JAL系新航空会社ジップエア、和牛とシステムの外販でインバウンド需要取り込む

ジョルダンニュース編集部

日本航空(JAL)の100%子会社で、中長距離国際線に特化した格安航空会社(LCC)のZIPAIR Tokyo(ジップエア・トーキョー、千葉県成田市)が、独自の顧客体験と新規事業を融合させた「New Basic(ニュー・ベーシック)」戦略のもと、インバウンド(訪日外国人)市場での攻勢を強めている。累計搭乗者数は2025年12月時点で400万人を突破。自社開発した画期的な機内注文・決済システム「AltoNex(アルトネクス)」の他社航空会社への外販や、訪日客に絶大な人気を誇る「和牛」「日本産米」などの高級食材を空港や機内で引き渡すスマート物販プラットフォーム「秋葉ジップ」を本格始動させた。従来の航空ビジネスの枠組みを超え、座席供給量の限界に縛られない付帯収入モデルの構築を進める。デジタルとリアルを高度に融合した経営戦略の全貌に迫る。

8月7日に開催された株式会社movの訪日ラボ主催「THE INBOUND DAY」におけるセッション「New Basicでインバウンドマーケットを取り込む」を基に構成している。登壇者はジップエア・トーキョーのエグゼクティブ・オフィサー(CMO、ストラテジー・リード)の松尾拓哉氏。

ジップエア・トーキョーのエグゼクティブ・オフィサー(CMO、ストラテジー・リード)の松尾拓哉氏

▪顧客の7割が外国人、Z世代を射止める

世界の航空市場がポストコロナの旺盛なインバウンド需要に沸くなか、異色の成長を遂げているLCCがある。JALグループ傘下で、2020年に運航を開始したジップエアだ。同社の成長を牽引するのは、他社LCCとは一線を画す特異な顧客ポートフォリオである。

同社の搭乗客の実に約70%を非日系(外国人)が占め、世代別に見ても約66%が30代以下(30歳や30代よりも若い世代)というデータがそれを示している。特に同社が主戦場とする北米路線では、非日系の割合は約8割に達する。従来のLCCが「自国の旅客を近距離リゾートや主要都市へ安価に運ぶ」ことを得意としてきたのに対し、ジップエアは「海外の若年層のインバウンド旅客を中長距離国際線で日本へ呼び込む」という、真逆とも言えるビジネスモデルを確立させた。

この独自の立ち位置を可能にしているのが、「New Basic(ニュー・ベーシック)」という経営思想だ。それは、サービスを極限まで削ぎ落とした既存の低価格LCCでもなく、あらゆるサービスを運賃に内包したフルサービスキャリア(FSC)でもない、第3の基準(クライテリア)である。

ニュー・ベーシックは主に「3つのスタンダード」から構成される。

第1が「エアライン・スタンダード(航空の基本品質)」だ。同社はシートの快適性と広さにおいて一切の妥協を排した。機内にはフルサービスキャリアのビジネスクラスに匹敵する「フルフラットシート」と、一般のエコノミークラスと同等の座席間隔を確保した「スタンダードシート」の2クラスを用意し、長距離フライトに耐えうる空間品質を維持している。

第2が「グランド・スタンダード(地上の当たり前を空の上へ)」である。インターネットやスマートフォンが生活インフラとなった現代において、地上で日常的に行えることを機内でも同様に可能にすることは、若年層の顧客体験に直結する。ジップエアは創業以来、機内インターネットの無料提供を続けてきたが、2026年5月には、アジアの航空会社で初めて高速・低遅延の衛星通信インターネット「スターリンク(Starlink)」を全機に導入した。機内からでも、スムーズに「Zoom」などのビデオ会議が行える通信環境を実現している。

2026年5月には、高速・低遅延の衛星通信インターネット「スターリンク(Starlink)」を全機に導入した。アジアの航空会社では最初だ

そして第3が「レイテスト・テクノロジー(最新技術の応用)」だ。最先端のデジタルトランスフォーメーション(DX)を、単なる効率化の手段ではなく、顧客体験の向上とビジネスモデルの拡張へ即座に結びつけるアプローチである。

