッツを日本に“輸入”して初めて演出したのが、7月に85歳で亡くなった元劇団四季代表の浅利慶太氏。この成功を基に四季は、「オペラ座の怪人」などロイド・ウェーバーのミュージカル、「美女と野獣」「ライオンキング」などディズニー・ミュージカルを手掛けて、ミュージカル全盛時代を切り開いたのだ。
(上演時間は休憩1回で2時間40分)


□【舞台直送】の61回目から、舞台の格付けを始めました。各評価は次の通り(星三つ以上が「観る価値あり」の作品です)。
★★★★★ 屈指の傑作
★★★★ 見応えあり
★★★★★ 一見の価値あり
★★★★★ 見方次第で楽しめる
★★★★ 期待していたが

出発:

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