【人インタビュー】運転手不足の断崖を越える:日本初バス型ライドシェア『たけの~る』が切り拓く地域の未来 〜全但バス・小坂祐司常務に聞く、公共交通再編への覚悟と挑戦〜

ジョルダンニュース編集部

兵庫県豊岡市竹野地域で2025年10月からスタートした日本初のバス型ライドシェアサービス『たけの~る』は、地域の深刻な交通課題と、バス会社が直面する運転手不足という二重の危機から生まれた革新的な取り組みである。全但バスが運行管理を担い、地域住民が自家用ミニバン(市の車両)で132箇所の乗降地点を予約制で結ぶこのシステムは、地方の公共交通のあり方を根本から問い直すものだ。

旗振り役である全但バス常務取締役の小坂祐司氏に、故郷への思い、会社存続の危機、そして、国の制度すら動かしかねないこの大胆な事業転換の背景、具体的な仕組み、収支構造、そして地域活性化への強い覚悟を聞いた。

全但バス常務取締役の小坂祐司氏

(上)危機からの大転換:路線の4割休止と住民の問いが変えた覚悟

会社のエリアと入社の経緯:広大な但馬地域を支える

Q:自己紹介と、全但バス様の事業エリアについて詳細にお聞かせいただけますでしょうか。また、常務が担ってらっしゃる役割についてもお願いします。

小坂: 私は全但バス株式会社で常務取締役を務めております、小坂祐司と申します。現在は、路線バス部門や旅行部門を含む、社内全体の統括的な役割を担わせていただいております。

当社の拠点は兵庫県の養父市にありますが、事業エリアは兵庫県のちょうど半分、北側の日本海側にあたる但馬(たじま)地域全域です。南部の神戸や大阪のような大都市圏とは対照的に、但馬は兵庫県の面積の約25%を占める広大な地域でありながら、人口は現在、豊岡市という中核都市(約7万人)を含む3市2町、合計しても約14万人をわずかに切る程度です。兵庫県全体の人口のわずか3%ほどしか住んでいないという、典型的な地方の中山間地・過疎地域となっています。過疎化のスピードは、全国平均を上回る速さで進行しています。

私自身は豊岡市日高町の出身で、大学時代を除き、ずっとこの地域で暮らしています。

Q:常務は新卒から全但バスに入社されたそうですが、この仕事、特に路線バス事業に深く関わることになったきっかけは何だったのでしょうか。

旅行業の憧れていた若き時代の添乗風景

小坂: もともとは、子どもの頃から旅行が好きで、移動すること自体に強い興味がありました。旅行会社に勤めていた叔父の話を聞き、「タダで旅行に行ける会社があるなんて」と単純に感動し、小学校6年生の時にはもう将来は旅行会社に入ろうと決めていました。

大学卒業後、地域に貢献したい、故郷に帰りたいという思いでUターンを決めました。ただ、但馬地域には旅行会社がほとんどなく、唯一、全但バスに旅行部門があることを知り、そこだけを受験して入社させていただいたのがきっかけです。

入社1年目は旅行部門に配属されましたが、すぐに現場の人員不足で転勤を繰り返し、2年目には、それまで経験のなかった路線バス部門への異動を命じられました。当時の路線バス部門は、華々しい旅行部門と比べて「暗い、ネクラな部署」という先入観があり、最初は嫌だなと思いながらの配属でした。しかし、結果的にその後約25年間、この路線バス部門で過ごすことになります。そして、この部署での経験こそが、私の仕事に対する「スイッチ」を切り替える決定的なきっかけとなったのです。

路線バス事業の大再編:会社存続の危機と住民からの厳しい問い

Q:その「スイッチが切り替わった」決定的な出来事、路線バス事業が直面した最大の危機について、詳しくお聞かせください。

小坂: それは2007年頃、私が入社して10年弱が経った頃でした。全但バスは、路線バス事業が巨額の赤字を抱え、毎年数億円単位のお金が流出し続けるという、会社存続の危機に瀕していました。路線バス事業は当時の収益の大部分を占めていましたが、かなりの赤字を抱えており、資金繰りにかなり困っている時期でした。

会社は決断を迫られ、2007年9月に、このままでは会社が倒れてしまうという状況を打開するため、大規模な地域再編を決断しました。そして、翌2008年10月1日をもって、当時の路線バスの約3割から4割を休止するという、非常に苦渋の決断をしました。

Q:その路線休止を決めるまでの約1年間、地域への説明会を連日行われたそうですが、住民や行政からの反応はどのようなものでしたか。

小坂: 想像を絶するものでした。当時はまだ市町村合併の直後で、但馬全域の3市2町に対して休止をお願いしていく必要がありました。初めて説明会に行った時には、皆さん「今まで全但バスなんて乗ってない」とは分かっていながらも、「何を急に休止などと言ってくるんだ!」と、怒りの矛先をぶつけてきました。行政の方々からも、非常に厳しい言葉を浴びせられました。

