グローバル都市革命 「希望のコミューン 新・都市の論理」より(4)

ジョルダンニュース編集部


希望のコミューン 新・都市の論理

本記事は9月25日に出版された「希望のコミューン 新・都市の論理(著:布野修司, 森民夫, 佐藤俊和)」の内容を抜粋したものです。

拡張拡大を続ける大都市を抑制するための諸方策、そのアンチモデルとしての都市理念は、「田園都市」以降も提起されてきた。そのひとつが「コンパクトシティcompactcity」である。ニューアーバニズム、アーバン・ヴィレッジと呼ばれる運動は、ほぼ同じ理念を共有しながら展開されてきた。田園都市の理念については既に確認したが(本書85頁)、コンパクトシティ論は、都市│農村の結合、自給自足、公的土地所有などには触れない。土地建物の価格によって規定される大都市圏のなかに、如何に自律的な生活圏を確立するか、それがいかに有効かを主張する理論である。

コンパクトシティ論に先立って、大都市批判を激しく展開し、近代都市計画思想に大きなインパクトを及ぼしたのは、ジェーン・ジェイコブス『アメリカ大都市の死と生』(1961)である。ジェイコブスは、「大都市は多様性を生み出し、新事業やあらゆる種類のアイディアを豊富に生み出す孵卵器(インキュベーター)であって、膨大な数と範囲にわたる小規模企業の経済的な本拠地でもある」といい、都市の街路や地区に豊かな多様性を生じさせるための四つの条件として、

①混用地域の必要性
②小規模ブロックの必要性
③古い建物の必要性
④集中の必要性

をあげている。

コンパクトシティ

「コンパクトシティ」という概念は、1973年に2人の数学者ジョージ・ダンツィヒ(1914〜2005)とトーマス・L・サーティ(1926〜2017)によって提起されたとされるが、郊外スプロールを抑制するために、車による移動に頼らず、徒歩と自転車を基本とした多様で複合的な機能を集積させた高密度でコンパクトな都市の方がエネルギー消費、廃棄物処理など、よりサステナブルであることを主張する。

コンパクトシティをめぐっては、日本でも数多くの議論がなされ、出版も少なくない。松永安光(2005)は、逸早く、コンパクトシティ、ニューアーバニズム、アーバン・ヴィレッジの動向を紹介している。松永の関心は、団地あるいはニュータウンに向けられているが、谷口守編(2019)は、都市自治体、アムステルダム(85・4万人)、コペンハーゲン(184万人)、ベルリン(360万人)、ストラスブール(48・3万人)、ポートランド(60万人)、トロント(273万人)、メルボルン(16・9万人)を取り上げている。ただ、この7都市について、何をもってコンパクトシティというかは必ずしもはっきりしない。本書の関心から言えば、提唱者が数学的モデルをもとにして主張する「徒歩と自転車を基本とした多様で複合的な機能を集積させた高密度でコンパクトな都市」が実現しているかどうかである。

「コンパクトシティ」モデルは、「田園都市」モデルとは明らかに異なる。しかし、都市がコミュニティ内で人が必要とするすべてのものを持っていること、それぞれ自立したコミュニティであることをめざしていることは、共通の基本原理である。

コンパクトシティは、店舗、雇用主、郵便局、サービスプロバイダー、エネルギー生成、廃棄物の処理、および小規模農業生産(コミュニティガーデンや垂直ガーデニング)が含まれており、高密度居住による通勤時間の短縮、化石燃料・エネルギーの消費削減などの面で、「田園都市」モデルより有利であるというのがその主張である。要するに、モビリティ、移動、輸送、交通をどう考えるかが鍵となる。そして、大都市の内部に分散自律組織を構築するか? 農村部に分散自律組織を新たに構築するか? 大きく二つの方向が分裂していることになる。


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記事提供元:タビリス