農家の倉庫から米袋を次々に積み込んで去っていく男たち 南魚沼「コシヒカリ」生産地で1年前に起きたこと
2025/6/25 12:10 J-CASTニュース

突然のコメ不足、値上がり。そして、この事態をめぐるメディアの大報道。しかし、その前兆は2024年夏にはコメの産地では窺えた。
以下の記事は、魚沼のコシヒカリの中でももっとも美味しいコメの生産地として知られる南魚沼市の塩沢地区で米を作り、周囲の農家と交流しながら地球環境の問題と取り組むジャーナリスト大前純一氏の報告だ。大前氏は元朝日新聞社会部記者、南極報道などでも知られるが、インターネットメディアの先駆け「アサヒコム」の創設者、ネット報道のレジェンドでもある。
塩沢コシヒカリは魚沼の「頂点」日本で一番高い価格で農協が集荷
新潟県南魚沼市塩沢地区は、魚沼コシヒカリの中でも、もっとも高額で取引されてきた「塩沢コシヒカリ」の産地である。
ここで、休日農業講座「田んぼのイロハ」というプログラムを始めて、2025年で19年目になる。自宅から5キロほど離れた山あいの集落が舞台だ。農薬を使わず、できるだけ手作業で、昔ながらのコメ作りを学ぶ。プログラムは、田植え、草取り、草刈り、稲刈りと連続する。農と食、地域と暮らし、歴史を学び、持続可能な未来を考えるプログラムだ。
塩沢地区は、もともと福井県が開発したコシヒカリの試験圃(ほ)場の一つがあった場所だ。細かな気象条件(マイクロクライメートと呼ばれる)と土壌や水質が、コシヒカリに合ったようだ。また倒れやすいという特性を地元の農家が栽培方法を工夫して倒れにくく育てることに成功した。その結果、1俵(玄米60キロ)あたり2万円近い、日本で一番高い価格で農協が集荷する地域となっていた。2023年秋までのことである。
コメ不足は23年の猛暑から始まっていた
2023年の夏は猛暑だった。7月下旬、出かけていった東京駅のホームで腕時計の測定値は38.6度になった。台風から噴き出す南風は、フェーン現象をともなって新潟側に吹き下ろし、40度近い高温が8月いっぱい続き、雨もほとんど降らなかった。稲はタネを守るためにもみ殻を厚くし、中には十分なでんぷん質が蓄積されなかった。未熟な部分が光を反射させる「白濁米」を多くうんだ。私のコメも、もみ殻が堅くて分厚く、もみ殻を外す「もみすり」作業に手間取った。
新潟県のコシヒカリは1等米が4.9パーセントにまで落ち込んだ。おコメの検査員をしている知人は、こんなコメの状態を見るのは初めてだと驚いていた。新潟県の花角英世知事は、「おコメの等級は味には関係ありません」と記者会見。南魚沼市は、4億円を投じて、羽田空港の駅や東海道新幹線の車内誌に広告を出して売上維持を図った。それまで「1等米が90%」などと胸を張ってきたのを思うと、意味不明の情報発信となった。
23年の高温障害は、全国的にも大幅な品質低下を招き、これがコメの供給量を引き下げた。
24年は夏の好条件があだに、実った稲穂が重すぎる
翌2024年、夏までの稲の生育は順調だった。夏場も高温ではあったが雨も降った。この中で稲はぐんぐんと背を伸ばした。
が、伸び過ぎも良くない。実った稲穂が重くなってくると、稲が根本から倒れる。間が悪いことに9月前半から全国的な長雨となった。稲刈り機(コンバイン)に水分が入るとコメやワラが詰まってしまう。雨の日は稲刈りが出来ない。刈れないままに雨が続き、稲は完全に倒れ込んでしまった。むしろのような田んぼが、あちこちに出現した。稲穂が1週間も水に浸かると発芽してしまう。日本で多く栽培されるコシヒカリは、もともと倒れやすい品種として知られている。関東平野でも、コシヒカリがべったりと倒れ込む痛々しい光景が広がった。
結果、24年産のコメは、新潟はおろか、関東平野でも収量が激減する。
