「神山まるごと高専」企業70社以上の支援受け”奇跡の田舎”に開校。支援者や地元民「町のダイバーシティが拡大」「他校の生徒にも影響」など刺激に 徳島県神山町

SUUMOジャーナル

「神山まるごと高専」(理事長・寺田親弘/Sansan(株))が、徳島県神山町に開校して1年が経った。「モノをつくる力で、コトを起こす人」の育成をミッションに掲げ、各界からも注目されている新設の高等専門学校だ。全寮制であるがゆえ、現在(2024年2月)一期生約40人が神山に暮らしながら学んでいる。さまざまなまちおこしの取り組みを経て「奇跡の田舎」と呼ばれる神山町に、この学校の存在と学生たちはどのような刺激を与え、まちにどのような変化を生み出しているのだろうか。学校に出資・寄付した起業家や街の人など、学校周辺の人々に話を聞いた。

海外との交流をベースに「よそもの」を受け入れる素地を醸成

徳島市西部と隣接しているとはいえ、ベッドタウンとは言い難い自然豊かなまち、徳島県神山町。2023年3月、このまちに「神山まるごと高専」が開校した。まちおこしの好モデルとして知られる地に、また新たな話題が生まれた背景には、これまでの取り組みで築き上げてきた、しっかりとした土台があるようだ。

神山まるごと高専の講義・研究棟「OFFICE」。町産材「神山杉」をふんだんに使用している(画像提供/神山まるごと高専)

神山まるごと高専の講義・研究棟「OFFICE」。町産材「神山杉」をふんだんに使用している(画像提供/神山まるごと高専)

大講義室(写真撮影/藤川満)

大講義室(写真撮影/藤川満)

1955(昭和30)年の市町村合併で生まれた神山町は、当時人口約2万人。その後全国の地方同様に人口が減り続け、現在は約4700人(2024年3月1日時点)。それでも2011(平成23)年度には町政始まって以来、転入者が転出者を上回る社会増となった。同町ホームページによると、その後高齢化による自然減は続いているものの、今でも年によっては社会増になり、町外との交流が活発であることが分かる。

その要因となったのは国内外のアーティストを招き町内で創作活動をしてもらう「神山アーティスト・イン・レジデンス(以下、KAIR)」と大都市にある企業のサテライトオフィス進出による起業家の転入の影響が大きい。

最大のきっかけは、1997(平成9年)に始まり、99年から恒例となったとは、毎年8月末から2カ月間、国内外3~5名のアーティストが神山に滞在。あくまで住民との交流や滞在して創作することに重点を置く。

今や全国各地で行われているアーティスト・イン・レジデンスだが、単に有名アーティストを招待するだけのものも少なくない。KAIRの場合、予算もなかったため、「お遍路の<お接待精神>でアーティストの満足度を高めること」に照準を合わせたのが功を奏した。

その後、2001年の招聘アーティスト2名が神山町に移住する。それ以外のアーティストもアンケートで「条件さえ整えば、自費でも神山に来たい」という意見があり、2004、2005年には試験的に自費滞在を実施。2009年には本格的に自費滞在プログラムを開始する。これにより「よそもの」が神山に足を運び、根付いていく流れが加速。そして2004(平成16)年、神山国際交流協会を母体に「NPOグリーンバレー」が誕生する。

神山アーティスト・イン・レジデンスの様子。Luz Peuscovich《The Cloud》KAIR2022作品展覧会アートツアー(画像提供/NPOグリーンバレー)

神山アーティスト・イン・レジデンスの様子。Luz Peuscovich《The Cloud》KAIR2022作品展覧会アートツアー(画像提供/NPOグリーンバレー)

アーティストから起業家の移住を後押ししたデジタル化

2005(平成17)年、神山町に光ファイバーの高速インターネット回線が整備され、その3年後にグリーンバレーが主体となりウェブサイト「イン神山」を開設。同サイトに「神山で暮らす」という空き家の物件情報を紹介するコンテンツを設けたことも大きかった。それは単なる物件紹介ではなく、「この物件は〇〇屋さん向き」など、神山町にこれから必要となる仕事と結びつけた移住者を募集したのだ。

