中国人学者、日本旅を語る ① ああ、懐かしいあの温泉

ジョルダンニュース編集部(ジョルダン)

冬は海外のスキー客で賑わう野沢温泉

 滂臭! 何なのだ、この臭いは。腐った卵でも入っているのか。新潟県新発田市の月岡温泉に取材に訪れた際、思わず中国語で声を発してしまった。来日して15年目、香港のテレビ局の特派員として活動していた時のことだった。
 それまでも日本各地の温泉には十数回行った。しかし、ここ月岡温泉の一撃は強烈だった。臭いだけではない。日が落ちて黄色っぽい照明のせいもあろうか、湯気がもうもうと立ち込める中で、お湯の色が黄土色に見えた。本来はエメラルドグリーンの湯が評判なのだそうが。さらに、温泉に浸かるのは15分までで、それ以上長湯すると皮膚にダメージを受ける場合があると言われた記憶がある。せっかく来たのだ。鼻をつまんで浴槽に身を沈め、5分くらいで部屋に戻った。というより、逃げ帰ったというのが事実だろう。
 後に知ったのだが、月岡温泉は日本でも有数の硫黄含有量の多い泉質で、美人の湯として名高いそうだ。
 “月岡ショック”から5年が過ぎた。この間の2020年1月、日本でも新型コロナウィルスの感染者が確認されて、日中間を行き来することができなくなった。私の仕事はテレビの特派員として、情報が集中する東京取材が中心だったが、地方にも足を伸ばした。忙中閑あり、各地の温泉を楽しみ、まだ良く知られていない地方の魅力を中国に向けて発信した。

浴衣で過ごすまったり感がたまらない


寒さも吹き飛び身体の心から温まる雪見風呂

 当時の様々な温泉や宿の女将さん、名物の料理などを思い出すと、日本の温泉が妙に恋しくなった。日本語で「まったりする」という心身ともにとろけそうな感覚。宿では浴衣で過ごせ、温泉に浸かっては横になり、また温泉へ。こんな時はそのたびに着替える必要がない浴衣はありがたい。
 中国人も含め、外国人には「ONSEN」と日本語がそのまま通用する。しかし、19年前、留学のため来日にして初めて行った鞆の浦温泉の体験も忘れられない。42°のお湯は熱かった。なかなか耐えられなかった。なぜ日本人はそんなに熱いとも言えるお湯に平気に入れるのか、今でも不思議に思うのだ。40°が限界だった。また、みんなの視線の元で、すっぽんぽんで入浴するには恥ずかしくて、タオルで下半身を隠すように湯舟に入った。
 温泉への興味はどんどん膨らんでいった。取材や旅行で有馬温泉、道後温泉などを訪れた。白濁湯、黄色い湯、緑っぽい湯、透明な湯など様々だし、ヌルヌルとした湯、肌にピリッと刺すような感じの湯もあった。
 このような日本の温泉に比べれば、中国はまだまだ温泉途上国に思える。中国北部では、お風呂の文化もあって、アカスリもポピュラーだ。南部でも四川省・峨眉山のふもとの温泉に浸かったことがある。女性はビキニ、男性はパンツをはいて、露天風呂を楽しんでいるが、硫黄の匂いもまったくせず、ボイラーで沸いたお湯ではないかと疑うことさえあった。どうも日本の強烈な温泉を体験したら、もうこの薄ぺらの温泉には何も感じなくなった。
 もう一つ印象深かったのは真冬、大学院時代の男性の恩師と一緒に岐阜山奥での温泉体験も忘れられなかった。大雪が降り、真っ白な世界で、暖かい温泉に浸って、湯気が沸きあがり、窓外には山々の銀世界を眺め、日本酒を飲みながら、恩師と哲学を語り、これ以上幸せな温泉体験がないと思う。
 中国に戻ってから、貴州は温泉が有名と言われているが、まだ一度も体験したことがない。どうも日本のようになじみやすい雰囲気づくりはまだまだ及ばないようである。いつかまた日本の温泉を楽しもうと待ち望んでいる。

中国の友人も聞きたがる混浴だが……


酸ヶ湯温泉の千人風呂の案内板。湯あみ着姿の女性も

 最後に日本の温泉とくれば、混浴についても記さなければならないだろう。男女が一緒の温泉に浸かる。しかも裸で。中国の友人たちからも、しばしば混浴について聞かれた。
 しかし、私自身は、日本で混浴に”近い体験”をしたというしか言えない。香川県の塩江温泉で、川に面した露天風呂に向かった。10畳ほど湯舟の真ん中には膝の高さの欄干が設置され、体を浸したら、ちょうど隣の湯舟が見えるか見えないかぐらいだった。そこから女性たちの朗らかなおしゃべりが聞こえてきた。気になって仕方がない。すると、地元の人と思われる男が「お兄さん、あっちの湯舟をジロジロ見てはだめだよ」。これでは混浴体験とは言えないので、日本の温泉好きの友人に尋ねてみた。
 友人は夫婦で青森県の酸ヶ湯温泉に出かけた。酸ヶ湯は総ヒバ作りで約160畳もある「ヒバ千人風呂」で知られる温泉だ。そして混浴。友人の妻は混浴と知らなかったようで、最初は入浴を拒否したそうだが、宿で湯あみ着を販売していることを知り、買い求めたという。
 やや暗い木造の大浴場の湯舟は男女別に分かれているが、しきりなどはなく、こ地ら側からが女性用という表示があるだけ。その境界線で夫婦は「いいお湯だね。酸ヶ湯というだけあって酸性度が強く、ピリッとする」などの会話をした。
 女性ゾーンには、中年女性が多かったが、ほとんどが湯あみ着で入浴。しばらく温まっていると若い女性グループが湯あみ着をつけずに入ってきたという。女性の洗い場は板囲いのため、体は流してきたのだろう。友人はどのタイミングで出ればいいのか迷ったという。妻が隣にいることだし、女性を眺めるつもりはない。しかし、若い女性たちに中年太りした自分の裸身をみられるのもためらった。のぼせそうになり、意を決して湯舟から出た。
「要は自然にふるまえばいい。ジロジロ見るのはダメよ」。妻から注意された。また、男性は局部をタオルで隠して歩くのがエチケットとも入浴客に教わった。

李海(り・はい) 1982年中国四川省生まれ、2001年に来日。2014年名古屋大学文学博士号。東京で約7年間香港メディアの特派員。2019年9月中国に戻り、現在、貴州省の貴州民族大学外国語学院準教授。著書に『日本亡命期の梁啓超』など。