8月末から9月になると、コメ不足を見越した人たちが、関東平野の早場米地区に入り込んで、それまでの倍の値段で仕入れ始めた。茨城県南部のある地域では、「だれそれの家に、大型トラックが乗りつけてきて1俵2万3000円で20トン以上買っていった」なんていう話を聞いた。それまでの2倍の仕入れ値である。
走り回る白ナンバートラック「お宅のコメ、全部買い取る」
9月も中盤になると、南魚沼にも白ナンバーのトラックが走り回ってコメを買いあさって行った。農家に横付けした中型トラックには、会社名は一切なし。若い屈強な男達が、農家の倉庫から米袋を次々に積み込んで風のように去っていく。そんな光景があちこちで見られた。
ふるさと納税では、南魚沼市への寄付が急増。市内の有力な販売元には十分なコメがなくなってきた。「お宅のコメ、残っていたら全部買い取る」などという人たちが、農家を巡るようになってきた。
それまで、1俵 2万円以下で農協が買い取っていたコメを、「2万8000円でどうか」などとこれまでにない値段で仕入れたいという電話もかかってくるようになった。
がんばっている若手農家には、私は「1俵3万円で直接販売できれば、専業として成立するからがんばろう」と励ましてきた。しかし、ほとんどが、「3万円じゃ、だれも買ってくれないでしょ」としり込みしていた。その農家が、段々高値に慣れてきた。1俵3万円が、3万6000円にと、月を追うごとに提示される値段が上がっていった。
ふるさと納税をもっぱらとする事業者の倉庫には、「山の反対側の津南町のコメが積まれていた」などという話も聞くようになった。
冬が近づくころには、関東ナンバーの自家用車が、スーパーやらドラッグストアやらに次々と止まっては、米袋をいくつも積み込んでいくのを見かけるようになった。「転売ヤー」さんたちであろう。
ニュースの死角、飛び込んできたテレビレポーターはすぐ帰る
こんな話は、本来ならば全国紙にルポとして掲載されるはず、だと思う。
当地は、旧新潟3区。田中角栄の地盤である。南魚沼市の中心部、旧六日町には全国紙の腕っこきの記者たちが駐在してきた。
残念ながら、メディアの激変で、全国紙はすべて撤退した。新潟県南部の長岡市に拠点を置いて最大100キロも離れた場所までが取材範囲となり、地域の息遣いに触れる取材は出来なくなっている。テレビ局も、昨今の米騒動で、「農家さんの声」を取材には来るが、飛び込んできたレポーターさんがインタビューして、それで帰っていく。
記者が日々人々の生活空間に身を置いていれば、自然と出来上がる人の輪を通じて、上記のような経過と状況は、直接証言をもとにした記事になっていったはずだ。
短期の視点ではなく、なぜ「米不足」やら「令和の米騒動」というものが発生したのか。その根っこの部分が分かるはずだろうに、と思う。
断片的な情報は、フェイスブックやらXやらのSNSにはあふれている。丁寧にフォローするネットワークを、デジタル環境にも構築しておけば、大きな流れを把握することが出来るだろうに、とも思う。
「無農薬天日乾燥米」伝統的な米作りを学ぶ
2001年に朝日新聞社を早期退職した私は、妻の出身地である塩沢地区の古家に引っ越した。
山を背に、隣家まで200メートル。目の前は田んぼが1キロ先まで広がっている。塩沢地区の中でも、さらに土質と微気象がすぐれている場所だと聞いた。
東京に通いながらしていた仕事が一段落したので、2007年、田んぼのイロハを開始。同時に、隣の老夫婦にお願いして、3畝(せ=1畝は約100平方メートル)の細長い小さな田んぼで、コメ作りを教わることにした。自分たち自身でも、米作りを深く学ぼうと思ったからだ。
自分の田んぼではすべて手作業、農薬は使わないと決めた。幸い、昭和一桁世代の隣人は、耕運機も化学肥料もなかった時代の稲作を知っている。当時すでに80歳近かったおばあさんが、軽々と三本グワで田起こし作業をしてみせてくれた。で、自分でやってみると、クワが地面に刺さったまま、まったく動かない。引っ張っても、土はびくともしない。おばあさんが代わってくれて、ひょいと動かすと、去年の稲株がコトンと手前に倒れ込むように起きてくる。