この発信が見事に当たり、移住者が徐々に現れてきた。「神山に移住したいけど仕事がない」を逆手に取り「仕事やスキルを持っている人に神山へ移住してもらう」という考えを「ワーク・イン・レジデンス」と名付け、クリエイターが安価に滞在できるオフィス開設などにも着手していき、企業誘致の土壌も整えていった。

そして2010年(平成22年)、神山に名刺管理のクラウドサービスを行うSansan(株)が、サテライトオフィス第1号となる「Sansan神山ラボ」を開設する。その後も働き方改革やコロナ禍の影響もあり、神山町にサテライトオフィスを開設する企業が増え、現在16社が稼働している。

前置きが長くなったが、神山町がこれまで辿ってきた道を紹介した。まず海外との交流を経て、よそものアレルギーを緩和し、デジタル化の波に乗りターゲットを絞った移住の情報発信。移住者にも抵抗のない環境とデジタルインフラの存在は、サテライトオフィス進出を後押しした。その一連の流れの延長線上に高専開校が浮かび上がってきた。

元縫製工場をリノベーションし2013年にオープンした「神山バレー・サテライトオフィス・コンプレックス」。サテライトオフィスやコワーキングスペースとして利用できる(写真撮影/藤川満)

元縫製工場をリノベーションし2013年にオープンした「神山バレー・サテライトオフィス・コンプレックス」。サテライトオフィスやコワーキングスペースとして利用できる(写真撮影/藤川満)

高専により神山のダイバーシティが更に拡大している

「これまで神山には、移住したアーティストやクリエイターたちはたくさんいましたが、高専ができたことで、さらにこのまちのダイバーシティが広がっているように感じます」と語るのは、(株)プラットイーズのサテライトオフィス「えんがわオフィス」の代表・隅田徹さん。配信や放送に関わるシステムなどを提供する同社は、2013年に神山へ進出してきた。

隅田さんは町内にある築100年の古民家を改装しサテライトオフィスとしてリノベーションし活用している(写真撮影/藤川満)

隅田さんは町内にある築100年の古民家を改装しサテライトオフィスとしてリノベーションし活用している(写真撮影/藤川満)

神山にオフィスを開設するにあたって、決め手となったのは「地域のゆるさ」。他に候補となった自治体よりも神山町は補助金も少なく、経済的メリットはあまりなかった。とはいえ補助金は、いつかは打ち切られるもの。長期的な視野で見ると、働く若者が居心地よく過ごせる環境があるかが重要だった。

「開設を検討していた当時、例えば地域の行事への参加義務などを課した自治体もありました。神山町の場合、それらはすべて自由参加。びっくりするほど田舎の掟がゆるい。『ここに骨を埋めろ』というような、若者にプレシャーになることは言われなかった」

そんななか高専ができるという話を聞き、「大手スポンサーには及ぶまでもないが身の丈にあった」寄付をした。「私達の仕事からすれば、教育というのは最も縁遠い存在かも知れません。ただ中身より『なにか新しいことをやってやろう』というポジティブな人たちが、このまちには圧倒的に多い」。高専に強い期待を抱いていたわけではないものの、チャレンジを後押しする思いが寄付につながった。

開校を機に目に見えて起きた変化のひとつに、ダイバーシティの広がりを挙げた隅田さん。学生はもちろん、教員やスタッフなど県内外から新たな人たちが、このまちのメンバーになった。そして学生の親も少なくとも一度は神山を訪れる。「共同経営している宿の稼働率も上がりましたよ(笑)」と経済効果も実感しているようだ。

「全国から来た学生が神山で生活しているのを見ると、時代の変化を感じますね」。実際、学生たちと触れ合い、驚くことも多いという。「部活でロボットコンテストに出場する600万円の資金を、チーム一丸となって集めようとする姿勢はすごいと思いましたよ」

かつての部活は、学校からの予算や寄付の中でやりくりしてきた。その枠を越えた取り組みに、隅田さんは資金調達や組織運営のノウハウをアドバイスしているという。

一方では、「なにもない田舎なので、かつてのゲームセンターが不良のたまり場だったような、危険な場所や危ない人に触れることが少ない。危機察知能力も磨く必要があるのでは」と優秀で純粋な学生たちに危惧を抱くこともあるという。「そんな場所をあえてつくる必要はないけれど(笑)」と笑いながら語る姿から、この一年を概ね肯定的に捉えていることが感じられた。