▪「引き算の哲学」がもたらす体感時間のパーソナライズ

ジップエアのサービス設計は、「移動」を単なる物理の移動として捉えるのではなく、「空間」と「時間」に分解したうえで、特に「体感時間」をいかに短く感じさせるか(Make Flight Time Feel Shorter)という差別化要因に集約されている。

これまでの航空会社は、座席背面にシートバックモニターを設置し、一律の映画やテレビ番組を提供することで「乗客の時間を紛らわす」サービスを提供してきた。しかし、デジタルネイティブ世代の顧客は、自身が日常的に利用するスマートフォンやタブレット端末でお気に入りのコンテンツ(動画やSNSなど)を、自分のペースで能動的に消費することを好む。

そこで同社は「引き算の哲学」を実践し、機内モニターをあえて全廃した。これにより機体重量を削減して運航コストを下げ、同時に「スターリンク」による圧倒的に高速なWi-Fi環境を整備。乗客が「自分のデバイスで、自分の時間をコントロールする」能動的な体感時間を創出したのである。松尾氏は「休日に自宅のソファーでスマホを触っていると、あっという間に時間が過ぎる。この感覚を機内でも実現することが、究極の差別化になる」と指摘する。

▪「空のDX」が生んだ自社システム「アルトネクス」を外販

ジップエアの真の革新性は、自社が航空運送事業者として培ったDXの知見やシステムそのものを、BtoB(企業間取引)ビジネスとして外部へマネタイズする「新市場開発」に乗り出した点にある。その代表例が、自社開発した機内注文・決済システム「アルトネクス」の他社航空会社への本格的な外販だ。2026年4月から営業活動を本格化させ、すでに複数のグローバルエアラインから強い引き合いを得ている。

自社開発した機内注文・決済システム「アルトネクス」の他社航空会社への外販を推進する

航空業界は世界的に深刻な労働力不足に直面している。これまでの機内オペレーションは、乗客がコールボタンを押すと、客室乗務員(CA)が座席まで用件を伺いに赴き、一度ギャレー(厨房設備)に戻って毛布やお水、免税品などを準備して再び座席へと届けるのが一般的だった。このやり方では、1つの要望を満たすためにCAが客室を往復する必要があり、特に物販の決済(オフライン端末でのクレジットカード処理など)や手作業での在庫確認を含め、CAへの肉体的・精神的負荷が極めて高かった。

これに対し、ジップエアが開発した「アルトネクス」は、乗客が自身のスマホから機内の専用サーバーに接続し、注文からクレジットカード決済までをオンライン上で同時に完了させる。CAは全員が常時携行するiPadを通じて、「どの座席の顧客が、何を注文・決済したか」をリアルタイムで把握できるため、ギャレーから該当の座席へ注文品を届ける「1往復」のみでオペレーションが完結する。

さらに、決済情報と在庫情報は機内と地上でリアルタイムに連携・同期される。手書きの伝票処理や、手作業での機内在庫のカウントといったアナログな作業は全て排除された。決済や注文に伴うあらゆる摩擦(フリクション)をデジタル技術で解消することで、顧客にスマートな乗船体験を提供する。それと同時に、CAの業務負荷を劇的に軽減し、「より付加価値の高いおもてなし業務」へシフトさせる、従業員のエンパワーメントを実現した。人手不足に苦しむ世界の航空各社にとって、アルトネクスはオペレーション効率化とサービス向上を両立させるシステムとしての価値を帯びている。

▪「291席目」を売る、和牛・コメを届ける「AKIBA ZIP」の破壊力

ジップエアの「新製品開発」を具現化し、マクロな日本のインバウンド観光消費を余さず吸収するプラットフォームが、免税・お土産品のスマートショッピング体験を提供する「AKIBA ZIP」サービスだ。