そんな経験をさせてもらって19年目の今年もまた、田んぼに向かっている。
3畝の田んぼで出来るコメは100キロに届くかどうか。無農薬田んぼなので草取りが大切なのだが、仕事の関係で数週間手抜きすると、イネと雑草の区別がつかなくなることもある。50キロしか取れなかった年もある。日本人の平均のコメの消費量は年間50キロ。なので、ちゃんと作れば、夫婦2人分のコメは出来る。自給はそんなに大変ではない、と分かる。
年寄りが廃業して「集落営農」も消えていく
3年前、田んぼのイロハを実施させてもらってきた集落の人たちが「もうだめ。やめる」と言い出した。年寄り家庭の田んぼをまとめて耕す「集落営農」をしていたのだが、その人たち自身が、70歳台後半になって、廃業を決めたからだ。
なので、2024年からは、私と妻が個人的に学んできた田んぼを、プログラムでも使うようになった。10数年耕作していなかった一枚上の田んぼも、びっしりとはびこった雑草をトラクターで起こしてもらい、「復田」した。トラクターを入れても、雑草の根っこは無数に残ったまま。泥だらけになってかき集めた根っこは、20メートルほどあるあぜ全体に、50センチほどの高さの山脈を作った。「復田」は簡単な作業ではないと、身をもって感じた。
隣の田んぼの持ち主は、今年80歳。手作業で田んぼに向かう私を見て、「昔はそうやったもんだ」とニコニコ笑ってくれる。その彼は、2024年の秋、稲刈りの機械コンバインや乾燥機、それが入っていた作業小屋を、全部処分してしまった。
「はー、もうせがれには田んぼはするなって言っている。カネがかかるばかり。コンバイン1台400万円もするから」と話してくれた。
そして、「大前さん、この山沿いの田んぼ買ってくれないかねー」という。
稲作の先生役だった老夫婦も、おじいさんは亡くなり、92歳のおばあさんが一人で農作業を続けている。「ただであげるから、田んぼ、もらってくれないかね」と、こちらからも声がかかる。
しかし、私自身も71歳。これから10年は田んぼ作業出来るかもしれないが、その後の責任は持てない。とても、すぐに「はい」とは、言えない。
大臣や幹事長はテレビで得意顔だが
あと1年経てば、飼料米として1俵数千円で売り渡す備蓄米を、「味はいい」なんて言いながら販売して、大臣やら幹事長やらはテレビに出て得意顔である。
しかし、2025年度の米の農協への売渡し価格はすでに1俵2万8,000円以上(JA新潟かがやき)などとされていて、これは末端価格では2倍の1俵6万円近くになる。つまり1キロ1,000円。5キロで5,000円になる。
農協価格が高くなるのは、民間の事業者が入り込んで買いあさるのを止めたいからではあるが、こうなると、「怪しいトラック」チームは1俵3万円以上を提示するのは間違いない。お安い備蓄米が無くなったあと、米価がかつての水準に下がることは望み薄。どころか、今の5キロ4~5000円のレベルはそのままになるのは間違いないと、私は見ている。
稲作農家の平均年齢は71.1歳(2020年農業センサス)。私の周辺でも、数百万円の農機1台が壊れれば、それで稲作はやめるという人がほとんどだ。新規就農するには、機材を入れる倉庫も含めて2,000万円以上の初期投資が必要。10年で償却しても、200万円以上の減価償却費がかかってくる。苗、肥料、燃料、機械の保守などのコストも軽く500万円はかかってくる。大規模に10ヘクタールを耕作しても、取れ高は800俵。1俵が2万円に戻ったとして1,600万円。人件費管理費に使えるのは800万円程度。10ヘクタールは1人では耕作できず、3人で賄うとして年収200万円程度。これでは、後継者が出てこないのは当たり前だ。
深刻な温暖化 乱れた気候こそがコメ騒動の原因である
猛暑だ、史上最高だと、ニュースで流れて久しい。が、温暖化を止める必死さは、政府にも政党にも、市民にも、ない。
