マニアに支持されたロシア車のいま ソ連時代に誕生「ラーダ・ニーヴァ」中古車市場で値崩れ少ないわけ

J-CASTニュース

   日本に住む私たちが町中で見かけるクルマの大半は日本車か欧米車だ。近年は比亜迪(BYD)や現代自動車といった中国車や韓国車も走るが、ロシア製のクルマはほとんど見かけない。

ウクライナ侵攻で西側への輸出がストップ

   2022年のロシアのウクライナ侵攻とその後の西側諸国の経済制裁により、ロシアの自動車メーカーのクルマは、実質的に西側への輸出がストップした状態である。ウクライナ侵攻前は少数ながら旧ソ連やロシアのクルマが日本にも輸入され、一部マニアの熱烈な支持を得ていた。

   代表的なのは冷戦時代の1980年代から日本に輸入された「ラーダ・ニーヴァ」だ。ラーダはロシア最大の自動車メーカー「アフトワズ(AVTOVAZ)の国民車ブランドとして知られる。

   マニアックな存在としては、旧ソ連がルーツの「ウラル」というサイドカーも日本に正規輸入され、愛好者の支持を集めてきた。現在は米国企業がカザフスタンで生産し、日本に輸入している。往年のロシアの軍用サイドカーを連想させる。筆者もウラルを試乗したことがあるが、ラーダ・ニーヴァのように時代を超越した稀有な存在と感じた。

4WDラーダ・ニーヴァの力強いイメージ

   ラーダ・ニーヴァは旧ソ連時代の1977年に登場したオフロードタイプの4WDだ。武骨なスタイルから、シベリアのツンドラや悪路を走破する力強いイメージがある。日本国内でも輸入代理店を通じてウクライナ侵攻前まで販売を続け、全国に今も一定のファンがいる。

   現在の中古車市場でも、2018年のラーダ・ニーヴァが260万円台、1991年のモデルが150万円台などで取引されている。旧ソ連時代から大きなモデルチェンジがないため、新車登録から30年以上たったモデルでも値崩れが少ないのが特徴だ。筆者はたまに東京都内でラーダ・ニーヴァを見かけると、思わず振り返ってしまう。

今なおロシア極東で数多く見かける

   現在、ロシアから日本へのラーダ・ニーヴァの輸入は途絶えたようだが、ロシア以外の第三国で生産したラーダ・ニーヴァが日本に輸入されているようだ。ネットには2022年モデルで1.7リッター直列4気筒エンジン、フルタイム4WDの5速マニュアルミッションで、価格は348万円という情報がある。ラーダのオフロード4WDは今も人気があるのだろう。

   ラーダは旧ソ連やロシア、東欧に旅行したことのある日本人にとって、馴染みのあるブランドだ。古典的な3ボックスセダンの「ラーダ(VAZ)2103」などは、現地のパトカーなどで誰もが目にしているはずだ。

   このラーダ2103は今なおモスクワ郊外やサハリン、ウラジオストクなどロシア極東で数多く見かける。このクルマを見ると、まるで1960年代か1970年代にタイムスリップしたような感覚に陥る。

技術的な優位性はなく、単なる懐古趣味

   それもそのはずで、ラーダを生産するアフトワズは1966年、伊フィアットとの協業で設立したVAZ(英語名Volga Automobile Works = ヴォルガ自動車工場)に遡る。ラーダ2103は「フィアット124」をベースに旧ソ連で大量に生産された国民車という。

   そんなラーダに古典的な魅力を感じるのはモデルチェンジが少ないためで、懐古趣味の領域を出ない。最新のラーダにしても、日本車や欧州車と比べて技術的優位性や競争力があるわけではない。

   事実、ラーダを擁するアフトワズは経営不振に陥り、2008年に仏ルノーの出資と日産自動車の技術支援を受けた。日産、ルノー、アフトワズの3社は2015年に共同購買組織を発足させるなど協業を進めたが、ルノーはウクライナ侵攻後、保有していたアフトワズの株式の約7割をロシアの政府系機関に売却。日産も現地生産から撤退し、日産のサンクトペテルブルクの工場をアフトワズが活用することになった。

新型SUVを日産の旧工場で生産開始

   ロシア最大手のアフトワズは22年12月、日産の旧工場でラーダブランドのセダンとクロスオーバーを生産すると発表した。ところが、アフトワズには当該車種の製品ラインアップがないと現地メディアに報じられるなど、混乱ぶりは明らかだった。

   日本貿易振興機構(ジェトロ)によると、2024年のロシアの乗用車生産台数でアフトワズは46万台とトップで、ウクライナ侵攻前の2021年の26万台より大きく増えている。

   アフトワズの生産が増えたのは、サンクトペテルブルクの日産の旧工場で新型SUV「Xcite X-Cross 7(イクサイト エックスクロス7)」を生産開始したのが要因らしい。これは1.5リッターターボのSUVで、詳細は不明だが、スペックを見る限り、西側の同クラスのSUVと遜色ないスタイルと性能のようだ。もちろん、実際の走りと実用性は乗ってみなければわからない。

モデルチェンジの期間が長く、技術が時代に取り残された

   そもそもロシアは旧ソ連時代から航空機産業が軍事と結びつき、スホーイ、ツポレフ、ミグなどの航空機メーカーが複数存在し、西側との競争で一定の成果を収めてきた。ロケットによる宇宙開発も国策として進んだ。

   ところが自動車産業は旧ソ連時代の社会主義体制が長く続いたせいか、モデルチェンジまでの期間が長く、技術的にも時代に取り残される格好で、西側との競争に勝てなかった。このためトップメーカーのアフトワズのラーダでさえ、ウクライナ侵攻後、新車市場では中国メーカー、中古車市場では日本や韓国メーカーに猛追されている。次回はその実態をリポートしたい。

(ジャーナリスト 岩城諒)

記事提供元:タビリス