神山まるごと高専の学生が主催する町民報告会で地元住民と意見を交換し合う(画像提供/神山まるごと高専)

神山まるごと高専の学生が主催する町民報告会で地元住民と意見を交換し合う(画像提供/神山まるごと高専)

他校にも影響を与え、「教育のまち」の横顔が加わりつつある実感

神山に生まれ育ち、町内で金物店を営む佐藤英雄さんは1991年以降、30年以上神山の活性化に取り組んできた一人だ。現在は金物店の経営と共にグリーンバレーの理事や地元商工会の会長を務める。そんな佐藤さんに、生粋の神山っ子としての一年を振り返ってもらった。

金物だけでなくプロパンガスの配達や日用雑貨まで扱う佐藤英雄さんは、神山町内の隅々まで知り尽くしている(写真撮影/藤川満)

金物だけでなくプロパンガスの配達や日用雑貨まで扱う佐藤英雄さんは、神山町内の隅々まで知り尽くしている(写真撮影/藤川満)

「高専ができる以前、神山にある徳島県立城西高校神山分校(旧徳島農業高校)の統合、路線バスの撤退の話が進んでいました。これは神山にとって大打撃になる。町として学校がなくなることは、なんとしても避けたかった」とかつての危機的状況を振り返る佐藤さん。町や町民の努力で幸いにして分校消滅は免れ、教育への関心が高まっていた前後に、新しい高専設立構想を耳にした。

「アートとテクノロジーの融合というコンセプトは、これまでのKAIRの経験から『できないことはない』と思いました。批判的な意見がなかったとは言えませんが、私は『神山のために面白いことをやろう』と考えがあったので」

その後、寮の改装や校舎建築が始まると、住宅設備などさまざまな備品を納品する業者としても関わった佐藤さん。しかも神山に精通するために、教員やスタッフの住居の確保や整備など、生活面での相談にのることも多かったという。

隅田さんと同じく、開校後のまちを若い人が闊歩する姿を喜ぶ佐藤さん。直接的な学生との交流はさほど多くないものの、自分よりも若い教員やスタッフとの交流は「楽しい」と微笑む。もちろん学生主催の報告会やイベントには足を運ぶようにしている。

高専だけでなく、佐藤さんにとっては城西高校神山校も大切な存在。「存続が決まってから、環境デザインや食農プロデュースなどが新設され、地域の人との交流などユニークな取り組みを始めました。それが評価され、今や町外から進学する学生が9割と聞きます」

高専開校と神山分校の影響により、教育に関心のある人の移住者が増えた印象を受ける佐藤さん。神山町はアートやサテライトオフィスだけでなく「教育のまち」という側面も加わりつつあるようだ。

もうひとつ佐藤さんが目を細めるのは、高専生と分校生の交流が生まれつつあるということ。「去年の地域のお祭では、両校の生徒が一緒になって参加しました。分校生も高専に刺激を受けて、パワーアップしているようですね」

神山で暮らす高専生はまだ一期生のみ。高専が注目を集めたことで、それが学生たちにプレッシャーとなっていないかを憂慮する佐藤さん。やや過熱気味だった周囲の環境が落ち着く2年目以降が、佐藤さんには気がかりだ。つまり神山が故郷である佐藤さんにとって、ここで5年間暮らして、その後どう神山と関わるのかが、関心事のひとつでもある。

「授業の内容は詳しくわかりませんが、アーティストやクリエイターだけではなく、神山には知られざる名人がたくさんいます。例えば魚捕りの名人とか。そんな人達との交流をもっと深めて、卒業後は神山を『第2の故郷』と言ってもらえるよう、大好きになってもらいたい」

移住者と地元を代表する二人の話を聞いた限りでは、高専開校は神山にとって好ましい影響を与えているようだ。しかし、背景の異なるさまざまな人が暮らしていくと、いろいろと問題が起こることもあるだろう。それを乗り越えることで、さらにより良き方向へ進むことに期待するべきと考えたい。そして卒業生が活躍し始める頃、神山町の存在感はどれほど大きくなっているのだろうか。

●取材協力
神山まるごと高専
NPO法人グリーンバレー
株式会社えんがわ

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記事提供元:タビリス