AKIBA ZIPサイトのスクリーンショット

LCCに限らず、全ての航空ビジネスには「提供可能な座席数以上の売上を立てられない」という物理的な上限が存在する。座席販売だけに頼る収益モデルから脱却し、限界を超えるために同社が考案したのが、非航空分野における高単価なアンシラリー(付帯)収入モデルである。同社の主要機材の座席数は290席だが、松尾氏は「4万〜5万円の和牛が1個売れることは、座席(航空券)がもう1席売れることと同等の売上価値がある。これが物理的な290席の制約を超え、291席目、292席目を売るという私たちの付帯収入戦略だ」と、その経済的合理性を説く。

AKIBA ZIPが提供するのは、「絶対に自国へ持ち帰りたいが、旅の途中で持ち運ぶのは物理的に極めて重い、あるいは輸出入の検疫手続きが個人では著しく困難なもの」を、デジタル予約とリアルロジスティクスを組み合わせてスマートに届ける体験だ。通常、海外への生肉の持ち出しは、極めて厳格な輸出国・輸入国双方の検疫手続きや書類申請が義務付けられており、一般旅行者が旅先で和牛を購入して持ち帰ることは事実上不可能に近い。ジップエアは、これらの複雑な輸出検疫手続きや関係省庁への申請・承認プロセスを、すべて代行するシステムを確立した。

取り扱い商品は和牛にとどまらない。訪日外国人に極めて人気が高いものの、その重量がネックとなる「日本産米」、機内持ち込みが難しく崩れやすい大粒の高級「イチゴ」、コレクターから熱烈な需要がある「日本のアニメIPフィギュア」、さらには高級「着物」まで、インバウンドの購買心理を巧みに突いたラインナップを誇る。

顧客は、出発の72時間前までにジップエアの特設サイトでこれらを注文するだけで、旅先で重い荷物を引きずるストレスから解放される。注文した商品は、機内で直接受け取るか、あるいは到着地(シンガポールのチャンギ国際空港など)の受託手荷物受取場(ターンテーブル)において、自分が預けたスーツケースと並んで、厳重にパッキングされた和牛やお米のダンボール箱が流れてくるという、驚きの体験価値を提供する。

この強力な物販ロジスティクスは、自社の搭乗客のみを囲い込むクローズドなモデルに甘んじない。ジップエアは、他社便で日本を訪れる全てのインバウンド旅客にこのサービスを開放する姉妹プラットフォームを別途ローンチした。

さらに同社は、ラストマイルの観光消費タッチポイントとして、家電量販大手のビッグカメラとのコラボレーションを展開している。インバウンド旅客が大量に集まる「ビッグカメラ秋葉原店」の店内に特設のディスプレイ棚を常設。旅の最終盤に「お土産」を探しに同店を訪れた訪日客に対し、それまで選択肢に上り得なかった「最高級和牛を空港で受け取って自国へ持ち帰る」という新しい消費の選択肢を提示し、観光購買データをリアル店舗から空港へとシームレスに接続している。

▪航空会社の概念を再定義、日本経済の「稼ぐ力」の試金石に

ジップエアが「New Basic」戦略を通じて体現しているのは、単なる「低価格な移動手段を提供するLCC」から、「インバウンド旅客の消費と体験の総合的なハブ」への、ビジネスモデルのコペルニクス的転換である。

航空産業を「空間と時間」の切り売りから「体感時間とショッピング体験の価値創造」へ拡張し、さらには機内DXシステム「アルトネクス」によるITシステム外販というBtoB市場までをも射程に収める同社の多角化戦略は、航空会社という伝統的ドメインの概念そのものを書き換えつつある。

現在、マクロ経済の視点から日本のインバウンド政策に求められているのは、単なる「訪日客数の拡大(量)」から、1人あたり消費額の最大化や地方への波及効果といった「高付加価値化(質)」への転換だ。輸出検疫の障壁を越えて日本の最高級和牛や農畜産物を海外へ直接持ち帰らせるジップエアの物販スキームは、まさに「日本の稼ぐ力」を直接的に引き上げる極めて実効性の高いアプローチと言える。

記事提供元:タビリス