が、間違いなく「Climate Crisis(気候危機)」は、目の前に現れている。
2023年、24年の乱れる気候こそが、今回の米騒動の原因だ。
農水省は、これまで、米価を安定させようと、生産量と消費量を数パーセントの幅で調整して、米価と稲作の維持を図ろうとしてきた。
しかし、2023年、24年の気象条件は、数割の振れ幅で生産量と品質に打撃を与えた。これを見れば、事態は、農水省の役人が知恵を絞るだけの世界ではないのは歴然としている。
今年度の夏の猛暑が予想されている。さらに干ばつや大雨へと激しい揺れもありうるだろう。となれば、さらに生産量が落ち、備蓄米倉庫が空っぽの状態で、大騒ぎとなることを心しなければならない。
ネットでコメがバズっている、転売ヤーも出現
インターネットの一般利用が日本で始まって今年で30年。この30年間でネット空間はいかに育っただろうか。
「○○賞年連続受賞」なんていううたい文句で、ネットで華々しくおコメを売っている業者が、南魚沼市にも何軒もある。ネットで急激に評判を呼ぶことを「バズる」という。バズった場合のネットの反響は、一気に押し寄せる。それまでの何倍、何十倍もの注文が来る。しかし、田んぼの面積は、瞬時に何倍、何十倍にも出来るはずもない。
で、注文が殺到した農家は、自分の米では足りないので、回りから買い集めることになる。いくつかの農家は、いまや生産者ではなく流通業者だ。近隣の米を買い集めてふるさと納税の返礼品として立派な収入を確保している。市内で確保できなければ、遠く山の向こうのおコメもやってくることになる。それを、さらに転売して小銭をかせぐ転売ヤーも、ネットエコノミーのあだ花だろう。
米粒には、どこのコメかは書いていない。市販されるコメの品質表示は、あいまいだ。ブレンド米になってしまえば、産地どころか、備蓄米なのか昨季のコメなのかすら分からなくなる。銘柄米といっても、本当にそのコメが入っているかどうか、確かめる術は、「消費者」にはない。
問題の根っこは気候変動、収穫量が乱高下、価格が暴れる
おコメが高い、という。1俵のおコメは60キロ。お茶わんに軽く1杯のごはんは、乾燥した白米で約60グラム。1俵当りのおコメの値段の1,000分の1だと思えばいい。1俵2万円のおコメはお茶わん1杯20円になる(厳密にいうと精米時にヌカが出て1割減るので、もう少し高い)。1俵2万円は生産者価格。消費者価格はその2倍、40円から50円だ。
そのお茶わん1杯の横にならぶおかずは、何円だろうか。
総務省の家計調査では、単身世帯の食材の費用は45,000円前後、1日あたり1,500円。その中で、お茶わん1杯の数十円の支出は、どういう位置づけだろうか。
確かに値上がりはしたが、消費生活全体像の中で、コメが占める割合を考えれば、高い高いと叫ぶだけでは、始まらない。
問題の根っこは、気候変動。これからますます変動幅が大きくなり、農産物全体の収穫量は乱高下し、価格は暴れるだろう。
社会構造も、さらに激変する。就農人口は急減する。機械化大型化というが、日本の国土の大半は傾斜地で、大規模な稲作が出来る場所は限られている。
都市に住み、単に口を開けている「消費者」の立場に甘えていて、ある時、泣き叫ぶだけになる。そんなことがないように願っている。
(大前純一 NPO法人エコプラス事務局長)
大前純一氏のプロフィール
朝日新聞社で社会部記者としてハイテク、環境問題などを担当、朝日新聞社のインターネットメディア「asahi.com」を開設した時の責任者。米国西海岸サンノゼにサーバーを置いて配信するなど、当時としては画期的な取り組みを指揮した。現在のネットメディアの先駆者である。退職後、パートナーの探検家髙野孝子氏とNPO法人エコプラスを設立・運営。イヌぞりと人力だけによる北極海横断(1995年)の現場から、極軌道衛星とインターネットを使って世界の子どもたちと交流する「ワールドスクール」活動も行った。南魚沼市では、休日農業講座などの活動をしている。