学校の体育館などで開かれる住民説明会では、市役所職員、バス会社、地域の代表者が壇上に並んで住民に説明するわけですが、「バスがなくなったらどうやって暮らすんだ」「私たちを殺す気なのか」といった、本当に厳しい糾弾を毎日受けました。

Q:そうした極限的な状況の中で、小坂常務の考え方を根本から変えたという、住民からの「問い」があったと伺っています。

小坂: はい。一つ、どうしても忘れられない、胸に深く刺さった言葉があります。ある住民の方から出た質問でした。「市役所の職員やバス会社の君たちは、私たちに『バスに乗って支えろ』と言うが、君たち自身はちゃんとバスに乗って支えているのか」という問いでした。

そのとき、豊岡市役所の職員約1,500人のうち、バスで通勤していたのはたったの2人だったのです。そして、私自身も「会社までは車で行っています」と答えざるを得ませんでした。朝、無意識のうちに玄関で鍵を取って車に乗り込むという生活をしていた自分が、住民に「バスに乗れ」と訴えても、心から伝わるわけがないと痛感しました。

この危機と住民からの厳しい問いかけこそが、私にとっての仕事に対する最大の転機でした。それまでは、会社と地域の間でどこか「腹を割ってない」部分があったと反省し、これ以降、「精一杯の努力を尽くしてから、それでもダメなら住民や行政に正直に訴えよう」という姿勢に変わりました。

Q:その後、行政や住民と一体となって、どのような取り組みを進められたのでしょうか。

小坂: その後、すぐに助けを求めたことへの反省から、「精一杯やってからやめるなり、皆さんに話をしたい」という思いで、行政と住民とバス会社の三者が一体となる取り組みを始めました。

神鍋高原線上限200円バス総会の様子(平成25年)

市役所職員の方の中にも、バス交通を真剣に取り組んでくれる職員の方々が出てきていましたので、このまま、これまでと同じことをすると、またしばらくすると利用者が減少して、休止を余儀なくされることになってしまうことが予想されましたので、これまでの取組とは違った“三位一体“に共感し開始しました。

当時、最も収益が悪く、次に路線休止の対象になりかねなかった神鍋高原線での取り組みでした。精一杯やることで、行政も住民も本気になり、一体となって乗車運動に取り組み、一番多い年には取り組み前の約2倍の利用者になったこともありました。

コロナ禍による人手不足の急加速と「ライドシェア」への道

Q:そうした地道な努力で路線維持に努めてこられた中で、近年、新たな、そしてより深刻な危機として「運転手不足」が急速に進行したとお聞きしました。現状はどのような状況でしょうか。

小坂: 2008年の大再編から約10年間は、費用を削ることでどうにかを維持してきました。しかし、コロナ禍をきっかけに、人手不足が一気に深刻化しました。

コロナ前の乗務員体制が約150人だったのに対し、現在は約119人と、すでに約3割が減少しています。約30名の運転手が不足している状態です。

さらに深刻なのは年齢構成です。現在の運転手の平均年齢は57.6歳。総勢120人ほどの運転手のうち、約半数が60歳以上です。今後5年、10年で大量退職が見込まれ、このままでは今維持できている路線の運行すら困難になるのは明らかです。二種免許の運転手はなかなか募集しても集まらない状況です。

Q:この人手不足は、御社の運行にどのような影響を与えていますか?

小坂: 影響は甚大です。地元の路線バスだけは耐えようと努力していますが、儲かるはずの高速バスはまだ便数をコロナ前まで戻せていません。現在走らせている便数は、本来の半分程度に留まっています。貸し切りバス事業もほとんど受注できていません。当社には約25台の貸し切りバスがありますが、2024年度の運行実績は1日平均1.6台しか動かせていません。運転手がいないため、せっかくの受注を他社に回すという状況です。

タクシーも同様で、コロナ禍以降、夜間に運行しているのは2台のみ、営業時間は午後11時までと、都会では考えられない状況になっています。

Q:この危機的な状況への打開策として、今回の「バス型ライドシェア」のアイデアが生まれたわけですね。

小坂: その通りです。単純に路線バスを減便するのではなく、「二種免許のバスを止める代わりに、一種免許のドライバーで移動を維持する」という、根本的に異なる形に交通を転換する必要がありました。

これまでは竹野地域で7人投入していた運転手を、ライドシェアへの転換により、将来的には5人、そして3人と絞っていくことを目指しています。

Q:今回の取り組みが、国が進める「日本版ライドシェア」とは異なるアプローチだと伺っています。

小坂: はい。国交省は当初、ライドシェアを「タクシーの補完」として都市部のタクシー不足解消をベースに考えていましたが、私たちは「タクシーもバス運転手もいない田舎」の交通空白解消のために、「バス型」のライドシェアを提案しました。

従来の制度では、枝葉の路線の一部を置き換える実証はありましたが、今回は竹野地域の幹線路線バス自体を休止し、その代わりにライドシェアを導入するという戦略的な大転換です。これは、国の制度に一石を投じるものであり、地域の交通を維持するための「やむにやまれぬ決断」でした。

(下)につづく。

記事提供元:タビリス